『ラオスにいったい何があるというんですか?』 村上春樹

ラオスにいったい何があるというんですか? 紀行文集 (文春文庫 む 5-15)

私は村上さんの紀行文がものすごく好きなので、久しぶりの刊行がうれしい。彼の小説は圧倒的に独創的できりきり舞いさせられる唯一無二の世界なのだが、エッセイや紀行文はというと対照的に静かで穏やか。もしかしたら退屈とか凡庸とかいう感想もあるかもしれない。

でも、私は、平易な言葉で綴られる旅先の風景、奇をてらわないけれどどこか独特なアングルに感嘆のため息をつく。エッセイや紀行文でこそ村上さんの文章のうまさが堪能できるとも思う。清流に棲み続けるヤマメは水の清さにいちいち感動なんてしないだろう、そんな感じで、一見、うますぎて気づかないんだけど、この文章を読んでいるときには脳内にアルファ波が出てる気がする。文章に心地よいリズムがある。そしてところどころでじわっと感動する。


ボストンは村上さんにとって(つまり長年の読者にとっても)おなじみの場所であり、親しみをもって読める。ギリシャの小さな2つの島、ミコノスとスペッツェスは昔のエッセイ『遠い太鼓』に描かれた滞在記から25年ぶり(!)に訪ねる場所で、時代の移り変わりがほろ苦く、相変わらずなところにはニンマリする。

2つのポートランドのレストランの数々や、イタリア・トスカナ地方の小さなワイナリー巡り。めちゃくちゃ行きたくなる!!! 世界のムラカミはもちろん食レポの能力だって高いのだ。それも、「そのお店」「お店の人」「その場所、気候、風・・・」そういうもの込みでのレポートだから、ものすごく現地に行きたくなる。

とりわけ印象的な、アイスランドフィンランド、そしてタイトルにもなっているラオスの紀行文。綴られるものすべてが新鮮で興味深いのはもちろんだが、自分にとって馴染みも知識もなく、イメージすら乏しい場所に降り立ったとき、何を見るのか?何を感じるのか? その「五感のひらき方」のようなものが心地よく伝わってくる。『ラオスにいったい何があるというんですか?』このタイトルのつけ方がまず、最高だ。

反対に、福岡人の私にとって熊本はよく見知っている近しい県の1つで、「村上さんがこれを見たのか、こう感じたのか」と読むのはとても面白い。村上さんは市電のそばの橙書店を訪ね、漱石の家、万田坑、SLに載って人吉に行き、津奈木町は海の上に建てられた赤崎小学校(廃校)を訪れて、それから阿蘇、八代、最後に県庁で、くまモンについて職員さんに尋ねている。

熊本県ぜんたいが「くまモン化」しているといってもまったく過言ではない。熊本日日新聞には、くまモンが主役の4コマ漫画が毎日掲載されている。そのうちにくまモンが社説まで書くようになるかもしれない・・・

村上さんってちょいちょい悪ノリしたこと書くのも好きです。

さて、その楽しくのんびりした熊本旅行記のあと、最後の章には再訪記が収められている。そう、熊本地震を受けての再訪だ。地震の5か月後、2016年9月に、村上さんは前回と同じ3人でチャリティーのために訪れ、250人ほどの人を集めてトークと朗読会のようなものを催したという。前に訪れた場所が地震を受けてどうなったか、それぞれ短いレポートもある。中でもやはり行を割かれているのは熊本城のこと。

なにより心が痛んだのは、熊本城の惨状だった。(中略)その被害のあまりの大きさに、一同、まさに言葉を失ってしまった。これまでテレビのニュースで見たり、新聞・雑誌の写真でひととおり見てはいたのだが、自分の目で実際に見るその崩壊のすさまじさは、とてもとてもそんなどころじゃなかった。

奇をてらわないストレートな目線と書きぶりが村上さんの誠実さだ。そういえば、以前の紀行文集『辺境・近境』も、終章は阪神大震災後の神戸を歩く章だった。

 

emitemit.hatenablog.com

emitemit.hatenablog.com

emitemit.hatenablog.com

 

emitemit.hatenablog.com

emitemit.hatenablog.com