『私たちの星で』 梨木香歩 師岡カリーマ・エルサムニー

私たちの星で


「人はなぜ、帰属意識を個人のアイデンティティとし、優越感に浸ってしまうのか?」

ISが猛威をふるい、世界中でムスリム・バッシングが吹き荒れ、また各国で右傾化がすすむグローバル社会で、“ほとんど無力に等しい私ですら何かできることはないかと”思った筆者は、編集者に10歳ほど年下の女性を紹介された。

師岡カリーマ・エルサムニー。日本人の母、エジプト人の父をもち、カイロ大学ロンドン大学で学んだ彼女は、作家からの手紙を受け、自分はムスリムを代弁はできないと当惑したという。

実際、序盤の手紙で彼女は、「社会の雰囲気を鑑みても、いま、日本に対する批判めいたことは言わないようブレーキをかけている。また、複数のルーツをもつ自分は身軽だが、どの文化に対しても責任を負わず “渡り鳥” として逃避しているのかもしれない」旨を書いている。

ムスリムのこと、イスラームのことをもっと知りたい、学びたい」という願いをやんわりと退けられた形だが、梨木さんはそこで食い下がらず、カリーマの「繊細さとタフさ」を称え、「個人としてのたたずまい」に強い関心を寄せたうえで、ゆっくりとした道筋をたどりながら、彼女自身逡巡しつつ、「ムスリムとしてのカリーマの思い」を引き出してゆく。

往復書簡を交わすうち、カリーマはその対話を「自己再定義の旅となった」とあとがきに書くのだが、そこには思いがけない変化も添えられている。

「日本批判と受け止められるような発言は避けている」と言っていた彼女が、今は東京新聞にコラムを書いていて、「渡り鳥だのといって逃げているわけにはもういかない、中立な安全地帯で書いたコラムに何の価値があろう」と、コミットメントを宣言しているのだ。その変化に、この書簡を交し合った梨木香歩の存在がいかに大きかったか、また今もそれは続いていると彼女自身が書いている。ここにはそれだけの深い対話が収められている。

語られるのは、旅先での出来事や、本の感想、子どもの頃の記憶や、不思議な夢の話。と書くとずいぶん身近な話のようだが、彼女たちは広い世界での経験をもち、その取り出し方は知性にあふれ、なおかつとても人間的だ。たとえば梨木さんは、生まれ育った南九州で食べていた「チマキ」が中華ちまき(米を使った携帯保存食のようなものが起源)に近いことを大人になって知る。

表舞台に上がらぬ草の根で、女たちの手から手へ、律義に伝えられてきた歴史

料理は土地の歴史を語り、個人の過ごしてきた日々も語る。代々の人々の記憶に、手に、更新されながら、ものによっては、芸術作品と呼ばれるものより遥かに生き延びて。

とは、梨木さんの文。これを読んだカリーマは、

南九州は、同じ日本の京都とよりも強く、チマキによって中国とつながっている。日本は島国だというが、たくさんの島によって構成されているから多彩だし、大陸とは海で深く繋がっている

と感想を書き、「もしかしたらエジプトのほうがある意味島国かも」と驚くべき所見を述べる(その理由は、本書にて)。

また、父の友人を通じて、自分にはタタールロシア連邦に属するタタルスタン自治共和国)のルーツも持っているというカリーマは、幼いころから家族ぐるみでの付き合いだったアブケイ(おばあさん、の意)が作る料理に、ある日ハッとする。中央アジア的なタタール料理の王道ではなく、ロシア風の味付けだったというのだ。

酒も飲まず礼拝も欠かさない敬虔なアブケイは同時に、征服者ロシアの文化も自分のルーツとして大切にしていた。

異文化の包摂が、革命や亡命や戦争を生き抜いたひとりの女性によって体現されていることに、カリーマは深い感銘を受ける。

文化はそれ自体が重層的に融合した異文化の結晶であり、それぞれ尖ったり曲がったり濁ったりして、どこかに新しい色をもたらす要素となればいい。

という彼女のその手紙でのしめくくり。なんて知的な考察、そしてすてきな文章を書く人だろうと思う。

トルコの村で見た、ギリシア正教の教会を転用したモスクの寺院。カンボジアの寺院では、人間が残した石造りの建物を、木々が根を張り枝を巡らせて包み込み「面倒を見るように」崩壊から守っている。

ニューヨークの民泊で、家主のゲイのプログラマーが瞬時にムスリムへの気遣いを発したこと。マンハッタンの民泊では、アラブ人の(ルーツを持つ)カリーマに対し、家主の夫人が即座に「私はユダヤ人です」と明かしたこと。イスラエルの建国以来激しく争っている2つの民族では、初対面で片方がアラブ人とわかれば、もう1人も自分がユダヤ人である旨、速やかに明かす(逆も然り)のが暗黙の了解になっているという。

こうして読んでいると、私たち日本人はあまりにも異文化への無知、経験の少なさから偏狭なナショナリズムに陥りがちなのだなとつくづく感じる。本文中では「異文化の経験が寛容を鍛える」とある。

特に、カリーマという一人の女性を通じて伝わってくる「アラブ」「イスラーム」は非常に興味深い。私たちはイスラムといえば女性が全身を覆うヒジャーブを連想する、しかし昔は国や文化によって女性の服装も異なり、ムスリムの在り方にも多様性があった。グローバル化(という名の西洋的価値観の広がり)に反発する形で、ヒジャーブという画一化が進んだという分析には目からうろこが落ちる。

また、宗教というものについて、「信仰は神のためではなく人のため」「本来、人と神との契約である信仰が、人と世界との関係に重なってきたとき、イデオロギーアイデンティティ、プライドやナショナリズムにつながっていく」という考察は、信仰をもつ人ならではだと感じ入った。かくれキリシタンの殉教や、カトリックの修道女の頑迷さを2人がどう語るか、ぜひ本書を読んでほしい。

正直に言うと、特に後半は何度も涙しながら読んだ。異文化包摂とか、比較文化論と括るには、あまりにも心の深いところを刺激する対話だ。

日本人にとってアジアとは己であり、西端はせいぜいインドあたりだが、ジョージアアルメニアなどコーカサス地方の人にとってはアジアとはペルシャやその周辺で、インドはアジアの東の端ということになる。私たちは斯様に異なる、でも誰もが「私たちの星で」生きている。その中で「個人としてのたたずまい」は、多様な価値観や文化の中で磨かれるものなんだろう。