『なぜ中国人は財布を持たないのか』 中島 恵

なぜ中国人は財布を持たないのか (日経プレミアシリーズ)

キャッシュレスが進んでいる国として、北欧などと並んで中国の名前もよく聞く。アリペイ、ウェーチャットペイなどの決済サービスは、タクシーや出前はもちろん、小さな屋台でもことごとくシステムを備えているし、年金の受取や慶弔金の支払といった場面までも使用されているらしい。

決済データを用いて個人を評価するシステム「ゴマ信用」は3億5000万人の人が使っている。シェア自転車をちゃんと返却しているか、ネットショッピングの支払は滞っていないか、果てはトイレットペーパーを使いすぎていないかどうか(!)までスマホが逐一ポイントをつけ、その評価いかんでは、グレードの高いホテルを予約できなくなったり、住宅ローンが借りにくくなったり、就職や婚活に影響するということだ。

そんな驚きの実態を「だから中国はすばらしい」とか、逆に「いや、そんな中国より日本のほうが自然ですばらしいんだ」とかいうふうに描かないのが、この本のすばらしいところ! 

「それぞれの文化にはそれぞれ固有の意味があり、特定の尺度で優劣はつけられない」という【文化相対主義がちゃんと根底にある。これを押さえていなければ比較文化の本とはいえません。大手出版社すら乱発している安易なニッポンバンザイ、あるいは外国disの本は、つまらない優越感を刺激して孤立から自滅への道しるべを示している。ほんとやめてほしい。

閑話休題。本書では、中国で急速にキャッシュレスが進んだ背景には、以前の中国社会では賄賂の横行やニセ札があまりに多く、現金を信頼できないという事情があるという。財布を使う文化もなく、市場に流通する期間も長いのでお札がひどく汚かったのも、現金を触らないですむキャッシュレスが歓迎された一因だとか。

裏を返せば、日本は「相互信頼社会」。何十年も前から固定電話や券売機、クレジットなどのインフラが整備され、ニセ札でだまされることもない、安心で安全な社会。だから現金で容易にやりとりができて、キャッシュレスへの需要が低い。現金を大切に扱う文化もあり、くしゃくしゃにしたり濡らしたりはほとんどない。これは当地では当然でも、中国人からすれば「すばらしい財産」だったりする、とのこと。

本書では述べられていないけれど、こういった違いも、「そんな日本のほうが優れている」わけではなく、あまりに広大で民族も文化も多様な中国では日本よりも激しい生存競争が常で、「だまされるほうが悪い」「自分の身は自分で守れ」という感じだったんだろうな、と想像できるし、日本人のお金に対する考え方の歴史は、網野善彦の著などを読むと大変参考になります。

日本の歴史をよみなおす (全) (ちくま学芸文庫)無縁・公界・楽―日本中世の自由と平和 (平凡社ライブラリー (150))

また、メディア等の情報への感覚を日中で比較した章は特に面白かった。

一党支配の中国では検閲が厳しく、政府に都合の悪い情報は流れないし、言論の自由もない。というのが日本人の中国へのイメージであり、それはある意味本当のことでもある。けれど、中国人にとっては「情報が統制されているのは当たり前」。昔から行間を読む訓練を積んでおり、政府発表のたった1行にも微妙な動きやニュアンスを感じとることができる。

対して、多くの日本人は、「日本は自由な国」という思い込みから「メディアには報じないことがある」「バイアスがかかっている(こともある)」という認識すらないのではないか? むしろ、情報を鵜呑みにしてるのは日本人ではないか?と。この指摘には膝を打った。これは、日本の「相互信頼社会」を別サイドから見た現象であり、私たちはこれを悪用する者(特に権力者)が出ないよう、気を引き締めないといけないと思う。いや、すでに・・・。

日中の現在は、違いばかりではない。ネット上でのアイドルやインフルエンサーが出現したり、少子化が進んで親による代理婚活が盛んだったりと、国境を超えたグローバルな現象。日本人経営者の教えを取り入れ、きめ細やかなサービスやいわゆる「思いやり」を実現させて発展する企業もある。熊本地震の際には中国でもスマホ決済を通じた募金が多く集まった。これは、以前の四川大地震の際の日本からの支援に応えたという面も大きかったという。

今の姿の背景には、それぞれ固有の歴史や文化の集積があり、それは優劣をつける問題では決してない。一方で個人間と同じように、国と国との関係も、持続的に相互に影響しあいながら互いに変容していく。異文化を知る刺激とともに、そういった感覚が素直に腑に落ちてくる、すてきな本だった。

書店で平積みになっているのを見かけていたけれど、自分からは手に取らなかった本だと思うので、おすすめを受けて借りて読んでみてよかった!