ノーベル平和賞受賞スピーチ 『核兵器の終わりの始まりを』

13歳のとき被爆したサーロー節子さん
核兵器廃絶子草キャンペーン(ICAN)を代表しての、ノーベル賞授賞式でのスピーチ。
 『この受賞を核兵器の終わりの始まりに』

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自分の記憶にとどめるためにも、ここに一部を引用します。

「この会場の皆さまに、広島と長崎で死を遂げたすべての人々の存在を感じてほしい。
 雲霞(うんか)のような二十数万の魂を感じていただきたいのです。
 一人一人に名前があったのです。誰かから愛されていたのです。」

「8時15分、青みを帯びた閃光に目がくらみました。
 静かな闇の中で意識を取り戻すと、倒壊した建物の中で身動きができないことに気づきました。
 級友たちの弱弱しい叫び声が聞こえてきました。「お母さん、助けて。神さま、助けて。」」

「幽霊のような人影が行列をつくり、足をひきずりながら通り過ぎて行きました。人々は異様なまでに傷を負っていました。血を流し、やけどを負い、黒く焦げて、腫れあがっていました。体の一部を失っていました。肉と皮膚が骨からぶら下がっていました。飛び出た眼球を手に受け止めている人もいました。おなかが裂けて開き、腸が垂れ下がっている人もいました。」

「私の愛する都市は、一発の爆弾によって消滅したのです。住民のほとんどは非戦闘員でした。彼らは燃やされ、焼き尽くされ、灰になりました。」

「その後の数週間、数か月間、数年間にわたって、放射線の後遺症により予測もつかないような不可解な形で何千もの人々が亡くなりました。」

「4歳だった私の甥、英治。小さな体は溶けて、肉の塊に変わり、見分けがつかないほどでした。死によって苦しみから解放されるまで弱弱しい声で水が欲しいと言い続けました。」

「広島と長崎への原爆投下を残虐行為、戦争犯罪とみなすことを拒絶する人たちもいます。「正義の戦争」を終わらせた「良い爆弾」だったとするプロパガンダを受け容れたわけです。こうした作り話が、破滅的な核軍拡競争をもたらしました。」

「今年7月、世界の大多数の国々が核兵器禁止条約の採択に賛成しました。」
「責任ある指導者であれば、必ずやこの条約に署名するに違いありません」

「核武装した国々の当局者と、いわゆる「核の傘」の下にいる共犯者たちに言います。私たちの証言を聞きなさい。私たちの警告を心に刻みなさい。そして、自らの行為の重みを知りなさい。あなたたちは、人類を危険にさらす暴力の体系を構成しているのです。世界のあらゆる国のすべての大統領と首相に懇願します。この条約に参加して下さい」

以上、引用終わり。

そう、核保有の五大国とともに、日本は「傘の下」の国として、核兵器拡散禁止条約に参加していません。
また、五大国と共に、日本も、駐ノルウェー大使をこの授賞式に出席させてないんですよね。

ノーベル文学賞を受賞したカズオ・イシグロも、受賞の記念講演およびスピーチで戦争と平和に関するテーマを扱い、原爆にも触れました。

実際に被爆した唯一の国である日本(の政府)が、こういった活動や表現に全面的に共鳴し支援しないことに対して、もっと疑問の声が上がらんもんかな~。と思っています。

受賞はすばらしいことだけれど、そのへん、モヤモヤするもんがあります。
去年5月ですか、オバマが広島に来たときもそうだったんだけど。