『おんな城主直虎』 第46話 「悪女について」

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ううっ、そうよね・・・信康事件の帰結、最初から知ってた。そうなるよね・・・。

前回ラスト、氏真が異様にかっこよかったから軽く期待しちゃったけど、史実に立ち向かえるはずないよね( ノД`)。。。 瀬名の首桶を囲んで共に涙にくれるための氏真さんのにわか活躍であった・・・容赦ない、そして巧緻な脚本よのう! そう、とわ・鶴・亀が井伊谷の幼馴染3人なら、氏真・瀬名・家康は共に今川で育ったいわば幼馴染なんだよね。一方で氏真は、かつて(家康の裏切りに怒って)瀬名を殺そうとした張本人でもある。

家康と瀬名との一筋縄ではいかない関係が最後まで描かれていた。単純に美しい夫婦愛とか、冷え切った関係にしてしまわないところが佳子さんの腕ってもんよ。

長年別居していて、夫には(おそらく複数の)側女がいるという状態だから、嫡男であるよくできた息子を生きがいにしているのかと思いきや、瀬名は今も変わらず、夫とぼんやり過ごしたいと楽しみに待っていた。偽の手紙を用意して罪をかぶろうとするのは身を挺して子を守ろうとする母の姿そのものだが、「愛する息子のため」でなく、「殿と、殿の愛する息子のため」に死ぬのは本望だと言う。

「自分はあのとき殿の強運に救われた命だから」という言葉が切なかった。今川館一の美少女であり、徳川家の正室・嫡男の母となりながら、瀬名は深層心理ではずっと、自分の命をはかなく、ちっぽけなものだと思っていたのかもしれない。

でも、「遺される者の気持ちを考えたことがあるか」と直虎に迫られた彼女は、遺る家康に、とても優しい言葉をかけるのだよね。「信康と徳姫に子宝が授かったら、その子は私です」と。「だから、悲しむことはありません」と。もう、ここでダーダー泣いたわ!!!

瀬名は家康を最後までずっと愛していた。

という事実がある一方で、家康の首桶を前にした悔悟「わしのせいだ。わしがもっと頼りがいのある夫だったなら、おとなしく岡崎に座っていてくれただろうに」も真実だと思うんだよね。万千代の話を聞き、「井伊は逃げる・隠れるには慣れております」という直虎の力強い(勇猛果敢に戦うイメージの戦国時代ドラマでこう力強く宣言するのが可笑しいところだ)後押しにも、少しも心動かされない瀬名の暗い表情が印象的だった。

家康は決して瀬名を軽んじたりどうでもいいと思っているわけではなかった、たぶんずっと。瀬名がどう思っているかを気にかけて数正に尋ねたり、「ずっと泣かせてばかりだった」という自覚もあった。

でも、実際に叶えてやった願いは(劇中で描かれたのは)虎松に井伊を名乗らせることにした、それぐらいなんだよね。家康は、今川館から瀬名と竹千代(当時)を救い出したあともずーっと寺に放置してたり、やっと来たかと思ったらすぐ帰ったり、井伊を助けてやってほしいという瀬名の切実な願いをかなえなかった。そして信康の潔白を必死に訴える彼女を一顧だにせず、「乱心した」の一言で閉じ込め、会話も持たなかった。

もちろん、家康には家康の、武家の当主としてのいろんな事情があるんだけど、やってることだけを見てると、そりゃ瀬名ちゃんも夫を信じられないよね、ってなる。「これこれこういうわけだからしばらく井伊に隠れとくがよかろう」と万千代を連絡係にした。事務的なんだよ!! 命の危機に瀕しながら「あまりご無理なさらぬように」という心のこもった言葉を父に託した信康との差な!!!

万千代の育成や、岡崎衆への恩賞など、家臣に対しては公明正大かつ情をかけてきた家康が、瀬名に対してそれができなかったのは、まあ多分、愛であり甘えなんだろうね。瀬名ならわかってくれる、許してくれるという思いでずっときたんだろうね。そうなの、瀬名は家康を愛していた。でも、何も言わない、してくれない夫を信じきることはできていなかったのよ。報いだなあと思う。家康は直虎に伏しはしたものの、一言の言葉もなく政次を見殺しにした。そして同じく、きちんとした言葉がけをしてこなかった瀬名に信じてもらえず、瀬名を失った。その瀬名の首は役に立つことすらなく、徳川は結局、嫡男までを失うことになるのである…

信康と瀬名を残酷な運命が襲うことによって、家康が悲しみの淵に沈み、万千代が大きな挫折を味わう・・・というだけじゃなくて、直虎に「これから」を突きつけるのか~!ってのが印象的だった。

瀬名は徳川のいわゆる「解死人」になった。(結果的には信康も許されなかったのであるが)信康を失うよりは瀬名に罪をかぶせよう、という暗黙の了解が家中にあった。瀬名がどんなに賢く、人望厚いお方様だとしても、女である以上、同じ流れになっただろう。そこで瀬名は妻として母として命を使いきることを選んで、死んでいった。

女というのはそれだけで社会の中心じゃなく、周縁の者なのだ。でも今作では、さらにその周縁を描く。妻であり母であることが女の中心舞台だとしたら、直虎の場所はそこではない。「妻でも母でもないそなたは、何に命を使うのだ?」 直虎にそう尋ねる南渓和尚もまた、武家に生まれながら武士としての人生が望めなかった周縁の者だ。

かつて直親が死んだとき、その変わり身となって生きようとした直虎は、政次の喪失を始め厳しい現実に打たれもはや戦わないことを選んで井伊の看板を下ろした。もう若くもない。次は万千代に託す。そして、万千代を通じて徳川に戦の無い世を実現させようとする。

万千代はまた、信康の思いを継ぐことも期している。自身が語ったように、政次に碁を教わり、碁を通じて人生訓を教わった者でもある。

こうして、生き残った者は、さまざまな者の思いをさまざまな形で引き継ぎながら生きていかなければならないということだね。

豊かな才能や強運をもった万千代、ひいては徳川家康が、最終的にはあまたの死者や弱き周縁の者たちの思いを収斂して継いでいくのだけれど、じゃあ周縁の者たちは単なる弱者・敗者なのか?というと決してそうではない!!というのが『おんな城主直虎』の物語なのだなあと思った。

瀬名も、ふりかえれば政次や直親などなども、誰かのため何かのために精一杯生きて命を使ったのだ。それは自己犠牲という名の美談ではない。むごい戦国の世の中にあって、彼らはをそんな形で命を使わざるを得なかったのだ、と描いている。だから戦国の世を終わらせなければならない。直虎はそのために力を尽くさなければならない。

とはいえ、ちっぽけな井伊谷の農婦にすぎない直虎が徳川を思いのままに動かせるはずはない。でも、井伊谷で起きたことが、今、徳川を襲ったように、日本中のあちこちの大小の地で、同じことがずーーーっと繰り返されてきたんだよね。そして、きっとあちこちで、直虎や万千代のように、「こんなことが繰り返されるのはもうまっぴらだ、終わりにしたい、誰か良い人に託したい、そのために力を尽くしたい」と思ってる人々がいる。信康と瀬名を失ったことで、家康自身も骨身にしみている。

家康はやがて江戸幕府というとりあえずの太平の世をひらく。それは英雄の偉業ではなく、凡人が英雄になったわけでもなく、「皆が当事者としてそれを望んだからそうなったのだ」という物語になっていくのかなと今回思った。

今回もみなさんの演技よかった~

瀬名を前に爆発する直虎。大河ドラマの醍醐味の大きな一つに、月日の積み重ねを経た主人公の血を吐くような叫びへのシンクロがあると思う。直虎があんなに泣き叫ぶわけ、誰を思い浮かべているのかも、ずっと見てきた視聴者にはわかる。悲しみだけではなく「怒り」が表現されているのもいい。柴咲コウは本当に直虎に同化してる。

残酷な現実と己の無力に打ちのめされる万千代の一筋の涙も美しかったし、その後の家康との対峙はさらにすばらしかった。碁盤をワヤにされた家康が、往年を思い出して「せな・・・」と口走るところもいいけど、そのあとの激昂もいい。「みなの意見を聞いた結果がこのざまじゃ! これからは誰の言うことも聞かない、自分で決める・・・」 家康が独裁者になるかどうかの分岐点を描いていた。万千代をはり倒しながら自分も倒れ伏すのがいい。ボロボロの家康。

怒り狂った主君に張り倒されても動じず、井伊の過去を語る万千代の抑えた口調が本当によかった。菅田くんはこういうことができるから仕事が引きも切らないわけよね。

そして菜々緒さん。よかったよねえええ! 時代劇の演技が板についている、とまでは言い難いんだけど(ほぼ初挑戦だろうから当然よね)、それがまた、艶やかな容姿と気の強い中に、不器用で頼りなげなリトル瀬名ちゃんがいるって感じでよかったですよね。気品といい、着物の着こなしといいすばらしかった! こういう柄の大きなお方様ができる若い女優さんは貴重かも! 

酒井忠次のみのすけさんも、相ッ変わらず良い味出してる。「北条と同盟するまで時間稼ぎ大作戦」を知らされず、「遠江ではないか~!」「浜松~!」みたいに、いちいちヒエ~ッ!ってなってる姿が哀れだけど滑稽で超うまい。大仰な演技をしても脂っこくないのが映像時代劇向き。

松也の氏真にも、もはや出てくるたびに釘づけ。最終回までにもうひと出番あるよね?! 近年、大河ドラマに出た若手~中堅歌舞伎俳優では、映像の演技が一番うまいかも!?とまで思うようになった。それでいてもちろん伝統芸能の匂いもふんだんに漂わせる。そこへいくと、海老さまの信長演技の一本調子・・・セリフ回しの危うさよ・・・いや、そういう造形なのかもしれないけど。ともかくオーラは絶品だしね。

実生活で若い妻を亡くしたばかりの彼が、家康に妻を殺すよう命じる役か…と思っていたが、命じるのではなく、徳川内部の判断で(もちろんそこには忖度もあるのだけど)…という形になったね。役のオファーがあったときはご存命でも、厳しい闘病をしてることはわかってただろうから、オファーするほうも受けた方もすごいなとも思う。でも、歌舞伎俳優というのはそういうものだとも思う。歌舞伎の演目には肉親と死に別れたり、殺し殺されたりするものも決して珍しくなくて、海老蔵は麻央さんの闘病中も、亡くなった後もそういう舞台をつとめてきただろうしこれからもそうだろう。だから海老蔵へのこの信長のオファーは、役者としての彼への信頼でありリスペクトでもあるのかなと思う。