『おんな城主直虎』 第45話 「魔王のいけにえ」

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信康事件が、長丸こと秀忠の誕生をきっかけに描かれるのが、なんかもうすでに残酷なんだよ! うまいってことなんだけどさ。

知らせを聞いた瀬名を「おかしな顔をしておられますぞ」とたしなめる信康。「おかしな顔」という言葉のチョイスと口調が、母への優しさだけじゃなく親愛の情まで感じさせる。

高級茶碗を断り、官位授与も断って・・・その賢さと高潔さが裏目に出る。「泣かぬなら殺してしまえホトトギス」を手乗りの綺麗な白文鳥を撃ち殺すシーンで表現し、それがまた信康事件の暗喩にもなっていた。

(TLでは、側女は正室である徳姫に探させるのが筋という話も見たけれど、もちろんそういったやり方もあるけど、武将が自分の気にいった娘(もちろん格下の娘ね)に手を付けて側に置くのは別におかしなことではない。今、再放送でやってる『風林火山』でも、亀ちゃん信玄がそうやって油川氏の娘・於琴(紺野まひる)をなし崩し的に側女にしてましたぞ。閑話休題。)

男子が生まれれば正室の籍にという筋を通せばよい、信康が早く男子を得ることは織田の安心にもつながるはずだ、と岡崎側は考え、徳姫が得心して父にその旨を書いてよこすシーンもわざわざ入れられていた。ドラマに登場しない徳姫だが信康との仲が険悪なわけではないのは、はしばしの描写でわかるし、実家の織田と婚家の徳川が要らぬ争いをしてほしくないという思いがあってこそそんな手紙をよこしたんだろう。

「徳は夫思いじゃのう」と言いながら籠の中の文鳥を撃った信長は、娘の思いをわかっていながらその報告を言いがかりの端緒にして、偽の手紙を用意し徳川を追い詰めてゆくのだ。

かつて方久を欺き、己らの目的を早く達するため、何の良心の呵責もなく気賀の民たちをも攻撃した酒井忠次が、信長の前で蛇に睨まれた蛙と化し、結果として徳川を危機に陥らせるのは森下脚本らしい因果の巡りなんだけど、堀川城からここに至るまでに彼の底の浅さを愛嬌として描いてきたうえでの今回だからさ~。

家康に離反を疑われて心底傷つき、そのうえでなお信康の切り捨てを進言して「私の落ち度だからこそ、敢えて言いにくいことを申し上げております」と顔を歪める酒井忠次の姿には、ぐっとくるもんがあったなあ。凡人が必死に生きる姿を描くと、この作家は本当に強い。その後ろで、本多忠勝が無言で平伏するんだよね。同意の意を示して。榊原康政も何も言わない。そうするしかないところまできていると、みな理性ではわかっている。

温厚な家康が度を失って家臣を疑い、なじる言葉を吐き、閉じこもる。そこで武家の理を説くのが、ほかならぬ実母というのがすごい! 

「信康をお斬りなさい」
「おおせの意味がわかりかねますが」
「折よく長丸も得たことだし、信康がおらずとも問題ないでしょう」
「人の子の母とは思えぬ言葉」

「人の子の母だから申しております。獣の子はお家のために我が子を殺したりしません。
 けれど武家とはそういうもの。
 お家を守るためには、己自身、親・兄弟も、子の命さえ、人柱として断たねばならぬ時がある。
 その中で生かされてきたのですから、そなただけが逃れたいと言うは、それは通りませぬ」

すごいシーンだった。すばらしいセリフの応酬! これまで数えるほどしか出てきてない於大の方だけど、栗原小巻の演技もすごいし、それを受ける阿部サダヲもすばらしい。手を取りながら「それは通らぬのです」と重ねて言い、最後に「竹千代」と語りかける。「母はあなたの痛みをわかっていまる、だから言うのです、母にしか言えないことでしょう・・・」そんな万感の気持ちが、最後の「それは通らぬのです、竹千代」にこもっている。その場で家康が折れるのも大納得。

方久が解死人として初登場したのは2話だったか? 村と村の紛争の円満解決のために差し出される人柱。「犠牲になる人」を、このドラマはずっと描いてきた。今川に殺された直満や直親、龍雲党を含め堀川城で殺された人々。直虎も今川に殺されかけた。近藤の罠と徳川の黙認によって死んだ政次。弱い者を犠牲にして成り立つ社会システム。武家はそのシステムの上のほうの階層に位置している。弱い者を切り捨てながらその位置にいる。であれば、自分もまた、より上位の者に切り捨てられるのは必然なのだと。

あのとき、弱き井伊にとってかけがえのなかった政次を見殺しにした徳川が、今、己より強い織田に、大事なものを奪われる。自らとどめを刺せと言われる。すごい因果だ。でも、必然だと思える・・・。その必然の、不毛さ!



強い者が弱い者を挫きながら成り立つ、そんな不毛が永遠に繰り返される社会システムから降りるために、直虎は家を潰して甘んじているのだよね。いや、完全に降りられたわけじゃない。今も井伊谷は近藤の支配を受け、近藤は徳川の配下にあり、徳川は織田より弱い…というピラミッドはあるんだけど、直虎は「井伊の名のもとに弱い者を犠牲にする、人柱を捧げる」のをもうやめようと思った。

家康の勘気を覚悟して進言した忠次や、同調した忠勝、心を鬼にして信康を断罪した康政に比べ、これまであれだけ快進撃を続けてきた万千代が、なすすべもない、という姿を描かれたの、よかった。想像もしなかった大きなもの、理不尽なものを見て言葉を失うしかない、という経験を、若者はするよね。そのうえで来週どう動くのか。

そして信康の前に現れた家康。何もうつさない、光を失ったガラス玉のような目。阿部サダヲも照明や撮影もすばらしい! 断罪される信康を、まず母の瀬名が庇う。家康はピクリとも動かず、「奥は乱心した」と切り捨てる(ほんっとうに家康は、瀬名に対してひどい!)。続いて平岩親吉が白髪頭でいざり出て、「私の首で、どうかどうか」と平伏すると、家康が初めて首を動かし、その姿を視界に入れる。私の涙腺はここで決壊・・・! 

冒頭、長丸ベビーの傅役になりたいなりたいと、その役目を出世の階段くらいにしか思っていなかった万千代に突きつけるという意味あいもあるシーンなんだけど、モロ師岡の演技が迫真で・・・! 

平岩に続いて、岡崎の家臣たちが我も腹を詰める我も我もと言い出し侃々諤々となると、呆然としていた信康が立ち上がり、みなを諌めるのだった。

「私は内通などしておらぬ。こんなバカなことが通るはずはない。きっと疑いは晴れる。殿が晴らしてくださる。だから短慮は起こすな。血気にはやるな。そんなことでいいことはひとつもない。それこそ、しかけた輩の・・・敵の思うつぼだ。俺は必ず戻ってくる。」

信康役の平埜生成さんというんですかね? 一言一言に思いを乗せた、すばらしい演技! 何者なのでしょう(「重版出来」で社長の若い頃をやってた人だよね)。そして聞いているサダヲの表情・・・!

家康が救ってくれると言ったけど、信康は内心、もう戻れないと悟っていたと思う。あの涙に、父に縋るような、命を惜しむような色はなかった。家臣たちが自分に代わって死ぬと言う。「弱い者が強い者の犠牲になる」悲劇を徳川の中で起こしたくなかったから、信康は「地獄へは俺が行く」(彼の場合は天国か)と言ったのだ。徳川のために、家康が自分を切り捨てるしかないのもわかっている賢明な信康なのだ。そのこと、信康が最後を悟っていることを、きっと家康もわかっている。わかっていて、無言だ。かつて政次の助命を縋る直虎に一言の言葉も持たず、無言で去っていた家康が、今、信康を無言で見送るしかない・・・。




織田信長が徳川をこんなめにあわせるのが、私怨のためでも、加虐心やサイコパスでもなく、「徳川は味方として大事だが、大きくなりすぎると困る」という、非常に現実的な理由だとしたのがこの大河のすばらしいところ。そして、今は魔王然として力をふるう信長にもまた因果が巡ってくるのを、この回の明智光秀の登場によって既に明示したのも面白い。

おとわは以前、瀬名と竹千代(信康)が今にも今川に処刑されるという時にも居合わせてたよね(というか、会いに行った)。あのときは、家康が2人を迎えに来た。今度は・・・。てか、ここで氏真が絡むのかーーー! ものすごくみなぎるラストだったんだけど、信康事件の顛末は知っていますが、いったいどうなるのか全然読めん!!

ともかく今回は、於大の方とのシーン、そして最後の信康のシーンがすばらしかった。私の大河ドラマ史に残る名場面として刻まれました。脚本、長セリフの言葉のチョイスや流れのすばらしさ、栗原小巻と平埜さんの大河俳優ぶりもすばらしかったけど、やっぱり阿部サダヲあっての名シーンかと! 再来年の『いだてん』も早くも楽しみになります。いやもちろんその前に・・・来週・・・!!!!