『おんな城主直虎』 第43話 「恩賞の彼方に」

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万千代~! 自分できっちり断った~! 「色小姓という殿の威を借りず、実力で認められたいから」えらい、えらいぞ~! 「そ、そうか・・・」と、気を挫かれたのに(←演技がうまいよね!)、無理強いしなかった家康もえらい、えらいぞ~! 本心ですよ。なんだ契らないんだ、残念だわーなんて、ちょっとだけしか思ってませんからぁ! 

なのに、なのに、揉み合いになったら「殿のご寵愛をいただいたぞ!」って勢いで言っちゃう万千代~! なんてダメなんだww あの瞬間、他の小姓たちのズササァァァ!って引き具合すごかった。衆道をたしなまないはずの家康が?!ていう驚きもあるにせよ、“殿のお手付きの権勢” がどんなもんだか一目瞭然。

何だ結局そういうことにしたのか、と家康に言われて、一応すまなさそうにはするものの「面倒になったので…」って言い草がひどいw でも家康がそれを面白がるのもわかる。これで夜な夜な(?)万千代と楽しいトークタイムが過ごせるのも、ちょっと楽しいんだと思う。大所帯になってきた徳川家。家中の采配も、他国とのあれこれも面倒で肩がこる中で、才気煥発でかわいらしい顔の若者と話すのはひとときの楽しみだよね。


「それならそれなりの時間までいなければ」っていうのが、「俺はあっという間に終わったりなんかしないぞ」みたいな虚勢を深読みさせる(やめなさい))

それにしても、「殿のお怒りがお・よ・ぶ・ぞ♪」の小憎らしいドヤ顔な! ほんと、菅田将暉ハマり役だよな! ありあまる才気と向上心、15の子どもの根拠ない自信と素直さ、くるくるといろんな顔が万華鏡のように出てきて、家康が魅了されるのもわかる。先輩小姓たちが我慢ならないのもわかる~

その才気の描き方にも説得力がある。(あれだけジタバタ暴れた直後に)草履に名札をつけるのを思いついた子だから、恩賞の届出をマトリクスにまとめるアイデアが出てきても不自然じゃないし、名札づくりも草履シュートも武具の手入れも夜なべ仕事が描かれてきた。仕事ができる人って、往々にして、閃きや本質を見抜く力と、そして持続する集中力のすべてが揃ってるもので、万千代のちの井伊直政の描写として、とても説得力がある。

そんな超仕事できるヤツにして自信満々の万千代くんでも、「殿は見ている、わかってくれている、と思いたいのが下の者の心情」だと言うのも、先週の流れがあったから大変スムーズでしたよね。流れるような脚本じゃ~。

話は戻って、小五郎先輩の悔しそうな顔、すごかった。これは絶対、きっっっちりしっぺ返しくるよぉぉぉ・・・。イヤ~な想像しちゃったのはさ、直接的に被害を被るのは万福なんじゃないか?ってこと。小野ってそういう役回りだからさ・・・。万千代、イノを守れよな!!

万千代のただならぬ才覚について、「直感している榊原康政」「まさか、と信じ難い本多忠勝」「まだ蚊帳の外の酒井忠次」という四天王の差異も面白い。もう一人、本多正信は、玄関の殺人的ラッシュを万千代に救われる。水たまりを馴らす作業といい、草履番ヘルプといい、「評価を狙うわけじゃない仕事」もできる姿がはしばしで描かれている。井伊谷という領地領民から離れ、立身出世欲をアイデンティティとして育った万千代の、「無欲」の萌芽かもしれない。

地味で骨の折れる恩賞配分、それこそが自分のつとめだと言う家康然り、その家康に「井伊の“民”のことしか考えていない」と言われる直虎然り、このドラマでは上に立つ者こそ身を粉にして働く。それができなかった氏真や、気賀城主時代の方久はその立場を失う。反対に、家名を喪い農婦になっても、直虎は井伊谷の民たちの心の中で殿であり続ける。金がかかりすぎるとか面倒だとか揺れながらも、(政次が乗り移ったかのような直虎の口車に乗せられたりしてw)近藤も領主として踏ん張っている。直政もいずれ、上に立つ者として学ぶのだろう。

材木が盗まれた騒ぎから、盗人集団から切り出しのノウハウを習って材木を商おう、って話になり、その商いが元で大ピンチに陥ったのをうまく切り抜けたり、盗み騒ぎでかってた恨みで裏切られたり・・・。残っていたノウハウを生かして献上した500本が、かの長篠の戦いで使われたうえ、現場でも切り出し作業に従事し、井伊谷の二人が信長から高級茶碗を賜った、というのが前回まででした。

ちっぽけな井伊谷の材木バナシが歴史につながった!っていう驚嘆があったのに、そこで話は終わらなかった! 500本もの木を一度に失った山はどうなるか、って話ですよ。保水力が弱まって雨が降れば地盤がゆるみ、山崩れの危険が・・・。ほんと、言われれてみればその通りなんですよね。

木を切ったらその分、植えなければ・・・とはいうけど、忙しい時期にやってられないよ? 武家の都合で切ったものなのに、何でおれらがしなきゃいけないの? という村人の意見ももっとも。そこで甚兵衛、「山の神にそんなこと言っても聞いてくれない、自然は武家も百姓も関係なく等しく襲ってくる」とみなを説得してくれます。

それでみんなはがんばって植林するわけだけど、「自然は等しく襲ってくる」とはいえ、武家の都合の材木伐採に駆り出されるのも百姓なら、それで山崩れに襲われるかもしれないのもたいてい百姓たちだし、植林作業も…。それはやっぱり不平等なことだなあと思いますね。

苗木を買うとか、造作にかかる費用、もしかしたら人足手当も出すのかな? お金を出すのは地主(領主)側だし、何たって彼のゴーサインが出なければ始まらないから、直虎は「近藤の松だ」という。一方で、みなを説得してくれた甚兵衛に心から感謝し、「甚兵衛の松だ」とも言う。

後者により近い心情にせよ、でもきっと、直虎にとっては両方の気持ちがあり、もっといえば、後世の人が呼ぶ名前なんてどうでもいいと思ってるかもしれない。「明日にも今川館が焼けるかもしれない」それが現実になる月日を生きてきた。領主としての井伊家も潰えた。でも「わからんぞ、先のことなんて」という直虎の眉宇がどこか明るいことに、晴れ晴れとした気持ちになる。「わしにとっての殿はおとわ様」という言葉に、甚兵衛たち井伊谷の民と直虎との長い月日を思って泣けた。何にしても、直虎は、松に己の名を冠することなど考えもしないのだ。影の領主は無欲の領主。

甚兵衛も逝去し、材木ネタは、これで本当に終わりなのかな? こうなったら、最終回までもっともっと見たいのだけど!!




ここで、万千代と信康が対面しとくのね~!と、またガクブル((((;゚Д゚))))
信康はどうやってこんなできる人に育ったんだ~!