『おんな城主直虎』 第39話 「虎松の野望」

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新しい物語の始まり。その中心にある虎松の躍動感! 躍動感っていう言葉でいいのかどうかちょっと迷うんだが、あの顔芸w 先週のあさイチ・プレミアムトークで、その美少年ぶりを「国民の宝」なんて称されてた役者だと思うんだが、「え、春日…? 鬼瓦…?( ゚Д゚)」ってなったもんw ともかく、「井伊の赤鬼」正しく爆誕しました✨

とにもかくにも、この回だけを見ていても、虎松はそんなに単純な人物造形ではないと思うんだが、体当たりぶりに迷いがない、若いけれど十分なキャリアを感じさせる菅田将暉の演技である。

前回のラスト、挨拶の後の「おや、おとわさまどうかなされましたか」。ここで浮かんでいる不敵な笑み。質問調の言葉とは裏腹に、己の凛々しい若衆ぶりを己で承知しているひとコマだった。豊かな井伊谷の采配をふるっているのがおとわだと知ると鬼瓦になるのは虎松の幼さでもあり異様さでもあるw 感情が強いだけじゃなくて、沸点に達するまでが速すぎであり、他者から見ると謎タイミングw そしてそれに慣れている亥之助ww

TLでも言われているとおり、虎松は井伊の人々のハイブリッドで、直親の美丈夫ぶりとモテ(と、人でなしw)、しのの激情家ぶり、おとわの発想力や実行力そしてカリスマなどを引き継いでいるのだろうが、それだけでなく政次も彼の中に息づいている・・・と示す、「ド接近で懐柔」シーンであったw 六左、恍惚とした顔をするんじゃないww 井戸の底に眠る無念の人々の中に、但馬の名もちゃんと連ねる虎松である。

「(笛よりも)絵が上手」という設定は史実に拠るものなのかな? 劇中でもどのように行かされるか楽しみ。松下の家の虎松の部屋、無造作な描き散らしの数々がよい感じだった。井伊から届いたお守りに「いける気がする」と虎松。めっちゃ少年ジャンプやなw 「勝負はあきらめなければいい」ああ、この子、但馬にだけじゃなく、直虎にも囲碁の薫陶受けてたよね!

松下の当主
「おまえはいい子だが才気走ったところがある。才気は時に、人に煙たがられる」。

正しい批評眼をもつ人物なのだな、というのと同時に、「井伊の人々の思いを胸にがんばってね」という直虎の送辞と比較すると、虎松の、“今の父”はこの人だったのだなとわかる、心のこもった訓戒である。しのさんも再嫁してよかったね、としみじみもする。

短い時間で人物(や、人物同士の関係)を表現する描写が相変わらずうまいのは、瀬名と信康の登場にもあらわれた。あ、その前に、南渓、おまえさんってやつぁ!(定例) でも、嫌いじゃないよ、その俗っぷり。虎松の「ますます頂戴したくなりました!」には、確かにみなぎったもん。

で、瀬名ちゃん。艶やか~! 眼福~! 扮装の美しさもさることながら、時代劇経験のさほど豊富ではない(と思われる)女優が存外に落ち着いたセリフ回しを見せるのは、『江』での水川あさみを思い出す。人品高貴で穏健そうな信康との親子関係も良好でありつつ、賢く采配を振るっている様子の瀬名ちゃん。家康もいの一番に「瀬名は何と言っていた」と尋ねるあたり、正室として軽んじられている様子もなくとりあえず安心した。まったくもってとりあえずでしかないけど。

家康の方も、子狸なりに貫禄がついている。家臣団の充実ぶり! 人数も、いい役者も、この最後の「立身出世編」のためにちゃんと予算を配分しておいたのね。プロデューサーの能力の高さがうれしい。たぶん妾のほうも質量ともに充実してるんだろうなっていう家康であるw 

そう、今回、時が流れてびっくりしたのは、家康がかなりまともになっていたこと。妾の膝でひとり懊悩もしていたが(笑)、瀬名の意を聞き、榊原の意を聞き、鷹匠にも並んで相談し、忠次に前もって案を打ち明けていた。殻に閉じこもるように一人で碁をうち、配下に暴走され、直虎に一言の言葉も言えなかった彼は、消えていなくなったように見える。成長なんだろう。でも、史実を思えばまだあれがあるからね…。

鷹匠のノブ。何かと思えば、ノブって、そういうことね~。六角精児はさすがに、油断のならない知恵者をうまく演じる。家康、ダブル本多など、昨年あれだけ魅力的なキャラクターが出てきたその翌年に、こうしてまた別のキャラクターが見られるなんて、大河の歴史でも稀なことだ(たぶん)。「賢さ」ひとつとってもバラエティ豊かに描かれるのがよい。榊原康政も賢くて有能そうで、「アクがないのがアク」って感じがして楽しみ。

そこへいくと、未だにキャラが謎なのは常慶だな。『ごち』ファンが愛する和田正人を配しておいて、こう地味なまま終わるわけはないはずだけど、『陸王』のほうにも出るらしいから、撮影のスケジュール大丈夫かしらん。と要らぬ心配。ええ、私もごちファンですから。

虎松と家康との出会い。

翌日には「ヌッ殺す!」になってたわけだがw 初めて家康をあおぎ見た虎松は、ハッと感銘を受けた表情になっていた。確かに、虎松を見下ろす家康は、実に滋味深い表情をしていた(阿部サダヲ、さすがにうまい!)。話しかけるために身を乗り出すと、家康の顔に日がさす。

「井伊が千年、万年続くよう、福にみちるよう」万千代、万福という名付け。虎松も亥之助も、松下は優しく実母の愛を受けて育ったけれど、やはり影の人生だったのかなと思う。初めて日なたから声をかけられ、輝かしく祝福されて日の当たる場所に出た。今回冒頭「井伊がつぶれて○年」っていうナレーションが斬新だったよねw 主人公の家(曲がりなりにもちゃんとした家)がつぶれたあとも続く戦国ドラマ。

が、翌日の手のひら返しまで含めての佐渡・・・もとい鷹匠ノブの策なわけで、まじ性格悪いキャラがまたw 才気あふれる若者はさっそくやりこめられる。しかも歴戦のつわものぞろいの眼前で。「かくなる上は、日の本一の草履番となってみせます!」 すばらしいね、すばらしい。草履番からの出世って、正しい戦国立身出世ストーリーだろう。ここからジャンプ漫画 井伊直政の大河ドラマが始まるんだね!

草履番宣言をする虎松を見て、みのすけがおかしくてたまらないというように哄笑していたんだが、「よからぬことを主君の耳に吹き込んだ側近が悪い」のような捉え方はせず、ストレートに「家康ヌッ殺す!」になるのが虎松の大物っぷりである。「血の一滴残らず狸汁にしてくれるわーーー!!」こういう悪口にちゃんと工夫がある(そして過激w)なのも、森下さんの脚本だわよねw

才気あふれるこざかしい若者の立派な口上、ここからが井伊万千代の人生なんだな。
おとわは女でありしかも出家までしたにもかかわらず、誰もいなくなった井伊の領主になった。虎松は井伊の跡取りとして生まれながら、途中でその座を取り上げられたにもかかわらず、自分の意思で領主になろうとする。逆なんだね。2人は。

家を潰し名前を捨てたとはいえ、おとわの心の中にはいつも井伊の人々がいて、かしらよりも井伊谷を選び、領民の安定した暮らしのために陰ながら尽くし続けている。いわば「名を捨てて実をとった」わけで。

そこで「いや、実だけじゃダメだ、名もほしい、井戸の中の無念の人々のために」と、虎松は若さと才気で突っ走ろうとしているのだけど(早々に鼻っ柱を折られたのだけれど)、名を取り戻す意味ってなんだろう? 実だけじゃダメなのか?

というのを、今回めっきり分別のついた中年女の挙措になっていたとわとの対峙で描いていくのかな。楽しみ。

そして亥之助! 大見得きったあとしょげ返り、逆上する虎松・・・を窒息させんばかりにおさえつける亥之助。小野の者の役目だね~。虎松の足バタバタがたまらんくかわいい。彼のエキサイトに慣れていて、それだけでなくアンガーマネジメントを知っている(感涙)。才気あふれる虎松に亥之助が必要なわけがよくわかる作り。度胸やオーラがあるのは虎松だけど、亥之助は決して追いかけるだけの従者じゃないんだよね。囲碁での対局。「そうきましたか」と笑っていた。一方的に負ける間柄ではないということ。

度を超えてワーワーいったあと、「名前の札が・・・」と具体策を思いつく。この喜怒哀楽や、理性と感情など、境目を一瞬で飛び越えて見せる七変化が虎松なのだね。