『おんな城主直虎』 第37話 「武田が来たりて火を放つ」

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TLでもさんざん言われてたけど、“とわ”の美しさが尋常でない!!!!

次郎法師→直虎(「我が井伊直虎である!@辻が花の着物)へのクラスチェンジも印象的だったけど、ほとんどすべてを失って直虎→とわになったタイミングで額を出し髪を伸ばすのだねえ。ああ、うまい演出。女たちに混じって農作業をする姿の異物感がすごい。視覚情報だけで「なんか違う」と感じさせる。

龍雲丸との生活も同様で、こちらは美貌レベルがしっかり釣り合っているのにもかかわらず、ほんの短い時間でも「コレジャナイ」感が漂う。唐突すぎる方久-あやめカップルの「そういわれてみれば何かしっくりくる」と対照的であるw

なにか、暗さが根底にあるんだよね。一緒に暮らしているのだからいわゆる夫婦生活なのだろうに、とわはいまだに「かしら」と呼んでいる。それは本当の名前ではないのに。龍雲丸のほうも異議申し立てしてない。母が認める仲であっても、他の女との姿を見て顔をゆがめ、山芋で殴るくらいのことはしても(それにしても山芋で殴って折れるっていう描写は大河でも珍しいなw)、薄闇の縁側で男が女の髪の毛を梳くような艶めかしい場面があっても、やはり暗さを見てしまう。

(政次との夜の場面は“清く正しい囲碁に尽きる”だったわけで、同じく夜の縁側で俗世に戻ったことを象徴する髪の毛を梳いているという描写は、龍雲丸ととわの関係を強調してるよね。セクシ~)

とわと龍雲丸が出会ったとき、2人のシーンは明るかった。ドラマ本筋のしがらみを忘れられるような、屈託のない2人の関係だった。それが、互いにボロボロに傷ついて、互いに寄りかかるしかないというところまできて一緒になった。切ない。

武田が攻めてくるだんになり「一刻も早く堺に発とう」と言って、迷うとわを急き立てて気まずい雰囲気になる…というのがありがちな作劇だと思うんだけど、このドラマでは「早く行け」を和尚が言い、龍雲丸がそれを遮ったのが何ともホッとしたなー。

なんだかんだいって、危機となると生き生きして見える2人である。直虎ちゃんの男装2回目ありがとうございます。ほんとうに、絵の世界から飛び出したように美しい人ね!

慣れた風情で逃散する井伊の領民w 以前、自分がやられた手を使うおとわw 足をひきずりながら寺にやってきて文句言って去っていく近藤@橋本じゅんの演技が、さすが舞台役者って感じだったw

劣勢必至の徳川勢として戦うか・・・武田に帰順するか・・・去年に続いて、美しい大義などではなく、中小国衆がどうやって生き残るかという話。「生き残るために逃げる」という、物語的には特に見るべきところのない近藤の選択が印象的に描写されていた。自らを「山猿」と称してもここで「三十六計逃げるに如かず」を諳んじる教養はあるのが近藤で、下働き女の高瀬にも礼を尽くす。そして「武田にはつかない」というせめてもの抵抗であり誇り。

之の字の「ここが落としどころでしょう」もよかった。みんな少しずつ成長しながら戦国を生きている・・・!

で、三方ヶ原の家康である。思いきり笑わせに来たw 

「遠江を武田に割譲して和睦を結ぶ、織田にはしばらく黙っていてもらう」というドライな案を出す家康がサイコー、そういうセリフをきびきびとこなす阿部サダヲがサイコー、そのタイミングで佐久間信盛が入ってくるw 

ひきつった顔での「えいえいおー」から瞬時にドリフ的な汚れ顔で大敗北での帰還場面に転じ(爆笑)、放屁の音までで「わかるやつにだけわかればいい」な描写にとどめず、焼け糞そして酒井忠次の太鼓、しかみ像まで全部やりきったw くどいなww みのすけに尾美としのり、そして高嶋政宏と、役者がそろっているのでとにかくおかしかったw