『おんな城主直虎』 第32話 「復活の火」

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いろんなことが因果応報。そして人間とは業深い生き物。
というのが徹底されている森下佳子ワールドが結実していく政次編ラストであります。
 
直虎からの書状で彼女の策を読んで、「なんと面白い! 早く会ってみたいものじゃ」と言う家康。このドラマで初めて家康のポジティブな面を見たような。面識のない相手の奇策を面白がる好奇心を持つ人物。そして直虎が女領主であることに偏見を持たず無邪気に評価したのは、作中、彼が初めてなのでは。よっ、ニッポン1の豆狸!
 
でも、でも。家康は前もって井伊谷三人衆まで調略するという行き届いたところを見せたのに、それを徳川で誰よりも喜ぶはずの瀬名が、小野について暗いイメージを家康に与えてしまう・・・。でも瀬名にとっては母の因縁の相手、しょうがないんだよね。
 
三人衆と目通りしてきびきびと起請文を求める家康、近藤の言を受けて顔を引きつらせる家康、馬上考え込むような風情の家康、阿部サダヲの演技にいちいち含蓄があっていいわー。
 
これまでの2人の集大成にふさわしく、バラエティに富んだ、直虎と政次の囲碁シーン。殿様気分を味わいたいと嘯いてタメ語で喋る政次、それに乗って臣下の礼をとる直虎、けれど互いに慣れない挙措は長くは続かない。無事に策が成って徳川の国衆となったのちも、そのまま政次が領主をやったほうがいいのではと直虎は言い、政次はそれを止める。百姓にも商人にも、盗賊にまで慕われる領主がこの日の本のどこにいるかと。
 
「下りることなど許されない」それは、当初、(本来おとわを危険から守るためになのだが)「後見を下りよ、下りよ」の一辺倒だった政次からの、直虎への最高の肯定だ。でも同時に領主たることは直虎の人生の「業」だとも言っているように思った。適性を持ち、すでにいくつもの行動を起こしたものが最後まで引き受けなければならない業。
 
涙で視界をにじませる直虎に、政次は囲碁セットを持って縁側に出る。青白い月の光の下が、政次にとってのせめてもの「光」である。月明りの下での場面は、シームレスになつとのシーンに移り変わる。「戻ったら一緒になろう」と、これ以上ないほど典型的な「死亡フラグ」を立てる政次(笑) 
 
事が成れば直虎が還俗できるが?と尋ねるなつ。「自由奔放なおとわ様がうらやましく、殿をされている殿が好きだ。身を挺してでも守りたい。でもそれとはまったく別の意味でおまえが必要。手放したくない」 くーっ、ばか正直に喋ればそれでいいってもんじゃないんだぞ、ばか!!という森下佳子が描く男キャラだな政次。でも、こうやってばか正直に喋れる相手だから、なつが好きなんだよね。おとわの前ではそれができないから。
 
ばか正直な男の誠実さをなつは抱きしめる。
でもさ私は思った。政次は帰ってくるつもりなの? この件が終わったあとも命があるつもりなの?

前々回の、関口の前に直虎を引きずり出し、井伊をのっとったときに。見ず知らずの子どもを虎松の身代わりとして殺したときに、「この命に代えて井伊を守る」と思っただろう。「地獄へ行く」とも言った。もはや人としての道を生きられないと覚悟した。
 
それでも「一緒になろう」「おまえを手放したくない」と言うならば、人間の業って深い。どんな覚悟をして罪の意識があってもなお、「生きていたい」「幸せになりたい」と願う。
 
あるいは、もはや命が短いのを悟ったうえで、せめてひとときだけでも、自分のような男を慕ってくれたなつに報いるために、あんなことを言い出したのだろうか。来週、わかるのかな。
 
近藤がまさかこんな爆弾しかけ男になるとはね…。でも振り返ると無理もないんだよな。そして近藤だけではなく之の字だって政次を信用してない。「信用されないだけのこと」を政次はやってきたのだ。それは本当はいつだって井伊のためだったけれど、「騙す」とはそういう恨みを買い、信を失わせることなのだ。業が深い。