『おんな城主直虎』 第24話 「さよならだけが人生か?」

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おとわがまともな策を考え、政治を心得た発言をすると、「もうおとわはおらんのじゃのう…」と遠い目になる南渓和尚。ということで、直虎立派な殿として出来上がりつつあることが強調された今回でしたが、それをけしかけるっつーか、「女子にこそあれ次郎」を始め、おとわを直虎にした大人たちの一人が南渓、アータよね?! そこんとこわかってる?!と問い詰めたくなるのでした。呑気にさみしがる無責任さが、いかにも佳子さんの書く男性キャラだ・・・。
 
互いに好もしく(男女の情、というより人間同志として面白く、という感じか)思っていたのにもかかわらず龍雲丸が直虎のもとを去っていったのは、直虎が井伊という武家の「殿」だから。一方で、一生懸命つとめてきた結果、家中のみならず他家でも「殿」として認められつつある直虎は、けれど女だから「直虎様ならあの方に嫁ぎたいと思いましたか?」などと尋ねられる。男の殿なら絶対に聞かれない質問だよね。
「殿だから」去られる。「殿なのに」女子としての質問をされる。直虎の人生はやはりハードなのである。
 
海老蔵の信長、登場。扮装もだけれど声とセリフ回しがまた何とも。どいつもこいつも人間くさい登場人物だらけの中で、屹立する虚像っぽさ、実在感の薄さだった。また出るのかな?
 
そんなエビ様信長にびくびくする阿部サダヲの演技はもちろん絶品で楽しめるんだけど、久しぶりの家康-瀬名の場面が今回、けっこうな衝撃で。夫の久しぶりの訪れに鮮やかな口紅をさして迎える瀬名。「そうしていると竹千代の父上みたい」持って回った口ぶりの皮肉。「我らは何度この話をしているのか…」悲しみを口にしながらも、夫を膝に抱く仕草は艶めかしくて・・・・なんちゅー馴れ合いじゃ!!
 
瀬名は諦めや絶望に近い気持ちを抱きつつも、夫を慕い、恃みにしている。するしかない、というか。切ねぇよ~。大今川の太守さまの正室の座を夢見ていて、家康なんて歯牙にもかけなかった誇り高き瀬名さまが・・・。
 
 
あの短い場面で、家康がよそにも女をもっていて、甘え上手で、でも女に溺れたり操られたりするのではなく主導権はしっかり握ってて、そこには男らしさというよりちょっと酷薄さが漂っている…というのが伝わってきて、脚本も阿部サダヲも(そして受けの演技の菜々緒も!)すごいのであった。
 
でも、家康の酷薄さは彼自身の権力志向につながるのではなくて、彼は家臣など周囲の者たちにまつりあげられそそのかされ急き立てられて国盗りレースに参加している、ということだよね。そして「もっともっと強く」と望む一人には瀬名も入っている、というのがまた、作家の容赦ないところよのう。
 
前作「真田丸」の内野家康と、小心で怖がりなところはちょっと似ているけれど、なかなか情の深かったあちらに対して、こちらは酷薄。幼少期からの人格形成を大事にする森下脚本だから何となくわかるんだよね。家康は長い人質生活で、人の情愛から遠いところで育ってきたのだ。そういうところは直親と少し似ている。
 
「周囲に求められて否応なく殿になった」という面では家康と直虎も似ているのだよね。でも直虎はさまざまな情愛に包まれて育ってきて、そのため今もきわめて有機的に家中の者たちと結びついている。という面では、対称的。女だし僧でもあるので性愛に縁がない直虎と、これから山のような側室をもち子どももたくさん産ませる家康、という面でも、対称的だね。
 
で、立派な殿になりつつある直虎が、暇をもらって下がろうとするたけに対して昔のように渾身のダダをこね、やたらめったら泣いたりわめいたりしてきたたけがニッコリ笑って「とわ姫様じゃ」と・・・・こんなん泣いちゃうじゃねーか!! たけを乗せた馬を引く直虎の仏頂面が見事な子供っぽさで、それがまた泣かせる。それにしても、「井伊の屋敷でよぼよぼになって死ねばよい!」って、ひどいw 佳子さま節炸裂の言葉選びだなwww
 
“たけ”にそっくりな姪っこの“うめ”があらわれたのは、最初どういうことかわかんなかったけど(どんなに顔がそっくりでも当然ながら別人だから、たけの代わりになるわけはない)、それこそがキモなんだろうなあと今思ってる。男たちが次々に死んだあとに、女の直虎が「殿」になり、人手不足ながらも細々と井伊の命脈をつないでいるように、たけがいなくなってもうめがいる。中身は全然違うけど、そうやって人間は続いていく。
 
・・・というところで、さて政次はいつまでも独り者なのかーい?と思ったら、予告でなつさんからのバックハグきたぁーーー! そうこなくっちゃぁーーー!(ゲス)