『おんな城主直虎』 第21話 「ぬしの名は」

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まんをじして、「龍」の名が明かされる今回、森下さんの「人間と社会を見る目」が全開! その森下佳子ワールドにくらくらしつつ、同時に、「鶴と亀がなりを潜めていると、こんなにもスッキリというか粘着きのない展開になるのか・・・」とw 彼らがいかに面倒な人材であるか思い知ったw
 
アバンタイトル、いきなりぶつかられてその瞬間に財布を盗まれているという、幾千回も見たことのあるようなきっかけから事件が始まるのだが、盗みをはたらいた少年を追いかけるヒロインのしつこいことしつこいこと。この執拗さがいかにもこの作家で、まず笑ってしまう。
 
その後も、領主の地位を振りかざして盗賊団を脅そうとするも大笑いされたあげく、里芋(? ご丁寧に張り型の形じゃねぇかよw)を口に突っ込まれるとか、ヒロイン、しかも出家の身のくせに子どもを人質に取ろうとするとか、「はいはいはい、わかりますw」っていう描写の連続ですよ。
 
「直虎、かどわかされる」の報を受けた井伊家、わかりやすくキリキリする之の字・矢本悠馬くんと、ポーカーフェイスを保とうとするも全然保ててない政次・高橋一生の演技が面白い。「それしきのこと、どうして思いつかないのか不思議」って、明らかな八つ当たり。「おーおー、怒っとるのう~ 不機嫌よのう~」って猫抱いた南渓(もしくは真田昌幸)が私の頭の中で苦笑する。
 
百姓から年貢をとってる武家は泥棒も同然、とカシラ柳楽。「子どもでもわかる理屈でさあ」というセリフがいい。こういう、小気味いいセリフがひとっつも出てこない大河もあるのだ(沈)。
 
「それは井伊家の土地を貸してやってるから」
「だからなんであそこはあんたの土地と決まってるんだよ?」
「それは鎌倉の公方様から任されたから」
「だからそいつが泥棒の始まりだろ?」
 
あんたの祖先に“えれぇケンカの強い奴か調子のいい奴”がいて、ここからここまでが自分の土地って決めて、勝手にぶん取っただけじゃねぇか。
武家なんてのは、泥棒も泥棒。何代も続いた由緒正しい大泥棒じゃねえか!
俺らは武家やそこに群がってる奴らからしか盗まない。
泥棒から泥棒をし返してるってわけだ。あんたらに比べればかわいいもんだ。
 
「ある日、強い奴が勝手に決める」という、カースト制の起源。
「泥棒から泥棒をし返す」という、争いごとの起源。
 
古今東西の普遍の真理をカシラ柳楽が鮮やかに喝破してみせるのだが、そこでハッとするとか、ぐうの音も出ないほど落ち込むとかじゃなくて、
 
「おぬし、頭がいかれておるのではないか?」
というリアクションなのが、いい。人は、聞いたことのない論理が簡単に腑に落ちたりしない。
 
いかれる、ってのは以前は差別的だとして糾弾されたり自主規制したりする用語だったと思うが(筒井康隆あたりが抵触していた記憶)、この言葉を敢えて使ったのだと思われる。
 
それに対して、カシラ柳楽は「俺からいわせりゃあんたらのほうがよっぽどいかれてるよ」と、こともなげ。いいね、いいねー。
 
首をかしげながらも、直虎にとっては青天のへきれき、コペルニクス的転回をもたらすような概念の提示だった。いったん抱いた疑問をすぐに脇におくことをせず、いつまでも考え続けることができるのは、盗人少年を追いかけ続ける執拗さと、禅の命題に触れてきた素養があるからだろうと納得できる。
 
直虎がカシラに会おうとするのは、気賀で中村屋に言った「相見」ということになるんだろうが、あのときの説明で「直接会う」だけじゃなくて「直接会って“一体となる”」と言っていたのが妙~に引っかかるw 「邪魔者は退散して」と、南渓がお見合いのテンプレフレーズを吐くのも面白い。
 
寺に入ったばかりのころ、カブを盗んだ過去を告白し(あったな!そういうことが!)、「我もそなたも、人はみな等しく卑しい。それは生きる力でもある」というセリフが、もうこれだけで人間の正と負とを一体に見る森下節よな!と大きく首肯するとこなんだけど、そこからさらに
 
「しかし人として生まれ、卑しいことをせねばならぬのは幸せなのか?」
 
という問いを立てるところが禅っぽいし直虎らしいし、ぐいぐいきてて良い!
直虎が「だったら卑しさを見せずに住む世を作るしかないじゃないか」と言うに至って、今度はカシラ柳楽のほうが「よ?」とハトが豆鉄砲を食らう番なのであるw 
 
「われは泥棒かもしれぬがそんなの断じて認めたくない。だったら、認めずにすむ方法をとるしかない。つまるところは己のためだ」 
直虎は自分の頭で考えて自分の言葉で喋り、行動する。そして恩を着せない。
「相手も泥棒だから盗んでいいんだなんて大義ふりかざしやがって」「できることしかしないなんて、しみったれた男だな!」の攻め気も、カシラの琴線に触れたんだろう。直虎、お見事~。
 
見応えのある対峙から、ついについにの龍雲丸の名乗りでカタルシスにつながっていったけど、その瞬間、昭和の大河ドラマみたいなBGMが流れ出したあげく、大岩に飛び乗って龍の形の雲を見上げるカシラ、という昭和の大河ドラマそのものみたいな画がとられて、すっとぼけてんなあ~と笑っちゃった。
 
商人の町・気賀に龍雲党の巣があるのはともかくとして、ご領主さまが自分で財布を持ってるとか、井伊本体に身代金要求とか、いろいろ豪腕な展開だったけど、あの「ザ・昭和の大河」な雰囲気で、「うんうん、大河ってこういうもんだった」って思えちゃったわよw
 
その中で、直虎が泥棒とか人の卑しさ命題とかをいくら考えて、彼女なりに「新しい世を作る!」だなんて大河の決まり文句をぶちあげようが、結局は歴史の大勢に何ら影響を及ぼさないのは明白なんだけど、ちっぽけな井伊谷で、史実にあやふやな足跡しか残していない井伊直虎だからこそ、こういう自由な話ができるんだろうなとも思うし、ちっぽけな人間がちっぽけな頭で根源的な命題を考えてなけなしのベストを尽くそうとする姿を今この現代の大河ドラマという枠でやりたいという作り手の気持ちに私は意気を感じる。それは去年の「真田丸」にも通じることだけど。
 
柳楽優弥の“傾き者”な扮装はもちろん、演技がいちいち的確で気持ちよくて、何度でもリピートしたいくらい。「ゆとりですがなにか」でも感じたけど、力の出し入れを自在にできる役者なんだよね。基本的には余裕綽々で、直虎を揶揄するまなざしで芝居がかったような言葉遣いとかしつつ、時々、素で反応しちゃう感じがすごく面白い。
 
「武家なんてのは、泥棒も泥棒。何代も続いた大泥棒じゃねえか」の啖呵や、「龍雲丸だ」のすがすがしい名乗りもすばらしかったけど、「これが尼さんのすることかよ」のツッコミや間髪入れない「俺から見りゃあんたのほうがいかれてる」の返しの軽妙さもよかったわ~。またリピートするわ~。
 
龍に対して鶴がどんな反応を示すか、2人の対峙のシーンもあるでしょう。楽しみでしかたないですね~~~~~~~
 
怪しさをいったん棚上げしてる高瀬ちゃん。「武家に奪われてると思ったことのない百姓はいない」の言葉は率直で、怪しいは怪しいけどやっぱり心底怪しくはないというか、だから余計心配しちゃうというか。「新しい姫、古い姫」の呼称問題はやけに浮いてて、なんかの伏線なんでしょうね。気になりますね。