『おんな城主直虎』 第12話 「おんな城主直虎」

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先週あれだけあからさまなフラグを立てまくって、おじじさまたちとも妻子とも次郎とも別れを告げた直親だから、そりゃもう今週は退場するだけなのはわかっているのですよ。しかし、今川館で太守様(あるいは寿桂尼さま)と対峙するでも、戦場で華々しい名乗りをあげるでもなく、あんなふうにひそかに、あっさりと、ドラマの主要人物でもないキャラに暗殺される直親ご一行(泣)。こういう作家だってわかってるけど、本当に容赦ないです(泣)

 直親、死なないでぇぇぇー!!

はっきり言って直親めっちゃ好きでした。世間ではとにかく高橋一生がきてて、そのあおりを食らって直親には必要以上の逆風が吹いてて、サイコパスとか、そういう怖い言葉で分断されたりもしていましたが、彼はこのドラマ世界のほとんどすべての人物と同じく、運命に翻弄される、不器用な凡人の一人だったんじゃないでしょうかね。

検地のときに政次をドン落とした所業で悪名をほしいままにしましたが(笑)、奥山を斬った政次をしっかり庇ったことでその借りはきっちり返したように見えたけれど、結局は政次による「少々脅してやれば」で引導を渡されたことになるのかなあ・・・。

でも直親って結局、政次を心底から疑ったことは一度もなかった気がする。「自分と同じく父親のようになりたくないと思っているはずだ」なんて、ものすごく鋭い洞察ですよね。そして最後も、みなが政次の造反(というか、もともと“クロ”だったのでは?と)を疑う中、直親だけが「政次は井伊を守ったのだと思う」と言っていました。そしてまた、直親は、政次のおとわへの思いも見抜いていましたよね。

三浦春馬の出演作品って実はほとんど見たことがなくて、何年も前の(見た目の)印象で、綺麗な顔立ちで柔和で優しいイメージを持っていたけど、身長が高くて、ことのほか骨太な、迫力のある役者だと思いました。「美丈夫」という言葉がぴったり嵌る役だったなあと。

今回は、直親らの最期に泣き、しのさんに泣き、千賀さんに泣き、おおじじさまに泣き、もうずっとうわああああんという感じで、書いてたらキリがないんだけど、今作、財前直見の女優としてのすばらしさを堪能している・・・・。

感情の表し方が、非常にバリエーションある描かれ方をしてると思うんですね。幼い娘に対して厳しく諭したり、夫や兄の不甲斐なさにピシャリという場面もあったし、柔らかい愛情を示すシーンや、夫の首を見て耐える愛を見せるシーンや、しのの懐妊で不意に堰をきったような涙を見せるシーン・・・。そして今回の「直親、とわをつれてゆくでない!」ですよぉ。賢夫人の千賀さんも、あくまで凡人だというのがきっちり描かれている容赦ない脚本なわけだけど、それがいいのよねえ。

直平・新野・中野の3人衆の、いっしょくたに説明された最期も、門を出てゆく演出と共に、あっけなさゆえに心に残った。氏真に屈辱を受ける新野(その背後にいる政次)。「生き残るのにはコツがあるのでございますよ」なんて笑っていた、最後まで気のいい中野。そしておおじじ・直平の「逆縁にならずにすみそうじゃ」。

彼が言った「もしダメなら天命だ」という言葉が妙に心に残った。天命。これまで既に、井伊に連なる多くの者が非業の死を遂げてしまった。直満、直盛、奥山、佐名、直親(と従者たち)、直平、新野に中野・・・。それは天命だったとすると、今、政次と次郎が生き残り、政次は黒い仮面をまとった井伊の目付として、次郎は辻が花をまとう直虎として井伊にあるのも天命なのだろうか。それとも、異なる方法で生き残っている2人は、天命に抗おうとしているのかな?

悲嘆と悪酔いの中で、次郎は「亀にこの身を捧げる、亀の魂を宿す」と決意する。南渓は「女子にこそあれ次郎」と言う。次郎がこうなることは天命のようで、でも、苛烈な運命に挑戦する凡人の姿そのものでもある。政次も同様。ひとつ、覚えておきたいのは、初回の鶴の姿である。おとわの馬に飼葉をやったのも、さらには、「追いつめられて川に飛び込んだ」おとわを助けたのも、おそらくは鶴だろう。おとわは亀の竜宮小僧になろうとしていた、でもおとわの竜宮小僧は鶴だった。おとわ(と亀)にとってもっとも大事なものは井伊である。ということは、おとわは表の、鶴は裏の、ともに、井伊の竜宮小僧なんだろうなと思う。

「ご初代様」は伝説に彩られているけれど、きっとその人も、天に選ばれた存在ではなく、必死にあがいた凡人だったんじゃないかなーと思いつつ・・・ま、虎松の描かれ方はまだまったく不明だからね。2歳になった虎松くん。茫洋とした大器…かおバカさんかの紙一重、という雰囲気を漂わせていましたね。