2/26 毎日新聞 「長野パラリンピック 金メダリストの挑戦」
2/26付 毎日 #新聞、「長野パラ金メダリストの挑戦」すごく印象的な記事だった。以下メモ。マセソン(旧姓・松江)美季さんは大学1年生の時ダンプカーにはねられて脊髄を損傷。98年長野五輪ではアイススレッジスピードレースで3個の金メダルと1個の銀メダルを獲得した。→
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月7日
スポーツに取り組もうとするマセソン美季さんはいくつもの施設から車いすでの利用を断られた。受け入れたのは東京の国分寺市民スポーツセンター。当時の職員渡辺昭彦さんは、「障害を持った人の受け入れは初めてだったが、”来たい”という人がいれば受け入れるのが当然だと思った」→ #新聞
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月7日
長野パラで金メダルを手にしたとき、マセソン美季さんが思ったこと。「1個目はほっとした。友だちに見せるものができたと思って。2個目はトレーナーさんなどいろんな人たちに感謝の気持ちが湧いてきた。3個目を取ったとき、『私は次に何ができるかな』と思った」→ #新聞
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月7日
→マセソン美季さんは長野大会閉幕後、指導者を志して留学。トリノパラの金メダリスト・ショーンさんと再会し、やがて結婚。今はカナダのオンタリオ州で息子たち2人も共に暮らす。今はパラサポートセンターで働く。今月21日、国際パラ委員会公認のパラ教材を披露する記者会見があった。→#新聞
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月7日
→「障害者=かわいそうというネガティブな先入観を子どもに持たせると覆すのは難しいと感じる。自分も事故の直後は『車いすの女の子』というレッテルを貼られ、名前を忘れられていく気がした。今は車いすといえば、子どもたちはテニスの国枝慎吾さんや上地結衣ちゃんを思い浮かべるかも」→#新聞
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月7日
→家族で東京に来た時、長男が不思議そうに言った。「なぜ車いすに乗っているのはお母さんだけなの。障害のある人を全然見ないけど、みんなどこに行ったのかな」次男が「日本は技術が進んでるから全部治るんだよ」と応じ、美季さんは「ならお母さんも治ってるはずでしょ」と笑って突っ込んだ。→#新聞
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→オタワのデパートで買い物中。美季さんは幼い男児を連れた母親に話しかけられた。「うちの子が質問したいと言ってるけどいいですか」「もちろん」と返すと、「どうして足が動かないの」「車いすと自転車はどっちが速いの」と素朴で率直な疑問。一つ一つ答えると納得してハイタッチで別れた。→#新聞
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→美季さん「日本だと、子どもが車いすに興味を示しても『シーッ』とか『やめなさい』と言って立ち去りがち。すると子どもには『タブーなんだ』という印象が残り、次も聴きたいことを飲み込んでしまう。そして知らない間に壁ができてしまう。壁をなくすにはコミュニケーションが不可欠。」→#新聞
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→「勇気を出して『お手伝いできることはありますか』と言ってほしい。お願いしたり、断ったりもするけど、声をかけてもらえれば、その人にとってそこは居心地のいい場所になる。お金をかけなくてもいいから、声をかけてほしい」→#新聞
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月7日
→美希さんは講演などで学校を訪れると「質問には正しいも間違いもない」と話しかけ、子どもが本当に聴きたいことに答えようとする。「事故を起こした運転手と話したいですか」と聞かれ、「私は幸せな生活を送っているので安心してほしいと伝えたい」と答えた。→#新聞
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→メダリストの登場にはしゃいでいた子供たちは、話が進むにつれて真剣なまなざしになった。別の学校では「障害のある人が社会で活躍できないのはなぜだと思いますか」と聞かれ、日本では車いすに乗っているだけで能力がないとみられる。私を見る前に車いすを見るのが問題だと思う」と答えた。#新聞
— エミ-emitemit (@emitemit) 2017年3月7日