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3/5 毎日新聞 教員遺族、語り継ぐ ~ 大川小「無念と責任」胸に

世の中

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当時、つらすぎて、あまり見れませんでした。
児童74人と教職員10人が津波にのまれた、石巻の大川小学校のこと。

「なぜ大川小だけ犠牲者が多いのか」
我が子を失った遺族の多くは真相究明を求め、損害賠償訴訟にもなりました。...
昨年10月の判決時には、遺族の男性が「勝訴」「学校・先生を断罪」という横断幕を掲げたといいます。

でも。
子どもたちを救えなかった、そんな大川小の先生にも子どもがいたのです。
考えてみれば当たり前のことだけど…。
3月5日の新聞に載っていました。

当時中学3年生だった奏太さんは、卒業式を翌日に控えた教室で被災。
高台にあった学校で、停電の中、親の迎えを待っていました。
友だちが1人、また1人と帰っていく中、心細さに耐えながら夜を明かし、町職員の母と会えたのは16日の夕方。
大川小の教員である父も、どこかに逃げていると信じていました。
けれど、泥の中から児童の遺体が相次いで発見されていきます。

彼は遠い高校に編入。被災した同級生が少ないため、
父のことを話すと周囲は気を使うだろうと口に出せず、
本当のことをわかってもらえないつらさにふさぎ込みがちになりました。
夏休みにNPO法人の研修に参加したり、
復興支援で関東などから来た大学生の学習ボランティアと話したりすることで、少しずつ心が軽くなり、教育大への進学を決めます。

同じ大川小の遺族でも、「児童の遺族」と「教員の遺族」には壁がある。

大学生になると震災を語り継ぐボランティア活動を始めましたが、
「教員の遺族である自分が語っていいのか。児童のご遺族はどう思うだろう」
という不安があったと言います。

昨年5月、奏太さんは、亡くなった児童の父・佐藤さんとfacebookで「友だち」になり、9月に初めて対面。
佐藤さんは「最初は先生たちのことを恨んだけれど、いろいろとわかり始めて、先生たちも同じ被害者だと思えるようになった」そうです。

12月、2人は教員をめざす大学生を大川小の被災校舎に案内しました。
「父もきっと無念だったと思うし、その瞬間を考えたら苦しいですが、子どもたちの小さな命が失われた事実とつらくても向き合わないといけないと思い、ここまで来ました」

記事を読んでいて涙が止まりませんでした。
たくさんの命が失われたことはもちろん悲しいし、
学校で子どもを亡くした親御さんの気持ちを考えると胸が張り裂けそうになる。

そして、お父さんが津波で亡くなったのに
「悲しみを表現していいのか」
「自分が震災を語っていいのだろうか」
と思い続けて高校・大学時代を過ごしてきた子がいるという衝撃。

自分は何ひとつ悪いわけじゃないのに、「つらくても向き合わなければいけない」なんて…。

この奏太さんだけでなく、亡くなった先生たちの家族はたくさんいる。
もちろん、大川小だけじゃなく、私たちが知らない、想像できない苦しみは数多くあるのでしょう。

被災を免れた私たちには、どうしても、だんだん遠い記憶になっていく。
そんな6年間も、ずっと苦しみを抱え、葛藤し続けている人たちもいるのですよね。
特に、子どもたちが苦しんでいることを思うと・・・。
福島から避難してきた子がいじめられる、なんてニュース、つい最近もあったよね。

毎年この時期になると震災関連の番組等が増えることに対して、批判や不快感を示す人もいるそうで、確かに安易なお涙頂戴番組は良くないと思いますが・・・
テレビも見ない、新聞も読まないということも珍しくない今の時代、
3月11日も、自分の慌ただしい日常に追われて、何の感慨を抱くこともなく過ぎていく人も多いんじゃないかと思ったりもします。

ちなみに今日3月10日は、10万人以上が亡くなったといわれる東京大空襲の日です。

 

facebook投稿より転載)