『床下の小人たち』 メアリー・ノートン

 

床下の小人たち―小人の冒険シリーズ〈1〉 (岩波少年文庫)

床下の小人たち―小人の冒険シリーズ〈1〉 (岩波少年文庫)

  • 作者: メアリーノートン,ダイアナ・スタンレー,Mary Norton,林容吉
  • 出版社/メーカー: 岩波書店
  • 発売日: 2000/09/18
  • メディア: 文庫
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ジブリの「借りぐらしのアリエッティ」は未見だし、この原作も未読だと思っていたけど、呼んでいると何だか知っていたような、懐かしい感じがした。もしかしたら子どもの頃に読んでいたのか? それともこういった名作にはどこか共通した匂いがあるのかな。

子どもの頃に読んでいたら、床下の小人たちの暮らしのディテールにどんなに胸を弾ませたか、容易に想像できる。椅子は糸巻き。壁を飾る絵画は郵便切手。マッチ箱で作ったタンス。(人間の)台所の湯沸かし器の管に空けた穴から出て来るお湯…。

こういうディテールに惹きこまれるのよね。床上の人間の家も、床下の小人たちの家も、まったく細かく描きこまれていて、精巧な間取り図やインテリア、生活のためのインフラをあらかじめ精巧に構築したうえで書かれているのだなあと感心する。大人になった読者の心もつかまれます。

とはいえ、大人の私は悲しいことに、まるきり子どもの感覚では読めない。大人の目で読んでちょっとびっくりするのは、

このお話には、立派な大人が1人も出てこない! 

子どものために書かれた物語だっら、子どもが安心できたり、「こんなふうになりたいなあ」と憧れたりできる大人がいそうなもんなのに。

出てくるのは、小言が多く、人を見る目もちょっと斜めなお母さん。穏やかだけれどあまり威厳はなく、年齢を重ねて「借り」仕事にもちょっと衰えが見えるお父さん。お母さんいわく、かつて同じ屋根の下で暮らした小人たちは、みんないばり屋だったり低俗だったり。人間の大人、ソフィおばさんは酒浸り。アリエッティたちのラスボスになる料理人のドライヴァおばさんは、神経質で意地悪で、いいとこなんかひとつもないくらいの描かれ方だ。

そんな中でも、アリエッティは、おしゃまで、知恵もあって、面白い女の子に育ってる。工夫して作られた床下の家は居心地が良さそうだし、ちょっとした楽しみもある。両親は欠点もあるけど悪い人じゃないし、一生懸命に暮らしを立てていて、一人娘のアリエッティを愛してる。世界は完ぺきじゃなくてもいいんだよね。

それでも、それでも!
お父さんのポッドが  “人間に姿を見られてしまってさあどうしよう”、となったとき 、アリエッティが吐き出した淋しさが痛々しくて胸に刺さった。

私はずっと引っ越したかった。
今の床下の家は、湿っぽくて暗い。
家族3人きりの暮らしは淋しい。

「私は閉じ込められている」と子どもに言われたら、親はすごくつらいだろう。
だけど、アリエッティが言う「私は閉じ込められている」は希望につながるのだ。

ここは暗いから外に出てみたい。
他の人や動物に会ってみたい。

親がどんなに「世界は広い、世界は危険」と言い聞かせても、アリエッティはおそれない。
狭くて暗くても、工夫や愛情や知恵のある暮らしが、子どものの冒険心を育てた。

床上に行くことを初めて許されて、胸がいっぱいで眠れないアリエッティ、
床上に出ると、父親から離れてどんどん行ってしまうアリエッティ、
太陽の光や、風や、花を見て感じるアリエッティ、
人間の男の子とどんどん話しちゃうアリエッティに、ドキドキするけど、それ以上にワクワクする。

アリエッティと男の子との結託により、床下の暮らしは激変。「こんなぜいたくな、内緒の暮らしがいつまでも続くわけないな・・・」と、楽しい中にも不安の芽を感じながら読み進めていくと、案の定、ドライヴァおばさんの登場である。

小人たちの存在を知ったおばさんは、アリエッティたちをすっかり駆逐しようとする。一家はついに移住を迫られ、両親は打ちひしがれる。そんな、物語最大の危機にすら、アリエッティは「ついに移住できる!」と喜びに打ち震えて泣いているんである。この、頼もしさ!

床下を出た一家の消息は、想像で語られる。屋根もなく物資も乏しく危険な動物たちも多い、どんなに「ひんきゅう(貧窮)」した暮らしかと思えば、実は「すばらしい暮らし」だったはずだ、という。

そこで語られるディテールがまた、いい。アナグマの巣はいろんな部屋があってすてきな住まいで、野原ではイチゴや小鳥の卵、川では小魚なんかがとれて食糧も豊富で、先に移住していた人たちがたくさんいて子どもの遊び相手も事欠かず、あれだけ移住を嫌がっていたお母さんも、なんだかんだいって張り切って、生活力を発揮しただろうと。

物語の序盤で、男の子が語る「小人は、おこりっぽくてうぬぼれ屋、でも内心は怖がりで、こわがってるうちに、親から子、子から孫とだんだん小さくなって、身を隠して済むようになった」という説は、なんだか示唆的だ。恐れや憎しみが人を小さくさせる。排他的になり、閉鎖的にさせる(その果てに、争いや「英雄的な戦死」があったりする。男の子は長じて戦死したのだと、プロローグのうちに説明されているのだ!)。

だけど、小人の少女アリエッティは、好奇心と勇敢さで、「大きな男の子」と仲良くなる。帰ってこなかった「ルーピーおばさん」の話で外の世界の危険を示しながらも、「怖がっていたお父さんとお母さんも、みんな元気に楽しく暮らしたんだよ」という顛末は、まさに子どもたちが読むのにぴったりで、幸せなだけじゃなく、冒険したくなるような、わくわくする余韻を残す。