霜月の五 / 縄跳び編み / 米大統領選開票
●11月某日: 朝、友だちと一緒に歩いて登園。
幼稚園の参観に行ってきた。今日は「なわとび編み」3m10cmの布3本を自分で編みこんでいくというもの。
まず7色の布から2本3色を自分で選ぶ。月齢の低い(小さい)子から順に、人と同じ配色にならないように選んでいく。月齢の高い(大きい)子ほど、他の子とかぶらないように、注意力が必要。ちなみに息子はクラス17人中、2番目に月齢が高い
サクは、緑を2本、赤を1本選んだ。クリスマスカラーねw
全員選んだら、一人ずつ自分が選んだ布の色と数を発表する。「赤が2本、緑が1本です」。かぶってないか最終確認。3m超の布を、編みやすいように、1本ずつ、くるくる短く巻いていって一方を輪ゴムで留める。3本の布の端(輪ゴムじゃないほう)を揃えて、固く結ぶ。結び目から編んでいく
先生が手本をやってみせるのをじっと見てから始める。3m近くも布を巻いていくって大人には簡単だけど5,6歳児には難しい、しかも3本。集中力と持続力が必要。早さ、巧さを競うのではなく自分と向き合う作業。巻いたのを輪ゴムでくくるのも、やっとできた3本をまとめて結ぶのも難しい手指の動き
参観する親に対しては、前日に文書で「お母さん同士の私語は絶対におやめください。ちょっとした笑い声、”あっ”という小声でも集中力が途切れる原因になります。部屋の出入り、ドアの開閉も静かに。小さいお子様がぐずるときは、室外に出て落ち着かせてあげる等ご協力お願いします」と事前注意有り。
今日もまたその場で親に文書が配られて「難しかったりできなくて、怒ったり悔しくて泣いたりする子もいるかもしれませんが、自分で何とかしようとする力がついているはずなので大丈夫です。お母さんが近くにいて頼りたくなっていそうな子は、少し離れてみてくださいね」と再度の注意書き・・・
という経緯なので、こちらも緊張して見始めたけど、子どもたちはやや緊張した面持ちながら、みんなよく集中してて、楽しそうだった。ちょっと難しいから、歯ごたえがあるからこその面白さ、できたときの達成感ってあるよね。
驚いたのは、周りの子がどれくらいできてるか見まわしたり、参観してるお母さんを気にする様子でキョロキョロする様子が、みんなほとんどなかったこと。そういえば運動会の時もそうだったかなあ。年長も後半になってきたんだなあという感じ。
うちは小さな園で1学年1クラス、20人前後の子が基本3年間いっしょに過ごすので、そして園バスがなく毎日送り迎えをするので、自分の子どもはもちろん、他の子たちの変化や成長もすごくよくわかる。子ども同士も3年目ともなると互いに性格を把握しあってるので、気楽で結束力がある感じ
この、「よその子もよく知ってる、よそのお母さんお父さんもよく知ってる」状態は、現代人にとっては面倒くさい案件のようで、実は精神的に良かったりする。子ども同士が喧嘩したりのトラブルがあっても、その子のこともよく知ってて、親同士も普段から顔合わせてると、心証が悪くなるとこまでいかない
そして、我が子はもちろんだけど、3年間いろんな姿を見てきたら、よその子であっても成長は眩しく、感動するもんである。それを、20人分くらい見られるのはとても面白いこと。思うのはねー、こういう姿を見る機会を、夫も…世の父親たちも同じだけ持てればいいのになあということ。
輪ゴムで留めるだの3本を結ぶだの、大人にとっては苦もないこと。でも、それが子どもにとってはどんなに難しいか、難しくて面白いか、1年・2年前の参観とはまったく違う姿…そういうのは、こうやってツイートするのはもちろん、直接、詳しく話しても、やっぱり自分の目で見るのとは全然違って。
こういう姿を見ると、子どもって本当にすごい力を持っていて、小さくてもいっちょまえの主体で、それを尊重し大事にしよう、って気持ちに、すごくなる。それは、我が子にかわいい恰好させて愛でたりSNSに写真をアップしたりするのとは違う、「子ども」っていう種族への畏敬の念みたいな。
能力にしろ環境にしろ、個人差はいろいろあるから、スピードは一緒じゃない。いろんな要因で停滞する時期や、後退してるように見える時期もある。でもどんな子どもも成長していってる、上にあがっていってるんだよねーと思う。
決して子どもが人生のすべてじゃないけど、子どもをもった人間は子どものすごさ、面白さを存分に感じたらいいよねと思う。「子どもを大事にしよう」「すべての子が子どもらしい子ども時代を過ごせるように」「子どもの力を存分に発揮できる環境を」と、大人が尽力しないと子どもの環境は崩れていくから
参観があるから仕事抜けますとか、現代日本の男の人はなかなか言えないだろうけど、仕事って極論すれば他人でもできるものが多い。対して、今このときの我が子は今しかいないのになーと思う。共働きでも、仕事を調整して参観に行ったりするのは母親ばかり、って家庭が多いのも男女の非対称。
とはいえ、夫の会社もそうだが、子どもの入学式や卒業式は特休扱い、とかいう会社も増えてるので、自分らの子ども時代からは進歩してる部分もある。でもね、セレモニーや運動会みたいな行事も大事だけど、普段の集団生活の中の子どもたちを見る機会がいっぱいあったほうがいいと思うんよね
サクは割と集中力が続くほうだし、私の子にしてはなかなか器用っぽいので、巻くのも編むのもけっこうスムースにいってた。いったん帰り、2時にまたお迎え。・・・までの間、米大統領選の開票状況をちょいちょいネットで見る。トランプか!! 友だちが遊びに来るといい、歩いて帰宅。夜、子どもが寝た後も、ネットやらニュースやら、さすがにいろいろ見る。
ヒラリーが嫌われてるのは分かるんだけど、嫌われる要素のうちいくつかは、もし彼女が男だったらその性格や振る舞いでも問題なかったんだろうなと感じられるところがあるように私には思えて(というか、女であることで、その要素の持つ「嫌われやすい」のパワーが増幅されているというか)難しいなあ
白人の中高年男性で高所得層がトランプに投票したといわれれば、そういうことかと思う。
任期8年間のあとにトランプを呼び込んだという意味でオバマの政治にも問題があったともいえるのか、アメリカ大統領でもいかんともしがたい世界の趨勢ということか。でも結局はヒラリーが女だからってのも大きいんだよな、うーん
トランプ勝利で茫然自失となったアメリカ人たちのツイートを眺めつつ、帰宅の途に着く。世の中の半数は、寛容で共存可能な社会の実現にそれほど興味がないというキツすぎる事実。『ズートピア』がヒットするアメリカと、トランプが大統領になるアメリカは本当に同じ国なのだろうか。
とはいえ、寛容で共存可能な社会にほとんど興味がない、というのは、日本人もそう変わらない気がするけど…。しかしアメリカどうなっちゃうんだろうか。アメリカの映画や文学は、政治の影響を直撃しつつ変化するから、どんな作品が出てくるのかは本当に興味がある。
それでは私は私の行動を決める投票日にいつも賢明な投票をしてきたか例えば今日一日はどうだったか自分の未来のためを考えて選択しただろうか見栄や当てつけや反感や嫉妬や当てこすりのために自分の今日一日の時間という大事な一票を使わなかったか直後にあんなことさえしなければなあという後悔つきで
「この敗北は辛いものです。でも、どうか、正しいことのために戦う意義を信じ続けてください」−ヒラリーの敗北宣言より。特に若者への呼びかけ。 URL
TLに並ぶと、トランプに「すべてのアメリカ人にとってよい大統領にであってほしい」、女の子たちに「自分のチャンスを疑わないで」、女性たちに「支持されてとても光栄に思う」っていうはっきりしたメッセージを伝える英語メディアと、お決まりの… URL