『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』 加藤陽子

 

それでも、日本人は「戦争」を選んだ (新潮文庫)

それでも、日本人は「戦争」を選んだ (新潮文庫)

 

 

何年か前、網野善彦の『日本の歴史をよみなおす』に、“すべての日本人に読んでほしい!”というポップがつけられているのを書店で見て、「大きく出るなあ、でも気持ちわかるよ!」と思ったものだが、この本も同じ類のものじゃなかろーか。いや、この本じゃなくてもいいけど、自分の国の近代の歴史っていうのはやっぱりみんなが一定レベルの知識を有するべきなんじゃなかろーか。そのためにこの1冊、おすすめです!

中学生・高校生の歴史クラブ(そんなクラブがあるのね!入りたかったー)の面々に対して行われた5日間の集中講義を本にしたもの。講師(著者)からの質問を読んでしばし考え、中高生たちの時に鋭く、時に戸惑いながらの答えを読んでなるほどと思い、自分も講義に参加しているような心持ちで読める。

序章の引きがすごい。「9.11同時多発テロの後のアメリカ政府と、1932年:盧溝橋事件のあとの日本政府との共通点は何か?」 思わずハッとさせられるその答えを通じて、歴史を学ぶ意味を平易に提示する。

●戦争で勝利した国は、敗北した国に対してどのような要求を出すか? 戦争がもたらす根源的な作用とは?

第一次世界大戦でヨーロッパでは1,000万人を超える戦死者が出て、このような戦争を二度と繰り返さないようにと国際連盟が組織されたのに、その平和はたった二十年で破綻してしまった。なぜか?

など、本質的な問いが次々に示され、東西の歴史家や哲学者の言を引きながら解説されていく序章ですっかりこの本の虜になったあと、5つに章立てされる本編は、

1.日清戦争
2.日露戦争
3.第一次世界大戦
4.満州事変と日中戦争
5.太平洋戦争


と、それぞれ日本が近代に戦った5つの対外戦争がテーマになっている。それぞれにおいて、やはり鋭い質疑応答を繰り返しながら講義は進む。国内外の政治家、軍人、外交官、いろいろな資料や後世の研究などが縦横無尽に織り込まれているのだけど、(いかにエリート校であろうと)中高生に向けた話なので大変わかりやすく、それでいて読み応えがある。

とにかく、今でも義務教育で「平和授業」というものはあるだろうから、一応、日本人全員が先の戦争における空襲やら原爆やらの惨禍は知っているはずなのだが、それらを学ぶ目的は究極にはやはり「二度と繰り返さない」ことにあるはずだ。その目的のために、日清戦争から振り返るのがすごく有用だとこの本を読むとよくわかる。

日中戦争時の中国の外交官:胡適の「日本切腹、中国介錯論」という凄まじい理論や、満州事変後、国際連盟脱退までの“なし崩し感”、など、純粋に歴史の経緯を知る興味深さも多々あるのだけれど、大人になってからだいぶ年月が経った今、感じるのは、「戦争や震災などの特異な出来事が、長いスパンで人々や社会に影響を及ぼすものの大きさ」だ。

たとえば日清戦争の勝利は、国民に、有史以来、仰ぎ見る存在だった中国への蔑視感情を芽生えさせた。また、戦争が多大な需要を生むことを知り、勝てば莫大な賠償金が得られることを知り、台湾と澎湖諸島を手に入れた。

その経験は次の戦争につながる。が、日露戦争では8万人もの犠牲者を出しひどい増税に耐えながら勝利したのに賠償金が得られない。その忸怩たる国民感情は、日露戦争で辛うじて手に入れた満州への権益への執着心につながり、それは昭和になってからも続く。

アメリカは1906年のサンフランシスコ大地震、日本人は1923年に関東大震災の惨状を経験して、人々に「戦争への恐怖」“ウォー・スケア”が起こる。恐怖心は「移民に襲われるかも」などの感情を起こし、排斥運動が起こる。

世界恐慌から波及した昭和恐慌で、庶民特に農村は惨憺たる状況だったにもかかわらず、政治家は対処できなかった。そこにつけこんで庶民に寄り添う甘言を並べた「陸軍パンフレット」は人々の軍部支持、政治家失墜につながっていく。などなど…。

私たちは、「先の戦争」を忘れてはいけないという意識はあっても、明治や日清戦争というと、ほとんど自分たちと何も関係のない、隔絶された過去のように思いがちだ。けれど明治維新から敗戦までは77年。日清戦争から敗戦まではたった51年。明治に作られた近代の価値観や、日清・日露で勝った記憶やその言い伝えは、先の戦争に突き進む上で大いなる無意識の意識になったに違いない。

そのようにして歴史を見たうえで現代に戻ると、見え方はずいぶん変わってくる。戦争をしないためには、ひとつひとつをゆるがせにしないことが大事。中国や韓国をdisってる場合じゃない。人々は生活が苦しくなるとカリスマ的な救世主(ヒトラーだとか!)を求め熱狂するところがあるから、生活に根差した政治が大事。など、私は考えます。

そして、先の戦争というと「国のお偉いさんたちが勝手に決めて、国民はそれに騙され、巻き込まれ、犠牲になった」というイメージがあるのだけど、そういった側面もあるにせよ、それだけじゃないのだと知ることがすごく大事なのだと思う。この本でも最後まで、その点については触れられている。

天皇を含めて当時の内閣や軍の指導者の責任を問いたいと思う姿勢と、自分が当時生きていたとしたら、助成金ほしさに分村移民を送りだそうと動くような県の役人、村長、村人の側にまわっていたのではないかと想像してみる姿勢、この二つの姿勢をともに持ち続けること、これがいちばん大切なことだと思います。


朝ドラ「ごちそうさん」で、ヒロインのめ以子が戦死した息子について「あの子を殺したんは私です」と絞り出したとおり。

私たちが日々の政治に無関心でいろんなことを看過してるうちに、また隣人(隣国)を蔑むことで日々の鬱憤を晴らし溜飲を下げてるうちに、戦争を容認する雰囲気が醸成され、既成事実が作られていく。

そして、ひとたび戦時体制になれば、私たちは生き延びるため、自分が属する世界から排除されないために、戦争に協力するしかない。加害に加担することであっても。そういう危険性を知ること、過去に実際にあったことだと知るのって、すごく大事だと思うのだ。繰り返さないために必要な実務はそういうことだと思う。

「戦争は悲劇、してはならない」それは疑いようもなくシンプルな真理のはずなのに、人々は繰り返し戦争をしてきた。日本も、たった70年前までいくたびも対外戦争を選んできたのだ。その歴史の重さを知ることから始まるよね。