『虹の彼方に』 池澤夏樹

 

虹の彼方に (講談社文庫)

虹の彼方に (講談社文庫)

 

 

2000年春から7年弱にわたる月間『現代』での連載を中心に、その他新聞や雑誌への寄稿も集めたコラム集。余談だけど、現代の巻頭エッセイは、丸谷才一五木寛之~そしてこの池澤夏樹へと引き継がれてきたものらしいです(雑誌は2009年1月で休刊)。

目次を引用。

まえがき、あるいは政治の季節

・2000年~二十世紀最後の年
・2001年~世界の色調が変わった日
・2002年~われわれを追いつめているもの
・2003年~何が本当の脅威か
・2004年~国家の大義、政治家の嘘
・2005年~憲法の前に政治を変えよう
・2006年~暴力化する世界で

あとがき、あるいは7年の後に

 

目次を見てわかるように、時事を扱ったコラムが多い。そんなつもりではなかったけれど、「時代は政治の季節だった」と前書きにある。筆者が当時、沖縄に住んでいたのもある(のちにフランスに移住)。

フランスに住んで、子どもを小学校に送迎したり、市場で食材を買ったりという生活を書きながら、時事についても深い見識を述べる『異国の客』がとても好きだったので買った本書は、寄稿先の性質もあってか時事にみちみちたコラムで、続けて読んでいると多少暗澹とはする。目次を見てわかるように、NYの同時多発テロからイラク戦争、ヨーロッパでのテロも起こった時期で、もちろん沖縄の基地や憲法などの問題も取り扱われる。明るい話題は少ない。

でも、10数年前の時事を今読むって、「今の時事」を読むのとはまた違った感慨があった。良い感慨は少ないんだけど・・・。

2004年の8月「現代」に寄稿されたコラムを一部引用。筆者が予想する十年後、という文章。

 

「十年後」

(略)景気はよくならない。リストラに成功した会社ばかりが黒字に転化し、社会ぜんたいでは失業者が増える。中高年男性の自殺者は減らないし、未来に希望がないのだから出生率が下がるのは当然。

経済が低迷し、社会不安が増す。それに対して有効な策を持たない分だけ国は強権化し、内外に対して攻撃的になる。中では私権が制限され、外に向かっては資源と市場を確保するために武力の役割が強調される。

アメリカへの依存は変わらないが、そのアメリカは冷戦以来の影響力を大きく削がれていよいよ武力に頼るようになる。その傭兵として、やがて日本軍は中南米あたりでゲリラ掃討作戦を請け負うようになるだろう。

 

10年前の自分が10年後に明るい社会を予想していたわけではないけれども、これを読んだら「いや、そこまでは…。作家の警鐘、って文章だよねこれは」と思ってただろう。

実際は、この十年。秘密保護法が成立し、集団的自衛権の行使が閣議で容認された。緊急事態条項も勘案されている。自衛隊は、2008にインド洋での給油活動を開始し、2009年にはソマリア沖海賊対策で派遣された。ソマリア沖へは、「日本の船舶を海賊から守るため」「国益のため」の派遣。『中では私権が制限され、外に向かっては資源と市場を確保するために武力の役割が強調』の具体例では? 

そして『中南米辺りでゲリラ掃討作戦』・・・掃討作戦ではないけれど、アフリカだけれど、自衛隊は今、南スーダンに派遣されている。そこで起きている戦闘は政府によって「武力衝突」と言い換えられている。

先に引用した文章の後、筆者は「さらにそのあと、どうなるか」を書いている。

国民が硝煙の匂いに慣れた頃、ちょっとしたきっかけで起こった隣国との小競り合いが意外に大きな規模の戦闘になり、戦死者の数と共に軍の存在感は増す。原発の事故が起こり、被爆した周辺住民の封じ込めのために核戦争装備の兵士が出動する。


やーめーてー。

でも、「自国民の保護」「自民族の利益確保」のために武装・出兵し、戦争になった例は歴史上たくさんある。だから、本来、そのような事態を避けるために、非武装・非武力行使平和憲法が作られたはずだった。

そして原発の事故は実際に起きている。戦闘がなくても、天災によって、事故は起こりうる。天災はこの十年、頻繁に起きていて、これからもきっと起こる。

筆者は、別のコラムで、

「アメリカとテロリストたちは、世界を白と黒の単純な構図に分割しようとしている点、同じ」

と書いている。

しかし実際にはその間にたくさんのステップがあり、多様な意見があり、対話の可能性がある。国際社会は両者の間に入って平和の途を探るべきだし、宗教的に無色で、過去に中東に植民地を持ったことがない日本はその核になれるはずだ。

 

「対話の可能性」なんて書くと、ややもすれば、理想論どころかお花畑脳みたいに見られることもあるのかもしれない。でも、

「平和というのは手間の成果」

が筆者の持論であり、私はそれだけが希望だと思っている。白か黒かの二項対立に持ち込まない、というのは、昨今いろんな知識人や専門家やクリエイターが言っていることでもある。

日本が立つべきはアメリカの影の中ではなく、アジア諸国とアメリカ合衆国とヨーロッパと途上諸国のすべてから等距離の位置である。この位置に立つには、平和について、世界のあり方について、相当な哲学と構想力が求められる。その基点が現行の憲法九条だ。