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『真田丸』 第31話 「終焉」

大河ドラマ

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天下をとった男、華やかな席が似合う男がたった一人で、床の中ですらない「淋しい死」を迎えた。劇中、上杉景勝が「死にざまは生き方そのもの」というシーンがあったから(12話)、秀吉の死もそういうことだろうか。

個人的には、人間の晩年が必ずしも当人の人生の因果応報だとは思わない。そうだよね? でも少なくとも、秀吉は多くを殺してきたから万福丸のような男子の幻を見るのであり、だから秀頼が心配でならないのだと思う。ただ自分が天下をとって以後だけでなく、信長の命令でも秀吉は多くを殺した。それは断る余地のほとんどない行動だし、この時代の多くの武将がそうだっただろう。落首事件やキリスト教徒の処刑者の幻であると具体的に示さなかったのは、秀吉の行動の背後にそういった時代性を持たせる意図かなと思った。多くを殺した者が天下をとり、だからこそ天下人がもっとも孤独で、深い業や罪を背負うという戦国の側面。時代が移り変わらなければならない必然。

「家康を殺せ」「佐吉を助けよ」死を目前にしたそれらの言葉は相手に対する「呪い」となりうる。そういった運命の悲劇的な側面をとりあげていくこともできる。でもねぇ。生きていく中で、人間はいろいろな祝福や呪いの言葉を繰り返し受ける(あるいは授ける)のではないだろうか。その中で、誰かの人生の最期の時間まで濃密にかかわることは綺麗事だけでは決してすまないだろう、でも「それで呪われる」という筋書きはあまりに救いがないような気がする。

今作に限らず、ドラマの感想をネットで見ていると「(登場人物AはBに)呪いをかけられた」のような言葉で解釈している感想が散見される昨今だけど、そんなに簡単に人は呪われないよ、人と関わることでたくさんすてきなこともあるよ、って思いたい。

さまざまな人と出会い、かかわり、死や滅びや悔恨も見てきている信繁だけど、彼の中に多くの呪いが蓄積していって死に花を咲かす・・・なんてことにはならないっすよね、三谷さん。

・・・とはいえ、三成の滅びや、(三成でなく)家康が天下をとるにふさわしい人物であるという説得力も描かなければならないので、やっぱり作家は大変ですね。

小日向さんの秀吉は軽みと酷薄さ、そして老いをあますところなく表現し、全体に鬼気迫るものだった。フジ「HERO」で知名度を得た彼の二度目のブレークになっちゃったんじゃないのー? 小日向・鈴木京香・竹内結子の豊臣家は私の大河アルバムの1ページになったね。今回の茶々もすごくよかったよ。なんという繊細さ。

昌幸の私説・桃太郎が面白くてスピンオフで一寸法師とかいろいろやってくださいw ツイートもしたけど、登場人物に扮してというのはもちろん無理でも、真田丸関係者でスイッチインタビューやってくれないかなー。あまちゃんのとき、クドカン×葉加瀬太郎とかやったよね。岡田くんも官兵衛のとき出たよね。

吉野太夫が途中からニセ物になっていた、ていうネタは、あのとき限りだったらちょっと脈絡ない感じがするので、どこかで使われる気がしてて、さっそく出浦さま危うしになった今がぴったりなんじゃないかと思ったんだけどどうかしら。わくわく。

 

 

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