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『とと姉ちゃん』 第11週 「常子、失業する」(下)ツイートと追記: どんな人のどんな暮らしも等しく大事なものなのだと

ドラマ

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【おまけ】派生考など



























星野からのプロポーズを断り「とと姉ちゃん」人生を選んだあと、太平洋戦争期に突入するのかと思いきや、ここで森田屋が退場。ミッチー・唐沢の二大巨頭は戦後に登場かと思いきや、今から顔を出すようで、驚きの今週だったんだけど、すごく、すごく良かった。これまでの脚本が次々に実を結び始めている感。

そして退場時に、森田屋との暮らしが何だったのか、鳥巣商事での仕事が何だったのか、それが暮らしの手帖にどうつながっていくのか、ほとんどはっきり見えてきたのが何かすごくうれしくて、これから劇中は一番つらい時代になるけど、今後がますます楽しみになった。

ミッチー&唐沢以前・敗戦以前に見えたきたその「暮らしの手帖」思想(と勝手に命名)は、「生活の知恵・工夫」「丁寧で美しい暮らし」みたいなものより、もっと本質的なところまで掘り下げられているのが明らか。森田屋のガサツさやお下品さも、滝子とまつの意地っ張りで痛々しい当てこすり合いも、「守られるべき、当たり前の日常」だったのだ。誰のどんな日常も人生も等しく尊重されるべきもの。それを阻むのは、何?

真摯な作り手だと思う。

キャラ萌えに走らない正統派な人物描写にも好感がもてて、長谷川の描き方にその良さを痛感。受け売りばかりのようで、彼はその言葉たちを自分のものにしているんだな。だいたい、その知識を何かで読んだり聞いたりする(テレビはまだないよね)インプットの時間が彼にはあったということだよね。

傷ついた常子に、早乙女さんの「まっすぐに生きて。負けないで」は通じず、長谷川の「柳のようであれ」が響く。「柳のようにやり過ごす」。「負けない=何者かと戦う」のではなく、「日々の暮らしを大事にしながら嵐が過ぎるのを待つ」なんだろうな。ただ、ここからの嵐があまりにも大きいのを、後世の私たちは知っている…。