『とと姉ちゃん』 第11週 「常子、失業する」(上)ツイートと追記:どんな統制も超えるものがあるってカタルシス

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徳の高い顔して常子を褒めた部長はコネ入社のため平然と首切りを命じ、それを知った多田さんは常子を陥れる。ビアホールでは粗暴な男たちが常子を囲み、誰も助けない(多田さんは逃げる)。助けたのは、社会の底で生きていると思われるお龍。彼女の子分が夜道の常子を護衛する「自分とあんたとは生きてる世界が違う」。

森田屋ではいっそう仕入れが困難になり得意先も潰れ、宗吉が荒れている。君子の給料も差し止めに。不安がる家族に、自分が稼ぐから大丈夫、自分は恵まれている、と語る常子は翌日、解雇になる。部長にくってかかる常子。早乙女は目を背ける。多田は常子に許しを乞う。常子ははねのける。会社を去る常子に早乙女「まっすぐ生きても報われない時代。でも負けないで」。常子は悄然と「今は受け止められない」。

深川も不景気極まりない。材木問屋は陸軍から、肯定か買うの半額で木材を拠出するよう言われる。心労で倒れる滝子。商いの寄合では商売をたたむという者が続出、森田屋の最後の得意先もその1つ。まつは泣きつくがもちろんどうしようもない。そこで最近、家を空けることが多かった照代が「うちもたたみます」発言。照代の兄を頼って高崎に引っ込むことにしようと言う。自分だけが知らされていなかったまつは激怒し、移転を承諾しない。そこで明かされる富江の妊娠、相手は長谷川。

いやー、とんでもなく面白い週前半。

常子は理不尽な解雇に遭い、しかも同僚の心無い仕打ちまで知ってしまうんだけど、同時に多田も早乙女も「社会的弱者」であることが際立つ。自分が弱者だから、人を陥れる。人を庇えない。自分が生きなきゃいけないから。そこでさらにお龍たちが現れることで、「世界が違う」=「さらなる弱者」の存在が示される。彼らは社会システムの中にいる側からすると「どん底」の人間に見えるんだけど、ある意味社会システムの「外」で生きているから、システム内での力関係などは関係ない。だから常子を助けることができたんだと思う。

まっとうな商売をしてきた森田屋や青柳にも時代の波。社会の中で生きていれば誰もが弱者になりうる。社会の統制により人々は共に疑心暗鬼になり共倒れしていく。その裏でひとり奔走していた照代。まつに黙ってたのは道義的にひどくても、それもやっぱり生きるため。彼女は正面きってまつに頼む。切実に、何度でも。その強さがどこからきたか? ひとつには、富江のお腹の命である。こんな世の中で、人々の様々な欲望を統制している世の中で、2人は個々の欲望に忠実に「乳繰り合って」新しい命が宿っているんである。すごい。

もちろん個人は弱い。こんな世の中で、窮状にある森田屋に生まれて子どもが楽な人生を送れるか? わからない。弱者の再生産かもしれない。それでも、どんなときにも新しい命は生まれてきた。どんな時代でも、どんな紛争地でも。生まれる命のために人は奔走し、生まれてきた命は必死に生きる。月曜からの3日間、沈鬱な描写が続いたけど最後の1分のものすごいカタルシス! 人は社会システムのためじゃなく個々の人生を生きるんだ、っていう希望。