『とと姉ちゃん』 第9週 「常子、初任給をもらう」(下)ツイートと追記:不完全な作品が提示するもの

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何度も書いてるけど、そしてツイート見れば一目瞭然だけど、私はこの物語の底に流れるもの、提示したいもの(と私が想像しているもの)が好きで、今2016年の日本の朝ドラでやるのがとっても意義深いと思っているので、基本的にとっても好意的な目で見ています。それを「好きだからって下手くそなものを褒めるなんて」とか「こんなものを擁護して」と言われると、えーっと好きなものは好きですが好きって言っちゃダメですか? 嫌いなものを嫌い、と言うのとどこが違いますか? と思うんですが、それはそれとして、批判意見には、「あー、そういうふうにとる人もいるだろうなー」と思ったり、確かに演出がちょっとねーってところもあったりします。


こういう不完全なドラマって価値があるなーと思うのは、感想が賛否両論・百花繚乱で、そこに、その人のものの見方や考え方、経験論が色濃く反映されるんですよね。たとえば『真田丸』のタグでは、ドラマの面白さにしたがって、あらゆる面で鋭く、深く、ウィットに富んだ感想が飛び交っていて、これも読んでいて読み飽きないのですが、ほとんどが好意的スタンスに立ったものだし、何せ物語の強度がすごいので、その人自身が見える余地はほとんどありません(せいぜい、この人いつも文章がうまいなーとか知識が豊富だなーとか読解力すごいなーとかいうぐらい)。あさ来たもまあ、皆さん割と似たような捉え方をしてるんだな、という感じで、それとは違う捉え方をしていた私としては、刺激されるツイートは相対的には少ないものでした。

そこへいくととと姉ちゃんは、これを見てそういうふうに感じる人がいるんだねー、とか、私はこう解釈したけど同じ人けっこういるねとか驚くほどいないねとか、とにかく「へぇーっ!」と思うことが多いです。そしてそこから考えが広がることが多いです。私は情報番組ってほとんど見ません。あさイチもワイドナショーも、ネットのナントカ小町もほとんど興味がありません。でも世の中のことには興味があります。私は、物語を通して世界を見て考えること、そして物語への感想という媒体を通じて意識的・無意識的に披瀝される、人々の価値観や、それが束になった世の中の傾向を感じ考えるのが好きなのだと思います。