『とと姉ちゃん』 第6週 「常子、竹蔵の思いを知る」 ツイートと追記

 

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人間、いったん疑念を持ってしまえば何もかもそういう目で見てしまいがちなので、粗探しをするような感想もTLには少なからず見受けられます。どんなドラマでも探そうと思えば粗はあるものです。だからやっぱり「なぜ疑念を持たれたのか」っていう入り口が、いちばん注目すべきところかなと思います。人間なんにもで好き嫌いや合う・合わないがあるのは当たり前ですが、「多くの人が、なぜ好き/嫌いなのか。なぜ合うのか合わないのか」はやっぱり考察の価値ある命題でしょう。

私が今想像してるのは、明確なメッセージを持ち、メッセージを分かりやすく描いているこのドラマ、そのメッセージから遠いところにいる人は、やはりピンとこない・琴線に触れない、そのわからなさが疑念につながるんじゃないかということです。

第一週からそうなのですが、「贋物の桜」のような非常にメッセージ性をもったエピソードについて、贋物なんて病人に見せて何の意味があるの、余計具合悪くなるだけじゃん、どうしても見せたいなら咲いているうちに見せろよ、小手先の技だなあ、と思う人も一定数いるのですよね。今週も、良かったといっている人たちは、負の連鎖とか、それを断ち切る自己肯定とか、そういったキーワードを無意識のうちに感じていたように見受けられますが、そういうことが響かない人には、大人になり切れず娘を抑圧する君子がただただ腹立たしくもどかしく映り、滝子と君子がなぜ和解したのか、ピンとこないんだなあと。常子の涙や竹蔵の手紙が、視聴者の感動を誘発するため(だけ)の安っぽいアイテムに見えるようなのです。

それが悪いといってるわけじゃないです。むしろ、このドラマのメッセージが届きにくい人が一定数いるからこそ、このような物語が世に出されることになるのだと思います。「正しく生きるべき」と思っている人々、「間違えず、極力人に迷惑をかけないように、正しく生きることが良く生きることだ」と当たり前に思い、努力して、それが概ね叶っている人には特に、届きにくいメッセージなんじゃないかとぼんやり想像しています。もうちょっと詳しく考察する機会があればいいのですが。ともかくこのドラマがこれからどのような評価を得ていくのか、これからも注目したいと思います。