『とと姉ちゃん』 第6週 「常子、竹蔵の思いを知る」 ツイートと追記
君子さん…。まぁ家庭は子どもの精神的ホームベースなんだけど、同時に子どもは良くも悪くも親に気を遣ったり顔色見たりするもんだよね。それが家庭の外でも人や空気を読んで処する第一歩にもなるわけで。でも子どもの気遣いに全く気付けない大人ばかりじゃなかろう、このドラマでも。#とと姉ちゃん
人には欠点弱点があり、間違えることもある。それで人に迷惑をかけちゃうこと・それに気づかないことまで含めて、誰にでもある話だけど、欠点や間違いが経済的困窮と関係すると、ものすごく責めて叩く風潮あるなあと、ドラマに限らずネット見てると感じる。もう10年単位だけど。 #とと姉ちゃん
経済的困窮は「生まれる家は選べない(配偶者の寿命も)」みたいな、環境要因に拠る、根本的に「不運」という問題だと思うんだけど、そこに本人の責任を見出して主要因にするかのような見方が多いよね。君子のお嬢さん気質も、竹蔵が早逝しなければ特別な問題にはならなかった #とと姉ちゃん
経済的に苦しいとか女世帯で心許ないとか、本来は環境要因で社会的に弱い立場にある人を、「おまえが悪いんだ」という目線で見る「世間様」があって、それが弱い人を二重に苦しめてる。それは社会全体の不幸。不運なんて誰にも起こりうるんだし。だから今、この物語なんじゃないかな。 #とと姉ちゃん
→間違えたり言い出せなかったりごまかしたり気づかなかったり、頑なだったり嘘ついたりクセ強かったり、迷惑かけたりかけられたり、そういうのが主人公サイドにも脇サイドにも皆にある。そして、一人で抱えないでいい、足りなくても大丈夫だよ人間は考えることができるんだよって話。 #とと姉ちゃん
今は、誰が貧しくて誰が援助して、迷惑かけてる側とかけられてる側で、って自己責任みたいな見方も可能だけど、いずれドラマではみんなが貧しく、何もかも失くす時代になる。自力で手にしてるように見える安寧も何かの不運で吹っ飛ぶもの。誰だって同じ。 #とと姉ちゃん
蒸し返すけど新次郎さんが働かない状態でも視聴者に責められなかったのは中の人の役者力もあれど、結局は加野屋が困窮しなかったからってのも大きいと思うんだよね。彼が働かずとも回ってたから。お金を稼ぐ以外の美点があるのは新次郎も君子も同じなわけで。それ思うと本人の責任ってどこまでだろ?と
新次郎さんは大好きだけど今は君子を責めてるって人、いっぱいいると思うんだけど、それはそもそもドラマの好き嫌いもあると思うし、受け手の自然な感情であって良い悪いじゃないんだけど、そういう人にこそ、とと姉ちゃんがもつメッセージが伝ればいいなとちょっと思ったりする。少数でもいいから。
何が良くて何が悪いと感じるか。男なら女ならこうあるべき、親の・大人の・子どもの正しい姿、これは愛せるけどこれは許せない。そういうのって主観のようだけど外部からの刷り込みを内面化してる部分もあって、「そうじゃない見方・人間関係・社会」を見せられるのって物語の力だと思うから
まぁ年とればとるほど感覚って簡単に変わらないから、難しいとは思うけどね、懐疑的な目で見てるものからメッセージを受け取るって。でもネットの感想とかって「こういうことに対して非常に厳しい世間様」が可視化されるもので、それに息苦しさや危うさを感じる人が増えればそれだけでも意義あるのかな
かか の 力不足と 特技この かか の三姉妹だから育つ特別な物がある(やがて 常子を支える特技でも…生家が裕福、だって自分では選べないかか の lucky は天分かな #とと姉ちゃん
君子は生活力ない天然だけど洋服やかわいいちょっと気の効いた物を手作りする人常子は そこを受け入れて 自分がどう生きるかに反映するんだな(それ呪縛とは言わないと思うけど #とと姉ちゃん
#とと姉ちゃん 君子も三姉妹も足りないところもあるまま、自分を犠牲にしすぎず、互いを観察し相手にどうしたらいいかと思いやる様子がいいな。完璧な親が子供を守る一方的な力関係じゃなくて、ゆるやかな傾斜の双方向な関係。かか最近笑うよねー、学費なくなると困るし言えないよねーみたいな。
滝子おばあさまは本当はよっちゃんにおやつ食べさせたげるだけじゃなくて常子や鞠子にも東京のいろんなとこ見せたり美味しいもの食べさせたりしたいんだろうなあと妄想が捗る。#とと姉ちゃん
君子さんの「このままでいい」(目玉飛び出しそうになった^_^;)を聞いた常子の表情を長く映す所が良かった。娘たちはかかを全肯定してるんじゃなくて、批判的な視点も持った上で(今のところ全部)受け入れている、という事が繰り返し描かれている。 #とと姉ちゃん
君子がお嬢様育ちで現状認識が甘いぶん、娘たちはしっかり育っている。君子と滝子を気づかう常子、学費の件は告げない方がと冷静に助言する鞠子、遠慮なく滝子におやつをもらいに行く美子。お金がなくても悲壮な感じがしない。この三姉妹を育てたのも、また君子なんだよな。
とと姉ちゃん第31回。今日もこれでもかっていうくらい嘘/隠し事モチーフが頻出。そして率直に言いたいこと言った森田屋親子や滝子とまつは喧嘩(笑)単純に嘘はいけないとか本音をそのまま言うのが良いとか、またはその逆が良いということを言いたいわけではないんだよね。
今日の料理のやり方(焼き加減→適当)にしても人への気遣いにしても、白か黒か、正か誤か、1か0かという二元論で割り切れない何か、ということなんだろうな。つまりその映像と同じで「質感」の重視。穿った見方をすれば、質感なし、二元論に流れがちなネット言論へのアンチテーゼのようにも感じる。
繰り返される回想シーン、怒れる大地真央の全開の舞台演技が見るほどにツボになっていく…(笑) 「清の嫁に迎えて、青柳を継がせたいと思ってる(キリッ」 「だったら出て行きな!」そして木村多江の切羽詰まった表情。いやぁいいわ。 #とと姉ちゃん
あの対立シーンは互いの性格(意外に似てそう)と主張(真逆)、それで決定的にこじれた過去とを感じさせて説得力バリバリだったので、どれだけ引っぱってもこじれ続けても納得感あります。#とと姉ちゃん
これは、常子(と清?)も含めて話し合いましょう、なんて穏便な方法に簡単に持っていけるようなこじれ問題じゃないのです。家族内でのこじれ問題って理屈じゃ解決できないからねー。15,6歳の子どもが何とかできるレベルじゃないと思いますが、さてさて。#とと姉ちゃん
ここまで説得力あるこじれ問題を練り込んだのには当然意図があるはずで、どう落とし前つけるか楽しみ。こじれまくった人と人(しかも母娘)は分かり合えるのか。あるいは分かり合えなさを受け容れて何らかの形で乗り越えるのか。むしろ小橋家通信無しでゴールを見つけてほしいくらいだ #とと姉ちゃん
真っ向対立しているとはいっても、どちらかというと、君子のこじらせ成分が多いんだよね。君子には母・滝子の心が見えていない。そんな頑なな君子の心が、そのまた娘の常子にはまだわからない、でもちょっと見え隠れするからモヤモヤしちゃう。大人の階段のぼってますなあ #とと姉ちゃん
年季の入った母娘の対立(家族の問題)が見えてきて気になる一方で「どんな殿方がお好き?」なんて話も身近にあるって女子高生ライフだなあ。お付き合いじゃなく結婚…と考えたら、案外、清も星野も、対等なパートナーシップ築けそうで良い相手じゃなくて?クセなんて誰にでもあるしな #とと姉ちゃん
#とと姉ちゃん のストーリーが賛否両論、観る人を選ぶと思っていたけど、良くも悪くもよつばと!とか、ひだまりみたいな日常漫画の世界観、と言われて納得。そしてこの日常をある意味、修復不能なまでに破壊する前提で書いている、西田氏の鬼畜ぶりがそろそろ薄ら寒い(称賛)
RT #とと姉ちゃん まれと同じ臭いとか言われてるけど、ごちそうさんのときと似てるかなあ。ごちも、考証にしろめ以子のキャラにしろ展開にしろ、TLのアンチすごかったんだよね。特に前半。しかし前半から楽しく見てたわたくしも、後半あれほどハードになるとは予想だにしませんでした…
んで、ごちそうさんに比べると #とと姉ちゃん は最初からとっても素直でわかりやすいお話だと思う。優劣という意味でなく。その分、アンチもファンもごちのほうが強烈かも。私は、どちらも好きです。ととはまだ前半だから、ごちと同じ土俵では語れないけど。
ともかく、 #とと姉ちゃん もごちそうさんと同じく、小さな世界の(一部の視聴者にはどうでもいいと思われがちな)ゆるい日常を描いておいて、戦争が多くを奪っていく話になるんだろう。ただととは戦後も長いし、ごちのときとはまた違った意味合いで戦争(と戦後)を描くのは既にほぼ明白。
「朝ドラで戦争」は定番だけど時代と共に描き方は変わり、ゲゲゲからは特に作家性が表れるようになったと思う。朝ドラだから歴史ではなく、生活と戦争、人間と戦争といった切り口で真摯に相対してた。カーネもごちもマッサンもそれぞれ違って、すべて深く心に残ってる。#とと姉ちゃん にも期待してる
#ごちそうさん も、食いしん坊ヒロイン、ご飯作りに嫁イビリ、ダンナの浮気、息子の出征と、人によっては最後まで通俗的なドタバタ劇って印象なんだろうな。ファンはキャラを愛おしみつつ、深いテーマを描ききった戦慄するほどの作品として共有してる感あるけど。#とと姉ちゃん はどうなるかなー
戦争をしないために過去の戦争を分析するのは大切で、しかも歴史的な面からと人文学的な面、両方からの検証や考察、そして共有が必要だと思う。でも生活してると、なかなかね。そんな中、2010年代の朝ドラは後者の役割をすごく果たしてる感。 #とと姉ちゃん も新たな考察を見せてくれるといいな
#ごちそうさん のTLって後半はどうなってたんだっけ? 前半すごい質量だった批判が後半ほぼ無くなってた印象なんだけど、合わない人が途中でリタイアしたのか、ドラマにだんだん引きこまれていったのか、それとも私がドラマに入り込んだ結果ネガティブな感想が全く目に入らなくなったのか…
植物オタクだけど家族思いの星野、ミサワだけど仕事のできる清、クールだけど初心な綾さん、短気だけどシャイで根は優しい大将。人は多面体だし変わっていくこともできるし、きちんと接してみると違って見えてくることもあるんですよね。じゃあ君子と滝子は?という話なんだな #とと姉ちゃん
#とと姉ちゃん 鉄郎さん、隈井さん、清、宗吉、長谷川、星野。とと以外、どの男性もなんかダメで、可愛らしい。この作品の男性たちはドキドキするようなときめきはないけど、皆愛しくなるユーモアで造形されてる。ピカピカのかっこよさより、包むような優しさと面白さ。
すごい! この問題をここまでこじらせここまで引っぱるとは! いやー本気で書いてる脚本だわ。机バンバンしてる。でも、これ炎上必至だって想定して書いてるのかな、西田さん。朝ドラTL見たらひっくり返らないかなw #とと姉ちゃん
縦糸:厳しく育てられて自己肯定感がない君子は足掻いてるけど結局自分も娘たちを抑圧してしまう。横糸:女が社会で生活立てるのは大変で、妾とか性産業に流れるしかない。2つが織り成されて、生活と心が密接につながった雑誌を作る、女性たちの職場の創設に繋がっていくような #とと姉ちゃん
毒親って言葉は好きじゃないけど毒親が生まれる構造を徹底して書きこんでる感。生育環境や親の教育など「個人」の部分と、「社会の構造(女が生きてくのは大変 / 運次第で誰もが弱者に)」とは密接に関わってると、すごく意識的に書いてる。まぁ朝ドラ視聴者層には好かれないかもね #とと姉ちゃん
君子がああなったのは滝子がああだったからで、滝子の育て方は社会の厳しさを思い知ってるからで、はたから見たらいい年してオイオイな確執だけどそれだけ根深くて、そんな大人たちのしわ寄せが今、娘たちにきてるんだよ。何も知らない、一番小さいよっちゃんの、あの悄然とした後ろ姿。#とと姉ちゃん
竹蔵は滝子と君子の関係を全部わかってて駆け落ちするしかなかったけど、自分の娘たちを「子供でも一人の人間として」と自己肯定感を第一に育てた。だけど「社会=家長が死ぬと妻子が忽ち困窮する世の中」までは変えられなかった。それでも希望はあるんですよ、って(続) #とと姉ちゃん
(承前)自己肯定感を第一に育てられて、「自分で考えて動く」ことができる常子はいずれ、女性が働ける、暮らしを心豊かにする雑誌を作るんだよね。社会を変えるのは難しいけど、やっぱり個人レベルから始めるしかないし、できることはあるよ、絶望しないで、って。#とと姉ちゃん
だから君子のこじらせも、母娘の確執も、娘たちにしわ寄せがいくのも、全部本気でシビアに書かないといけないんよね。ここでちゃんと凹むから高く飛び上がれるわけで。そんな構成云々おいても、君子と滝子の話し合い(になってないw)、娘たちへのしわ寄せ、演技演出見応えあるわー #とと姉ちゃん
TL見てても思うけどさ、毒親って指さして糾弾するだけじゃ、結局、当事者親子を孤立させ二重に苦しめるだけなんだよね。背景(個人レベルの問題やなくて社会環境も関わってくるから)を理解することで、状況打開や支援の道もひらけてくる。自己責任だけ追及しても何にも良くならない。#とと姉ちゃん
だからTL見て君子を責めるだけの意見が多ければ多いほど、今が自己責任追及社会なんだなーってのがはっきりと可視化されるし、そんな社会に向けて「それじゃない道もあるんでは?」って話をバーンとぶつける物語の作り手、っていう構図が浮き彫りになりますね。#とと姉ちゃん
ここへきて、木村多江と大地真央のキャスティングの嵌りっぷりがすごいわー! 第地さん、スタパに出たとき、多江さんからのVTRコメント見て泣いてたらしいけど、演者の心も削るしんどいシーンの撮影が続いてたんだろうね。多江さんはVTRでなんと言ったんだろ? #とと姉ちゃん
君子のどうして私を認めてくれないの!は娘も守る親として子供じみているのだけど、認められずに育つとそういう気持ちを過度に持ってしまうのわかる。不自由させず、よかれと思って躾け、滝子なりに君子を大切に育てたのだろうけど、自己肯定感が育ってないから、君子は大人になれてないんだよね…
そういえば竹蔵ととは「子供でも一人の人間として」接してたなあ。だからここでととが出てくるのはよくわかる流れ。 #とと姉ちゃん
RT そうか、君子の行動が娘を思ってるつもりで自分勝手になってしまっているのは滝子が君子にしたことと同じで、その原因は娘を一人の人間として対等に見ていないからなんだな。 #とと姉ちゃん
こうしてドラマで見ているから、滝子さまの暑苦しいまでの愛を感じることができる。リアルなら、またもや私の自立の邪魔を!ってなるかもしれないけど。優しい脚本だと思う。#とと姉ちゃん
援助を申し出ることを「最初から無理だと決め付けて」と言われるのは辛い。支援の難しさなんだよな。 #とと姉ちゃん
君子から見た滝子が反発したくなる絶対君主なのと同じように、滝子から見た君子も「私が守らなきゃいけない可愛い娘」なんだよね。その関係をどう結び直せるかなんだけど。父がわりもしていた滝子の気持ち、とと姉ちゃんの母親である今の君子ならわかる部分もありそうだけどなー #とと姉ちゃん
(・・・自己責任追及社会を生きる人々に対して、脚本家が、自分の分析を示し、こんな道どう?って希望を書くのがとと姉ちゃんなら、自己責任社会に生きる人々が「不快に思わないように」気を遣って書いたのが前作なんだよね、TLの反応の違いもむべなるかな・・・)
何気ない日常を大切にしていた竹蔵だから、滝子から君子というかけがえのない希望を奪ったことを気にしていたことだろう。自分が築き上げた幸福が、人の不幸の上に成り立っているというととの葛藤が手に取るように見える。家族を最高に愛することで恩返しをしようと頑張ったはず。涙。#とと姉ちゃん
君子さんが女手一つで子育てしようとして、それがかなわずにいる姿。時代の壁であり、女性の壁でもあるんだろうけれど、それを何とか超えようとするのがテーマなのかもしれないけれど。「一人では育てられない」=一人で生きてるわけじゃない、ということではないのだろうか。#とと姉ちゃん
滝子さんはだから言わんこっちゃない的な事は言っていないし基本的に娘や孫を大切に思っているけれど、今の君子さんにとって滝子さんからの援助を受ける事そのものが自分の歩んだ道を否定されているような気持ちなのだろうなあと思って見ております
ここに来て、ととが鞠子と美子に加えてかかの事も常子に託した理由の一端を見た気がします。今のかかを見ていると、ととが死に際に幼い娘に託さねばならないくらいに心配になる気持ちも分かります。 #とと姉ちゃん
RT 竹蔵は、自分の死後小橋家は滝子に頼るしかなく、そうすると君子と滝子の確執が顕在化する可能性も考えてたのかな。お正月の百人一首でも君子の性分は表現されていたし、ずいぶん考えられてる脚本。常子への遺言も、第1週で見た時点ではわからなかった意味もありそうだな。#とと姉ちゃん
常子が泣きだして、本当にホーッとした。泣けてよかった。泣いていいんだよ。子どもなんだもの。他の2人も泣けたらいいな。よっちゃんはわけもわからず淋しくて悲しいだろうし、鞠ちゃんだって賢い子けれど、それだけにワーッて発散できなさそうで。#とと姉ちゃん
でも子供って、親や家族には言えなかったり泣けなかったりすること、あるよねーとも思う。夫婦だってそう。近すぎるから(敢えて)言わないことや、見せられないこともあるよね。だから、他の場所も必要なんだと思う。滝子や隈井がいてよかった(清にもそんな場所があるといいな)#とと姉ちゃん
説得しますというから「仲直りして」一辺倒かと思いきや、「話し合いが無理なら妹たちの分だけでも学費を」で涙腺決壊。根つめて働く母を見て、前からその方法(自分は学校やめて働く)を考えてたんだね。だから出た言葉だよね。それを聞く滝子の驚愕の表情もすばらしかった #とと姉ちゃん
「なんとかしたい」思いがありあまっているからこそ、「今の私には何もできない」現実はつらくてしかたないよね。父を見送った経験がある常子ならなおさら。そこで自分で考えてとった行動が「どうか妹たちの学費をお願いします」と滝子に頭を下げること。君子にできないことを常子が。#とと姉ちゃん
常子は決めるのは自分で、誰にも強制されないと信頼しているから、君子の気持ちも滝子の気持ちも素直に受け取って喜べるのだよね。母であっても祖母であっても、自分は子供で相手は大人でも、相手の支配下にある気がさらさらない。対等に尊重されて育った人は強い。うらやましい。 #とと姉ちゃん
「滝子が常子を清の嫁にしようとしてたことは常子の幸せを考えてのこと、だから感謝こそすれ憎むわけない」常子は真っ直ぐ育ってるから素直にそれを受け取れるんだなあ。君子は過保護に育てられて抑圧されてると思ってたから、また抑圧する気かと警戒しちゃったけど。 #とと姉ちゃん
清の常子追い出しコントを見つつ、やっぱりこのふたりが夫婦になったらなったでそこそこ清をあしらいながらうまくいきそう…なんなら機嫌をそこねた常子を笑わせようと空回り続ける清だけで15分やってもいい…という程度には清が好きです。そうなると暮しの手帖創刊されないけど #とと姉ちゃん
最近、微妙に自分の中で清の評価が上がっている。仕事も出来るし、暴力は振るわないし、ウザいけど結構いい奴じゃん。 #とと姉ちゃん
清の生まれや養子になった経緯など、清まわりの諸々は、もちろん今後明かされる日がくると思います。楽しみですね! いやぁ清と星野でこんなにワクワクできるとは。唐沢さんとミッチーの前に、贅沢させてもらってますーって気分w #とと姉ちゃん
ととの手紙の存在を知り青柳商店まで走っていって、滝子と話して泣いて、今度はととの手紙をもって森田屋に走る常子。君子とはどんな話をするのか楽しみ。未熟なまま、思いをいっぱい抱えて走るのが #とと姉ちゃん の主人公なんだなあ。ブレーキかけられたり、つまづいたりしながらも、走るんだよね
常子が泣く場面でぐっと常子が近くなった。今まで私が見ていた常子は自分の大きさも関係なくととを目指してた常子で、本来の常子でなかったのかもしれないなぁ。その仮面が取れた瞬間に思えた。常子が抱えていたものを溶かせたのがかかと滝子さまの気持ちだったってのもよかった。#とと姉ちゃん
@emitemit 「(話し合いが)どうしても無理というなら致し方ありませんが」この「致し方ありませんが」の硬いニュアンスがすごくよかった! 走りながら、おばあさまに何と言おうか常子なりに一生懸命考えてきた感じが出てる。#とと姉ちゃん
とと姉ちゃん第33回。君子をヒロインにして朝ドラ1本できそうなくらい、重厚なドラマがありそうな雰囲気になってきた(笑) 木村多江さんの演技もいいやね。ヒロインの母にヒロイン並みのドラマがあるっていうのも、ある意味朝ドラの伝統かも。
すぐ思いつくのは、やっぱり『あまちゃん』と『ちりとてちん』と『まれ』かな。あと『てるてる家族』(笑) 母親の若い頃の回想が入るのが良いよね。20年前とかの設定なのに女優さんがそのままだったりすると余計アツイ(笑)
とと姉ちゃん第34回。君子と滝子が喧嘩別れするシーンを越え、恐らくこれまで最もエモーショナルな場面をここに持ってきた!君子も滝子も自分を思えばこそという嬉しさが二重になっているのと、その2人が自分のために喧嘩しなければならない悲しさが更に重なり、かなり複雑な感情の見事な表現。
加えて、竹蔵も常子たちや君子の為に滝子に手紙を送っていたこともわかって、常子の頭は恐らくパニック状態(笑) これらの情報は多くが「人づてに」聞かされることによってもたらせており、間接的な伝聞は時と場合によって直接聞くよりも正確に情報が伝わり、より大きく感情が動くことがわかる。
直接的なコミュニケーションが時にかえって誤解を生むことは、君子と滝子が喧嘩するシーンで示されていた。この辺の直接/間接コミュニケーションの難しさは『花子とアン』でも繰り返し出てきたモチーフ。
普段は常識をわきまえ分別もあって人一倍気が利く常子が商談中とわかりつつも無理を通すのは、「気合い」の見せ方として正しい気がする。滝子にしても「あの常子が」って本気を信じるもんね。これまで常子を優等生に描いてきたことが効いてる。
普段は常識をわきまえ分別もあって人一倍気が利く常子が商談中とわかりつつも無理を通すのは、「気合い」の見せ方として正しい気がする。滝子にしても「あの常子が」って本気を信じるもんね。これまで常子を優等生に描いてきたことが効いてる。
あのお客さんは居づらかったろうけど、こういうことだとすんなり受け取ってた。まぁ、ネガティブな目で見たら何でも粗に映るのはしょうがないです。#とと姉ちゃんURL
普段はものすごくしなやかで可愛らしいのに、母とのわだかまりだけは解消できずに抱え続けて、しかも娘達の学費を手前で揃えることに拘る君子さんのこの感じ、女性が世の中に出ることの可能性と難しさの典型を描いてるんだな。 #とと姉ちゃん
これは #とと姉ちゃん の素晴らしいところだけど、君子と滝子のどちらにも言い分に説得力があって、簡単にどちらかを批判できないんだよなぁ。今日の滝子の振る舞いにはじんときたけど、君子の思いもないがしろにできない。この確執解消のキーマンはととでしょうね。死してなお家族を守るとと。
#とと姉ちゃん 常子すごいな。家族の色んな話、それぞれの言い分を聞かされて、枝葉末節ではなく、ちゃんと本質を聞き分けている。皆が自分の幸せを思ってくれていると泣く常子の賢さ心根の良さに泣いた〜。
まぁ西田脚本には正直少し不安もあるし、あさくらい鮮烈な感じはしないんだけど、描こうとする内容自体が劇的さじゃなく生活の細々したものの大切さに通じるので今の展開はやっぱジャブやボディ打ちみたいな段階なんだろーなと。 #とと姉ちゃん
朝ドラ評もそうなんだけど、個人的には「俺の見解でキャラを評価する」より「キャラ自身や世界観の中で評価する」方が影響力高いので、単純に心情など無視して常識守れみたいな指摘はむしろ無粋に映っちゃうのよね。
ドラマにおける心情描写は、自分はそういう考え方はしないが、そういう考え方になる人もいるのか、という描写の仕方なんだと思う。極端な話、サイコパスの殺人ものなんて全く理解できない心情でストーリーが進むけど、面白い話は面白いですよね
だから、よく使われるドラマの評価にある「共感できる」というだけがドラマの価値ではないんですよ。自分には全く無い感情を、どう表現するか、というのがドラマ(フィクション)なんだと思うのです。そしてその表現の仕方に合う合わないというのがあるんじゃないでしょうか
「間違えない(瑕疵の無い)キャラ」や「不快感の無い展開」がこんなにも求められるのは、朝ドラという枠の特殊なのか、現代の傾向的なものなのか、両方あるんだろうけど、何作も朝ドラとTL見てきて、どういうことなのかずっと考えてる。誰か分析して #とと姉ちゃん
@emitemit いや、誰だってドラマを見て不快になんかなりたくないけど、「登場人物が間違っているから・言動に偏りや未熟さがあるから不快」って感想が多く見られるので。不完全な人間たちが間違えたり迷惑かけ合ったりしながら生きてるのがこの世だと思うんだが… #とと姉ちゃん
この、朝ドラ視聴者の「不快感」を減じるため、間違えている(瑕疵のある)キャラには誰かがツッコミを入れるという対策を行うのも朝ドラの伝統で、#とと姉ちゃん でも用いられてる(鞠子「とと姉の悪いところが出たね」など)んだけど、君子に対して今までそれをしなかったのは意図的なものだと思う
@emitemit 君子も滝子も双方に言い分があるのを作り手が尊重し、また視聴者を信頼してるってことじゃないかな。客観的に見れば愚かな行動でも、切実な思いに対しては作り手が「ツッコミ」という免罪符をつけず、必死さゆえの愚かさを剥き出しで表現する。それは伝わるのだと。#とと姉ちゃん
@emitemit その尊重と信頼の表現が、残念ながら少なからぬ視聴者に伝わらず、不快感しか生んでいないのを見ると、どうしてなのかなと考える。視聴者&社会に合わせて、表現がもっと工夫されるべきなのか、それとも・・・ #とと姉ちゃん
あと、私(だけじゃないでしょうが)には、今までの話って非常にわかりやすく暮らしの手帖につながるように感じるんだけど、今やってることに何の意味があるのかわからない、って意見が多いのもへぇって思う。「子供だまし」って感想も。個人と社会とをクロスさせた上での切実な対立に見えるけど…
@emitemit 快・不快や、感じ方は個人の主観で、理屈じゃ説明できないものだろうけど、少なからぬ人々が似たように感じてるってことは、その底に、朝ドラクラスタなり、現代日本人なりの共通概念があるんだろうなーと考えられる。誰か分析して… #とと姉ちゃん
「お客が木曽檜と言ったら木曽檜しか納めちゃいけないんだよ」からの「竹弁当と言ったら竹弁当がいいというお客もいたかもしれない(結局いなかったみたいだけど)」という商売の心得シリーズ、→ #とと姉ちゃん
→先週の「宗吉が怒るかもしれないから制服を隠していたのは富江だということは黙っておこう」「星野が悲しむかもしれないから新種発見じゃなかったのは黙っておこう」の善意の嘘は許されるかシリーズ、→ #とと姉ちゃん
→これずっと「他人はこうかもしれないと予想して嘘吐いたり隠し事したりしてるけど本人の気持ちは本人にしかわからない」というのをやってるのね。それがみんな「常子がどう思うのか」をめぐって滝子と君子の確執が深まってることに掛かってきてる。 #とと姉ちゃん
「今」という熱い思いと直感で 駆け込む 常子マナー違反ですその通りこの はた迷惑な行動力は 鎮子さんエピソード由縁のイメージ通りでもあり… #とと姉ちゃん突き進むパワーがないと 達しないものもある
竹蔵の手紙に、「くーっ。わかってるーーーっ!」と満足。必死に許しを乞うたり過剰に愛を語ったりせず、さらりと、しかし勝手に「小橋家通信、第1号です」なんつって自分のペースを宣言して、さりげない日常を綴る。そして飽きることなく毎月書き続ける(笑)。竹蔵・・・w→ #とと姉ちゃん
承前・竹蔵にとっては、駆け落ちという形で決定的に別れたのだから自分が確執の原因ともいえ(今の常子と同じね)、それに心を痛めてはいただろうけど、愛する妻や娘たちのことを、遠くで妻を思っているだろう義母に毎月書き送るのは、楽しくもあったんだろうな。そういう文面だった #とと姉ちゃん
第1号からあんなふうに穏やかな文章を綴れたのは、竹蔵の人柄や信念でもあるし、上京時に滝子が表面的にはどんな塩対応だったとしても(キェーッ!てw)、心の中では今でも娘を案じ、幸せを願っていること、必ず読んでくれることを感じとったからじゃないかな。そんな想像しました #とと姉ちゃん
ずーっと思ってたけど、木村多江さんってこんなにも演技がうまいんだね。ほんわか天然顔、とと生存時の立ちのぼる色気、愛情深い母の顔、お嬢さん気質の娘顔、おろおろ顔、頑固でせっぱつまった表情。今日の涙もすばらしくて。大変消耗する役だろうけど、いいもの見せてもらってるー #とと姉ちゃん
日常の小さな悲喜こもごもや、月に一度の家族でのお出かけイベントを、日夜せっせとネタ帳に書き留め、「さあ、今月はどのネタでいこうかな・・・まずは美子」と精査して、いかにもさらりと綴ったかのように便箋2枚程度にまとめあげる、竹蔵の編集作業風景ください #とと姉ちゃん
隈井の手前、一顧だにしない素振りをするも、本当は毎月楽しみに手紙を待っていて、夜中に帳簿類を締めたあとワクテカと行灯の灯りで開き、読みながらふふっと洩れた自分の声に、自分で怖い顔をする滝子さまください(それを襖の外で聞いてる隈井もセットでください) #とと姉ちゃん
だけど武田百合子の「富士日記」じゃないけど、病に倒れて弱っていく日々の手紙を想像すると胸が…。それを読む滝子の心配を思っても…。竹蔵はきっと、病を得てからもつとめてさらりと綴りながらも、命の限りを悟ってからは、滝子にもきっと何か書き残しているだろうな。#とと姉ちゃん
#とと姉ちゃん 未知の相手を理解すること、いがみ合った相手を許すことの最初の一歩は、相手の人となりやどんな想いで暮らしているかを知ること。ととはそれを良く分かっていて、手紙をしたためた。
>RT 「相手を理解するためには、知ることが第一歩」そのとおり! 竹蔵はそれを実行したんだよねぇ。良い脚本はこういう普遍性を持つね。浜松での丁寧な暮らしが滝子の心を溶かした。「みんなが暮らしを大事にすれば、戦争はなくなる」暮らしの手帖の心にも通じるね。 #とと姉ちゃん
よっちゃんが溺れたのがきっかけで和解した、という解釈で不満に思っている人が多い?TL おみくじの寺に行けば和解してたはず。よっちゃんが偶然溺れたからああいうやりとりになっただけで。いや偶然じゃなくて必然に近い事故なんだけど #とと姉ちゃん
大人たちが争って自分たちのことばっかりになってる端で、一番弱く小さい存在が犠牲になっていて、取り返しのつかないことになるかもしれない。っていうのも、家庭内から戦争まで、さまざまなことの暗喩になってますね #とと姉ちゃん
竹蔵の手紙で、常子の無鉄砲(櫓のぼり)や君子のザルっぷり(あのザルは直喩だったのねw)が最初から示されていたのを確認すると共に、小さなおつかいで泣いちゃった淋しがりで甘えん坊のよっちゃんが、ひとりぼっちでどんなに淋しい思いをしていたのかと思うと泣ける #とと姉ちゃん
自分に両親のいないととは、君子と滝子をつなぎながら自分自身も親に報告してたんだろうな。他の人に聞いてもらうほどでもない家族の日常の些細な報告、これを聞いてくれるのは親だけ #とと姉ちゃん
ととの手紙、小橋家通信。こういう他の人から見れば親ばかになってしまうような日常って、他人にはなかなか言えない。両親の亡くなっっているととは、君子と滝子のためにしてることと言え自分のためにもなってたと思う。報告できる生きている親のいる幸せ #とと姉ちゃん
ずっと走り続けて来た常子がついに跳んだ回だった。今週は君子さんとおばあさまの週なのかな、と思わせてから常子の話になって彼女が跳ぶまで、水木金のグラデーションが見事だった。1週2エピソードの縛りを解いたのは今週がヒロインの契機の週だったからなのか。 #とと姉ちゃん
「私が悪かった、また来ておくれ」「ご心配おかけしてごめんなさい」「いいんだよ無事でいてくれれば」…滝子と君子が初めからこう伝えあえていればここまでこじれなかったのねえ。それが難しいのが家族でもあるのだけれど #とと姉ちゃん
>RT 滝子と君子が顔つきあわせたら傷つけあったあげく物別れ、って劇中のパターンを繰り返すだけだったろうね。「私が間違っていた」って言いたい言葉があるのにどうしても言えない。人間てめんどくさい。で、だから「それでも心を通わせたい」と願った竹蔵や常子の気持ちが際立つ。#とと姉ちゃん
2人きりならケンカの繰り返しだったり言いたいことを言えなかったかもだけど、寺に向かう滝子には隈井、君子には常鞠が付き添っていたから、あのまま寺ルートでも和解できてたはず。一人で抱え込まず周りの誰かと一緒に。というのが、もうずっと繰り返されていますね #とと姉ちゃん
高校生の姉が末の妹にままごとや縄跳び持ちかけられても「そんなん私がやるわけないでしょ忙しいんだから」で済ませそうなもんだが、とととの思い出が少ないことや浜松時代に孤立してたこと含めて家族がみんな尋常じゃなく甘いんだよねえ。よっちゃんの物語はどうなるんだろ #とと姉ちゃん
君子と滝子が揉めてもう来るなと言われた美子が友達と遊べなくなりひとりで遊んでた結果の水落ちが親子仲直りのきっかけになったのはいいんだけど、わりと美子の内弁慶で甘えん坊でおねだり上手な末っ子気質って繰り返されてるよね。花ちゃんになってから暴発しそうな気もする #とと姉ちゃん
回を重ねるほど、なぜトトは…君子と一緒になろうとしたのだ?こんなにもメンドクサイ女なのに…#とと姉ちゃん
RT見て思い出した。抑圧された育ちで凸凹もあるけど、あの竹蔵と10年以上愛ある日々を育んだ、それが君子の厄介な拘りでもあり、遅れてきた自己肯定感の源でもある。そして、竹蔵が選んだ君子、彼女を育んだのは滝子なんだ。「必ず守ってあげる」そんな愛情も受けていた君子なんだ。#とと姉ちゃん
母・滝子に抑圧されて憾み、疎ましく思いながらも、彼女の愛情に育まれてきた面もある君子。ただ1人の娘を奪っていった竹蔵を憎んだだろうけども、彼の思いによって頑なな思いを溶かしていった滝子。人間の感情は硬直しがちだけど、希望ももてるよね。#とと姉ちゃん
溺れた美子をまず叱るべきというご意見を見て、子に対する教育は人それぞれなんだと改めて。私も「落ちそうだった」「落ちたが溺れず即助けられた」なら叱ります。でも死ぬ程苦しい思いをした子には不要かと。だってその経験で理解したでしょうから。これでわかったね?と話はする。#とと姉ちゃん
RT 我が子が苦しむ姿を想像したら、経緯はどうあれとにかく胸苦しく、そんな事態を止められなかった自分を責めるのが親だと思う、溺れる現場を見てたならなおさら。それが正しくなくても、初手から子どもを叱る気にはなれない。あのとき多江さんの表情は親そのものだったから納得。#とと姉ちゃん
今日は粛々と、第一部のエピローグ。そこでかかる宇多田ヒカルの主題歌が、強い! 何かとってもいいものを見たような気分に!(いや、見たと思ってますw) 第1週のラストにもかかりましたよね。#とと姉ちゃん
今日は君子の方も「意地張ってすみませんでした」と謝り、「親子だから似てるんだ」と滝子が言って。第1週、カルタで異様に本気だったのも回収(名前の由来つき。TLの皆さんが語ってたことが次々に実現し、やっぱりこの物語はちゃんと考えられて作られ、届いてるんだなって思った #とと姉ちゃん
ちょっと、構造的・様式的に流れるきらいはありますがね。でも役者の好演もあって、ふしぶしのクライマックスではとてもエモーショナルに或いは叙情的にできてるから、物語として楽しめます #とと姉ちゃん
おたまご事件といい、ハタから見たらオイオイな対立でも本人たちには大ごとで、月日を重ねることで凝り固まっちゃうこともある。でも周囲の優しくて一生懸命な手助けが…あるいは時間ぐすりで解決できることもある。未熟な人たちの物語を優しく描くドラマだなあ。#とと姉ちゃん
わだかまりが溶けても、とりあえず青柳には帰らない。卵焼きは両方の味を。0か1か決めない・極端に走らないで、折衷案で解決しようとするのも、脚本家の意思であり、それは今2016年に放送するドラマが持つにふさわしいメッセージだと思うんだよね。#とと姉ちゃん
すごく構造的なドラマで、この6週間も「#とと姉ちゃん が少女時代にこなすべきことを無事すべてこなしました」って感はあるんだけど(笑)、設定や伏線含めてここまでカッチリしてると、後半グダグダにならない期待がもてるな。なんたって手帖のドラマだからそこに向けて走って行ってくれれば。
テーマを伝えるための構造重視型な朝ドラ。ってことで、やっぱり #ごちそうさん に近い感じするなあ、#とと姉ちゃん 。ただしテーマの中身は超ハードなごちに対して超ソフトな(優しい)とと姉。一見、真逆のようだけど、どちらも人生賛歌的。朝ドラにふさわしいなって思います(個人の感覚ね
あと、よっちゃんの可愛すぎる盗み聞き→耳打ちのコンボや、森田屋オールキャストでの盗み聞き、隈井ターンからの盗み聞きで襖バーン、そして裏の欄干から見守るまつさんなど、脚本家が、朝ドラ名物立ち聞き・盗み聞きにも非常に意欲的に取り組んでいることがわかる第一部だったw #とと姉ちゃん
人物の言動に「正しさ」を求める層は措いとくとして、各種設定は一貫してるし心理描写にもブレはなく、かつ細かい襞もあって優れてると思うけどなあ #とと姉ちゃん
やっぱり、「正しさフィルター」をかけて見ると、設定や心理描写なんかもうまく捉えられなくなって、テーマが見えにくくなるんだなあ、と想像。
しかも、このドラマはテーマに「人はみんな間違ったり足りなかったりするものだけど大丈夫だよ」ってのを含んでるから、正しさを求める層と相容れないのは致し方ないんだと思う(笑)。でも、そこであきらめない人だからこういう物語を書いてるんだろうなとも思う #とと姉ちゃん
「常子の少女時代は終わりを告げたのでした」子供のうちは大人の庇護のもとにいるけど、これからは、そこから巣立っていくんだな。少し心がざわっとした。#とと姉ちゃん
#とと姉ちゃん エピソードごとの緩急というか、出力にばらつきがあるのが興味深い。個人的には今週含め、とと絡みだと秀逸な話にまとまってると思う。それだけ西田さんが最初に描いた小橋竹蔵という人物像が強固で、物語の「錨」になってるんだと思う。
#とと姉ちゃん 過去からの手紙で滝子と君子が和解。竹蔵の願いが無事成仏した上で、常子は次週から「お金を稼ぐ!家族を養う!」と、本当の意味で「とと」への道に足を踏み出す。脚本から受け手に密かに投げられてる「父性って何でしょうね?」の問いかけ再び。
今日の回はどうしても受け付けない人もいるだろうし、今週全体がわりとそんな感じだと思う。6週にして思い切ってふるいに掛ける展開を持って来た。誰だって沢山の人に見て貰いたいし叩かれたくない。だけど何かを描く以上どうしてもふるいは出てくる。それを避けるには何も描かないしかない。
誰でも、良い所もあればダメな所もある。どの角度から見るかで感じ方が変わってきたり、その善し悪しも入れ替わったり。欠点を指摘されて反省しても簡単には変わらず、でも指摘した方は少し寛容になれたり。人と関わって生きるってそういうことかな、などとつらつら考えてみたり。#とと姉ちゃん
君子が滝子に折れなかったのは竹蔵を認めて貰えなかったからなんだろうね。だから君子は竹蔵の為にも滝子を許すことができなかった。だけど竹蔵の手紙を見て、竹蔵も滝子もとっくに互いを認め合ってたことを知った。だから君子の心も解けたし、更に今日の名付けの話で完全に和解できた #とと姉ちゃん
#とと姉ちゃん BSのまとめで一気見すると分かる。これは朝ドラを敬愛する脚本家が、いわゆる従来の朝ドラらしさを煮詰めて書いた作品だ。また、同様に「暮しの手帖らしさ」も煮詰めて表現してあって、西田さんが好きだと仰るものへの敬愛がすごく素直に出てる。
家事しながらの流し見だったけど、またもまとめて見てしまった!いいお母さん、完璧な母が出て来ないのがいいのよね。こうすべきってのがない。みんなそんな合理的に生きられないもの。穏やかに見えて、世間とか規範にすごく反抗してるのが見えてワクワクする。 #とと姉ちゃん
そして「我が子のために死んでもいいとさえ思ったけど産んだら少しでもこの子のために長生きしたい」という滝子の思いに四十過ぎて触れた君子、滝子が生きててくれてよかったねえ。そしてどうしたって「長くもがな」の思いをかなえられなかったととの無念を思ってしまうのであった #とと姉ちゃん
写真好きな竹蔵らしい、情景が次々と頭に浮かぶような手紙の内容に、小橋家のみんなと泣いた泣いた。親という立場にいても、まだまだ未熟な人間。一時的な感情だけで頑なになることもある。子供と一緒に成長しながら、人生観や価値観を身に付けていく。滝子と君子から学んだこと。#とと姉ちゃん
どちらのドラマもそうだけど、親も人間なんだ、ダメなところもあるんだと気付いたら、少女時代も終わりなのです。 #とと姉ちゃん #てるてる家族
人間、いったん疑念を持ってしまえば何もかもそういう目で見てしまいがちなので、粗探しをするような感想もTLには少なからず見受けられます。どんなドラマでも探そうと思えば粗はあるものです。だからやっぱり「なぜ疑念を持たれたのか」っていう入り口が、いちばん注目すべきところかなと思います。人間なんにもで好き嫌いや合う・合わないがあるのは当たり前ですが、「多くの人が、なぜ好き/嫌いなのか。なぜ合うのか合わないのか」はやっぱり考察の価値ある命題でしょう。
私が今想像してるのは、明確なメッセージを持ち、メッセージを分かりやすく描いているこのドラマ、そのメッセージから遠いところにいる人は、やはりピンとこない・琴線に触れない、そのわからなさが疑念につながるんじゃないかということです。
第一週からそうなのですが、「贋物の桜」のような非常にメッセージ性をもったエピソードについて、贋物なんて病人に見せて何の意味があるの、余計具合悪くなるだけじゃん、どうしても見せたいなら咲いているうちに見せろよ、小手先の技だなあ、と思う人も一定数いるのですよね。今週も、良かったといっている人たちは、負の連鎖とか、それを断ち切る自己肯定とか、そういったキーワードを無意識のうちに感じていたように見受けられますが、そういうことが響かない人には、大人になり切れず娘を抑圧する君子がただただ腹立たしくもどかしく映り、滝子と君子がなぜ和解したのか、ピンとこないんだなあと。常子の涙や竹蔵の手紙が、視聴者の感動を誘発するため(だけ)の安っぽいアイテムに見えるようなのです。
それが悪いといってるわけじゃないです。むしろ、このドラマのメッセージが届きにくい人が一定数いるからこそ、このような物語が世に出されることになるのだと思います。「正しく生きるべき」と思っている人々、「間違えず、極力人に迷惑をかけないように、正しく生きることが良く生きることだ」と当たり前に思い、努力して、それが概ね叶っている人には特に、届きにくいメッセージなんじゃないかとぼんやり想像しています。もうちょっと詳しく考察する機会があればいいのですが。ともかくこのドラマがこれからどのような評価を得ていくのか、これからも注目したいと思います。