『あさが来た』 最終週 「柔らかい心」 メッセージはお花畑で
平塚明があさの悪口を言いふらしてると、それもある種の悪口をわざわざ手紙で注進する宜。最近は中傷誹謗をどこ吹く風と受け流し、女学生に何て思われても平気と教壇に立ってズバズバ言ってたのに、すっかり気落ちするあさ。最終週でこの描写、明・宜・あさのモデルの人に敬意ないよね… #あさが来た
そして仲睦まじい伴侶を亡くして僅か半年、賑やかな白岡家とは全く異なる暮らしのはつに対して、長々とのろける新次郎さん…。普通の神経でもしないよね、て話を気配りの権化なはずの彼がする。作為が優先する #あさが来た らしい脚本よね…。「自身も病身なので余裕がない」と解釈すべきですか?
先週、あさが「惣兵衛は一目惚れだったらしい」とはつに話したことの対比で、今度ははつがあさに新次郎の談話を伝え慰めるための布石かな、と思われる脚本で、役者が巧いのでエグさを緩和してるけど、人物造形や自然さを無視した作為的な脚本だよね… #あさが来た
あと、新次郎の「電車に轢かれたり爆弾浴びたりするよりマシ」ってのも、雰囲気と役者の芝居で見せてたけど、どうなの? そりゃ、これ見た視聴者も「そうだよね、自分もしんどいけど、もっとひどい環境の人はいっぱいいるよね」と思って慰められるかもしれないけど、そんな脚本どうなの #あさが来た
「ちょっとした踏み台になれれば」とか言う主人公が、平塚らいてうを思いきり踏み台にしてるのが #あさが来た の脚本ですね…。歴史に名を残す人物をインスタントに小物に描き、それをインスタントにいなすことで、インスタントに「歴史に残る人物より大物」感を出すという。恥ずかしくないか…?
平塚らいてう、ただの厨二病なんですがなんじゃこれ 。鶴瓶師匠の根拠レスでインスタントな「女商人になるわ」をリフレインするとこうなるのね #あさが来た
『あさが来た』平塚らいてうをわざわざ出してもの申させることが「あなたは傲慢」って個人的中傷なのはドラマとしてあまりにレベル低くないか。そうなんだよね、このドラマ筋書き以上に訴えたい深いテーマがないからヒロインを批判しようにも「あんた気に食わない」しか言えないんだよな…。
論と論との戦いに好き嫌い誤解されて悲しい的なもの入れるのってさぁ…そこまでこの実在の人物たちは愚かだったんだろうか。続くあさが「よくぞここまで立派になって」的なこと言って逃げるのも「死んでお詫びしたい」とあまり変わらない程度の逃げ口上だし…。
2016-03-30 13:19:24 via Twitter for iPhone to @papurika_dreams
小学校の教科書にも「女性の人権を主張した人」として載っている平塚らいてうを、史実にあったわけでもないのに「先達の偉業を敬わない傲慢な小娘」として登場させ、ヒロインの人格者ぶりを持ち上げる踏み台にさせ、「世が世なら座敷牢」と言われるために登場させる女性応援ドラマ… #あさが来た
あさが道を作ったからこそ新しい女性が生まれた。やりたいことはわかるけど、実際の脚本演出が稚拙すぎて、こんなやり方しかできないんならやらないで…。とはいえ、ファンが夫婦と加野屋の問題こそを見たがってるタイミングでこういう展開は、ファンサービス至上主義の #あさが来た には珍しいね
今日の中途半端な演出のせいで「いつの時代もフェm…女性解放運動家は性格きっつい」という偏った印象が深まる…。彼女達が強い言葉を使い、美しく装い、鉄の女とあらねばならないのには背景があるのにな。大島優子さんの長台詞は新次郎の延命措置の一貫だと思い感謝することにします。 #あさが来た
RT 類型的な描写で対立や断絶を煽るのは #あさが来た の弊害のひとつだと思う。よりによって、ファンの視線があさ新夫婦に集まっているこのタイミングで現れたのもあって、平塚らいてうを、(あさと違って!)権利だけを主張し感謝を知らない女だと嫌悪するツイートをいくつも見たよ……
娘だけでなく旦那様もほったらかして仕事に邁進してきた、こうして側にいると旦那様が嬉しそうで後悔…っていうけど元々は後見役の新次郎が働かないからそうなったんだし、朝ドラ歴代の仕事人間キャラの家族へのかまけなさからすりゃあさなんて充分家族の時間大事にしてるよね… #あさが来た
RT むしろ、いつどんな仕事してるのかな?て思うことがしばしば…。具体的なのは炭鉱の改革ぐらいで、あとは石ころ選別と、本読むのと、算盤入れてるのと、接客指導と訪問販売。寝室シーンや加野屋新喜劇や五代との接見(ラブの話)は随時たっぷり。実業家って感じじゃなかったから… #あさが来た
ホームドラマ>仕事ドラマなので話の配分として家族の話や夫婦イチャイチャが多かったから、あさが「元気な頃は全然旦那様にかまけなくて…」みたいにしょんぼりされても実感ないというか、あれだけやっても後悔という名の謙遜しなきゃならんのかよ!という気持ちになる。
あささんには「過ぎた謙遜はいっそ嫌味」という言葉を贈りたい。そして過ぎた謙遜は今もがいてる人を後ろから撃つこともあるんですよ?
前も書いたけど、お仕事ドラマを朝ドラでやれと言ってるわけじゃなく、ホーム/夫婦ドラマでいいんだけど、仕事がアイデンティティのひとつである人物を描くなら、そこに説得力を持たせるぐらいには描写しないと、今日の綾子のような台詞が主人公ageにしか見えなくて醒めるのだと。#あさが来た
描かれてる内容と、主人公が成し遂げてきたこととのギャップが大きすぎて、身の丈にあってない話になってるんだよな… これがとりあえずの成功メソッドになると考えると、朝ドラは「ま、朝ドラだしね」の頃の感覚に戻るんだなと思うけど、今はとと姉ちゃんが地に足ついているのを祈ってる。
「面と向かって言わないのは卑怯」な筈なのに、平塚嬢の抗議は笑顔でいなして帰らせ、後になって失望したようなことをいう。年取って丸くなったということかもしれないが、大名家や新撰組にも物申したまっすぐな気性はいずこと、寂しくなる。どこで逸れてきたんだろう……。#あさが来た
いい人生だったよね。新次郎さん。みんなを愛しみんなに愛されて、お気楽な道楽者の人生をまっとうできた。役者さんも、こうして最期までを演じると「役を生ききった」気持ちになるんだろうか。#あさが来た
新次郎は肉体から抜け出して雨になった。あさはこれからの人生、雨が降るたびに新次郎の「あ〜さ...」という声を聞くんだろうな...#あさが来た
RT あらっ、今このツイートを見て目から汗が・゜・(つД`)・゜・ #あさが来た
一歩間違えればバッシングを受けてもおかしくない「新次郎」という役が、ここまで愛されるキャラクターになったのは玉木宏さんの品のある演技、美しい所作があってこそであったと思う。ただのイケメン俳優ではあかんかったんや。玉木宏さん半年間お疲れ様でした。おかげで楽しかったです。#あさが来た
このドラマは「白岡新次郎に萌えられるか」というのが軸になっているなあと思う臨終回であった。新次郎に萌えていれば「極楽とんぼなようで本当は誰よりも家のことやあさのことを考えていた素敵な旦那様」に見えるんだろうな。
史実の信五郎さんを見るととってもチャーミングで可愛らしいおじいちゃんなんだよな。なんだろうなあ新次郎は「粋ないい男」じゃなくて「都合のいい男」に見えるの。
多分優男の負の部分やダメなところを描くのを避けてきたからかな?「この野郎……でもこいつならしょうがないかハハハ」みたいに思える部分がないのよね。川に投げ込みたい気持ちとか。
玉木さんのおかげ様もあって新次郎は素敵だったし所作や演技には惚れ惚れしたけれど、萌えはない。というか作り手の「理想的な夫」ありきでの人物造形が魅力を減じてたと思う。玉木さんの演技の素晴らしさで立体的に見えてたけど、新次郎の言動って作為的ですんなり腑に落ちないんだよね #あさが来た
新次郎。たとえばトラウマで家業が嫌い…の割には両親を嫌う様子はない。家の金を道楽に費やすのはちかえもんの徳兵衛のような当てつけや自棄っぱちではなく、ただ風流者だからだし、そこで人脈作ってるからOKだし、遊びは好きでも女遊びはしない。まさに「朝ドラの理想の夫」たるための作為的設定。
歌舞伎の世話物のようだと称賛もあったけど、歌舞伎や人形浄瑠璃の世話物に出て来る人間は、弱さや狡さも奥深く描写されてるんよね。遊びが好きなら遊郭に入り浸ったり身代潰したり家族を悲しませたり。それでも、ってとこが魅力になる。地雷を最初から作為的に避けてるような新次郎のキャラとは違う
炭鉱事故のときの「負けたことのない人間なんてつまらん、七転び八起きだ」も、何かに一生懸命になったあげく挫折して、周りに迷惑かけて、それでも立ち上がった経験なんてない人間が言っても、口先だよねってなる。新次郎ってキャラから出るセリフとしてふさわしくないんだよね。血が通ってない言葉。
新次郎の魅力って、結局「加野屋というスペックつき」あるいは「あさという商売上手の妻つき」の魅力だと思うんだけど、そこに踏み込まないよなあっていう不満。
育ちが良く性格も良く、気配り上手で人のために無償で動け、奥さんの能力を認めて羽ばたかせてやれた。だからみんなに好かれて、働かなくてもOK、責任とるような仕事しなくてもOK。でもそれって結局加野屋というバック、あさという有能な働き者があってこそ生かせる能力だよね。
嫁に来たのがあさでなく、ご一新で落ちぶれてたら、新次郎は惣兵衛のように土にまみれて働けただろうか? がむしゃらに家族で食べてく努力ができた? 男前で優しく気遣い上手で顔が広い新次郎は、一視聴者たるどこかの女性(もちろん商才など無い)の夫になっても理想の夫だろうか?
だから新次郎はあさにとっては理想の夫かもしれない(度重なるお口ムギュは見てて不快だったけどな!)、生涯、ゆとりある暮らしができる環境か、自分が夫の分までがむしゃらに頑張って家族食べさせます!ぐらいの意気込みのある女性にはいい旦那さんなんだろうけど→
→一緒に苦労していく夫婦関係を作れるような男性じゃなさそうで、それを「これぞ理想の夫」みたいな括り方をする作り手にも、評論記事(?)にも、かなり首を傾げる。新次郎って結局、貴族でしょ。貴族の魅力を、2016年の日本で、変に現代的価値観を混じらせながら「理想の夫」ってさあ…
能力や性格に未熟さや弱いところがあっても、時に挫折しても、自分の持ち場に向き合って責任を負って・・・そういうのがかっこいい大人の姿だと思うんだけど、新次郎ってことごとくそういうのない人間だったから、一生そういう環境にいられてよかったね、っていう感想になっちゃうんだよな
だからドラマの序盤のように超セレブ感あふれる物語世界が構築されていたらファンタジーとして消費できたかもしれないけど、「トラウマあるから働かない」とか、妙に庶民くさい生活や現代的(昭和的)価値観を恣意的に(無意識もある?)混ぜて展開していったから、なんともモヤモヤしながら見てたよね
「お商売より、わてが大事だということか(うるうる)」って、結局この人の人生、配偶者からの肯定によって解決される自己肯定の問題しかなかったんだなあってしみじみ思った。幸せな人生なのか、淋しい人生なのか、はかりかねる。
そこが、同じ夫婦愛の物語としても、マッサンと違うとこなんだよね。いろんな冒険、それに伴う数々の苦闘や、人と深くかかわるがゆえの齟齬や悲しみ、それを超える喜びが描かれたうえでの、最後に残る夫婦愛だったと思う。あさが来たはその場その場の表現で半年きたよなあって。
仕事の描写への不満を書くと決まって「朝ドラ / ホームドラマだから」と返されてきたけど、そんな個人の感覚を否定するわけではないけど、結局、夫婦の物語のためにも仕事面や対人面の過程(苦闘も喜びも)がもっと必要だったんだと思うよ。シリアステイストでなくてもいいから #あさが来た
今朝、波瑠さんが「あさは昼間は仕事の話ばかりだから、旦那さまとの寝所のシーンで一人の女性としての姿が出せるのが良い」的に言ってたけど、特に中盤以降は、仕事の話が少なすぎたり説明的すぎたり適切な描写がないゆるふわすぎたりで、大変アンバランスになってたと思うんですよね #あさが来た
あさが実業家としての悲喜こもごもを体験すればするほど。新次郎の、己は矢面に立たず奥さんを支え励ます役割のプラスマイナス面両方を描かれれば描かれるほど。その積み重ねが、夫婦のシーンにも深みを与えていったはず。それが不足したままキレイキレイに進むドラマだったよね #あさが来た
貴族で思い出したけど「高等遊民」から困ったところを抜き取ってしまったかのような気持ちの悪さ。
「七転び八起きという言葉があるけどわては九転び十起きや」というのは原案本では浅子本人が、御一新の苦境と炭鉱事故を重ねあわせて言ったことなんだけど、何故その思いつきを新次郎のおかげにしてしまったんだろうな。夫唱婦随にしたかったのはわかるけど、新次郎御一新のとき遊んでたし実感ないよね
「品が良く綺麗で優しく妻のすることを支える内助の功に長けた夫」自体のファンタジーはおいといて、それと「いざというときはリーダーシップも取れる頼れる男性」という設定のちぐはぐさもあるかなあ。
「働く女性に理解はあるが自分より半歩前を歩いててくれる」「仕事についてはとやかく言わないけど自分より頭が良くて間違ったら優しく諌めてくれる」という、ある種の女性にとっての理想像であることは間違いないんだけど。
RT ”「働く女性に理解はあるが自分より半歩前を歩いててくれる」「仕事についてはとやかく言わないけど自分より頭が良くて間違ったら優しく諌めてくれる」という、ある種の女性にとっての理想像” そうなんだよね!でも現代日本でそういう理想を真顔で書く作り手ってだめだなーって個人的に思う
あさ新夫婦に萌えねえなあって思う理由は、どんだけみっともかろうが相手を好きな気持ちは誤魔化せないんだよー!みたいな描写がなかったからかなあ。オシドリ夫婦設定なのに。
恋だの愛だのは、滑稽なまでの必死さやみっともない空回りとか、そういう「かっこ悪い描写」がないとつまんないと思ってるんだけど、あさきたは「かっこ悪い描写」は排除するドラマでしたからね、何につけても。
@sarara0904 反感かわなかったのはひとえに玉木さんの役者力で、そんな意味ではキャスティング能力すごいドラマなんですけどね。玉木さんも波瑠さんも本当に素敵で良いお芝居されてただけに、ぬるい人物像や関係性が勿体なかったと思います。もっと踏み込んで深いドラマになってれば…と
「あさがきた」先週だったか「悪口言うのは卑怯だ。目の前で言ったらいい」とあさが言うシーンですごい勢いで冷めてしまって、今週見てない。権力のあるほうが権利差を意識しないで、対等であると思い込んで相手を責める展開は、本当に苦手。
陰で言うなら面と向かって言え!ってのが通用するのは、友達同士だけだと思ってる。
権力のあるほうが、それを言うってことは、簡単に「賞賛以外は許さない」ってことになってしまうのに、なんでしょうね。この世界の「陰口は卑怯。面と向かって言えば卑怯でない」って信仰は。見えないとこで言っても、面と向かって言っても、内容の正当性こそが大事じゃない?
RT 丁寧丁寧と言われてるけど、そういうとかは相当雑なドラマでしたよね。雑というか、デリカシーがないというか、幼いというか
#あさが来た ラストシーンの 新次郎が菜の花畑で あさを抱きかかえて クルクル回すシーンは「マッサン」のOPで 政春が麦畑でエリーをクルクル回すシーンになぞらえたものでしょう。物語のエンディングを飾るにふさわしい美しいシーンでした。 URL
に、似てる…。
綺麗なお花畑で綺麗な夫婦が見つめ合って微笑み、妻は夫に頬を覆われて。うん、そういうドラマだったよねと思った最終回だった #あさが来た
先に逝った伴侶との、心の中での再会。という意味では良かったねえと思えるんだけども、同じく最後に若き日の姿に戻って駆けだしたマッサン夫婦を見たときと違ってほとんど感慨がなくて、それは「この人たちずっとこうだったよね」って感じを受けるからかな。
最終回で若返るマッサンとエリーのシーンを見て一瞬でぐっときたんだよね。ずっと駆け抜けてきたようだけど、あの頃からどれほど長い時間が流れただろう、どれほどたくさんのことがあっただろうと目がくらむ思いだった。背負ってきたもの何もかもから解き放たれて2人きりになれてよかったねと
あさと新次郎は…(玉木さんだけでなく波瑠さんも)老け演技はとてもすばらしかったけど、結局老年になっても、ドラマの設定に相応するものを背負ってなかった感じがする。大銀行や女子大ができて、親や先達を失い、体は老いても、死が2人を分かつという以外の大きな経験はなかったなーと改めて思った
でも、そういうものを描かなかったから不快感なく見られたという人が多いんだろうな
ただ私としては、「不快感がない」のが美点の一つとされるこのドラマにモヤモヤしたり嫌悪感を覚えたりしてた。その「不快感の無さの追求」っていう姿勢によって犠牲になっているものが気になってしょうがないってことなんだろうな
「女性はもっと認められ、力を外に出していけるようにするべき」というテーマだと、男性を否定する形になりやすい。でもこの物語は、最初から最後まで「男性の柔らかさ」が貫かれていて、それが女性を助けてくれる場面が沢山あった。男女関係なく、「柔らかい心」が持てたらいいな。 #あさが来た
RT そうかな? #あさが来た で柔らかい力を発揮する男性は新次郎、亀助、正吉…主人公の周りで主人公を支え愛する人ばかりだよね。他では男女のギャップを類型的に描写して断絶をアピールしてた。とても頑なで硬直した視点から世の中を描いて、その対比で主人公周りを繭でくるむなーという印象
ヒゲの四男坊と揶揄し遠巻きにする商人たち。「男は女にはちょっと下でいてほしい」や、「男は身分や地位で態度をコロコロ変えるけど女は違う。ずっと応援する」「女を軽んじる見方は永久に変わりません」。それらを見て「そうだそうだ世間の男はひどい今も変わってない」と断絶の感想があふれてた
「そんな世間の男たちに比べ、加野屋の男性はみな柔らかくて先進的ですよ、素敵でしょ」って描き方。「みんなこうあるべきなのに現実は違うよね」って感想を誘導する描き方。成熟した脚本とはいえないなーと思う。これもわかりやすさ追求の結果なのかな?
そんな加野屋の男性陣は、いくら若奥さんにやる気と才能があるとはいえ傾いた店の差配を任せきりで、「いい奥さんじゃないから妾をとってください」と言わせるまでに思いつめさせたり、爆発するまで炭鉱を任せきりだったり、萬谷対策が弱すぎたりで、柔らかいっていうか都合よかったり能力低すぎたり…
んでも、あさちゃんはとってもいい子だから、そういうこともほとんど気にしないし、苦労しましたなんてとらえてないんだよね。なんだかなー、なドラマである。おかしいことはおかしいと思おうよ、と思ってたな
泣いたり怒ったりするのはその後に夫が抱き寄せ優しく慰めるのとセットで、それ以外では、泣いたり怒ったり何かを強く主張するのは余裕がない、度量が狭い、賢くないみたいな雰囲気がつきまとっているのがすごくイヤだった。
泣いたり怒ったり争ったりせず笑顔で余裕で…それが「柔らかい力」のように称えられるのも嫌だった。それはタグTLという狭いファン世界だけのことだと信じたい。そんなふうにいろんなことサラサラ流していって大丈夫な世の中じゃないよね今、って思ったりする。何か、全般思考停止ドラマなんだよな…
このドラマ見て、こういう人たちがいたから女子教育や今の世の中があるんだよね感謝、っていう感想はよく見るけど、あささんが(口では)言い続ける「もっと勉強したい、これからも学んでいこう、嫌われても切り拓いていこう」ってファーストペンギンに憧れるような感想ってあるんだろうか?
ホームドラマ、夫婦愛だからそういう感想は必要ないんだ、っていわれるのなら、曲がりなりにも半年かけて描かれたあさの物語、あさのメッセージって虚しいなと思う。作り手自身にその辺、訴える気はほとんどなかったんだろうけど、そういうものを見せられてたんだなって
ところで私はまれとかあさが来たとか見て感想を書くというちょっとしたコミットメントを続けた結果、もっと勉強したいなと思ってこの春から放送大学の授業を受講することにしました。という意味で、あさが来たにもとても感謝しています
いやもちろん、好きなドラマの主人公に憧れなきゃいけないわけじゃないけど、なんていったらいいのかな・・・綺麗なものを描くために、踏み込まない(踏み込む気のない)メッセージを半年間見せ続けるってなんかすごいなと思うんだよね。エンタメともちょっと違う、啓発的な顔で見せ続けてたからね
白岡あさにとっては仕事での業績や成功者として称えられることよりも大好きな旦那様に承認されて甘えられることが何よりの幸福であったのです、という幕切れであった。若き日に戻って菜の花畑で麗しいふたりの姿をじっくり撮る。本当 #あさが来た らしかったですね。
@kingofActorsRno ヒロインが「仕事で認められる」ことから稼ぎたいとか出世したいとか世間に認められたいとかいうものが差し引かれ、そこに夫はじめ身内からの承認がぶちこまれていることに居心地の悪さを感じ続けた半年でした。
2016-04-02 08:24:59 via Twitter for iPhone to @kingofActorsRno
「そのファッションは男ウケ悪い、男はなんだかんだいってコンサバなのが好きなのに、何でそんな服着るんだよ」という批判に似た何かを感じ続けた朝ドラであった。ファッションは男性に認められるためのものではない。そりゃ褒められたら嬉しいけど、それを目的だと思われちゃ困る。
仕事も一緒で、そりゃパートナーに認められれば嬉しいし「君のその言葉があれば何もいらないよ」という気持ちになることはあるけど、自分自身を認められることを目的にしたら職業人の誇りって何だ?となる。「可愛い娘の作ったケーキならなんでも美味しい」で留まってちゃダメなように。
新次郎はあさが仕事で失敗しても成功しても承認し肯定してくれるけど、そういう人の肯定をヒロインの要に置いたのは「大成功した女性実業家」の物語としてはモヤモヤするし、女性活躍推進とか言われる現在に頑張る女性応援ドラマを標榜するなら活躍の結果はもっと色々描くべきだったと思います。
ミソジニーやマチズモに走る男には批判的だけどその前段階の柔らかい抑圧はスルーとか、女の柔らかい良さは評価するけど柔らかくない初期の菊さんとか平塚嬢の扱いの悪さとか、まあ信念があってそうなったわけじゃなくて、最大公約数をとるとそうなったっぽいけど。
「男尊女卑は願い下げだけど、いざというときは引っ張ってほしい」とか「うるさくて自己評価ばかり高いフェミおばさんにはなりたくない」とか女子会トークみたいな価値観がドラマ化されてるので、うまくはまれば気持ちいいんだろうなとは思う。
RT 女子会トークみたいな価値観。それだ……
@CordeliaFAnne: 武家屋敷前の座り込み、あさちゃんと玉利さんとのやりとり、炭鉱にピストルあたりは、お商売に対するガツガツした感じがあって楽しかったな。それが「ここからお商売の本番ですか!」っていうあたりからその辺が描かれなくなった。寄付金集めは回数通っただけだったからなぁ。 #あさが来た
実業家物語とか、女性運動家の苦難の道とか、くっきりはっきりとした輪郭がなかっただけに百人百様のとらえ方があったんだなと思う #あさが来た 。今回は魅力的な役者さんたちの好演に恵まれて成功したと思うけれど、この先に二匹目のドジョウがいるとは思わないでほしい気はする。
今回の朝ドラは、題材と出演者きいて楽しみにしてたけど、主題歌と冒頭の「女性のやらかい力」とやらで不安になった。最初の3週くらいはほんと楽しかったのだけど、だんだん不満の方が大きくなり、最後には最初の不安が的中したな、という作品になっちゃった。
私、カーネーション以外の朝ドラは、1つの作品としてみると微妙なもの多い(朝ドラという枠の制約上仕方ない)と思うので、このドラマ自体が楽しくないのは別にいい。ただ、これが女性の活躍応援ドラマとして世の中でもてはやされるという事実にうへぇってなる。
@komimi24: あささんが、普通以上に女らしくて従順な奥さん、やさしいお母さんにしか見えないのに、やたら四男だのヒゲだの言われ、娘にひどい母親と責められまくってるの見るの辛かったよ。しかもそれに対してあささんが戸惑い謝りまくるという…。
よく学べ、学べば世の中の役に立つことができるとばかり言うんだけど、学ぶと何がどう役に立つのか具体的な実感が全く伴っていない最後の演説でした。演説がうわ滑ってるのこのドラマらしいなあ。 #あさが来た
「陰口を言うのは男はんの専売特許かと思うてましたのに」とショックを受けるのもはぁ?だったなあ。陰口を言うのに男女関係なくない?そこでジェンダー持ち出すんだ?と。
リベラリズムを生きたいと思う人間が自覚した方が良いのは、極右や差別主義者の殆どは「ことば」というものに自らの根拠を置いていない、ということだ。安倍晋三を見れば分かるだろう。彼らは自分が口にする「ことば」を信じていない。「ことば」が地滑りし続けることを、彼らはある意味で恐れていない
@Masilica: RT あさが来たもそうだった。上滑り続ける言葉。
RT あれは正しく反知性主義の時代のドラマであったわ。by @Masilica
@emitemit: 「学びたい、よく学べ、学ぶことは大事」って、そんなことホントは深く考えてないし描きたいのは夫婦愛ですから、みたいな作品で、さもホントに思ってるかのように連呼される違和感なんですよね。#あさが来た
@sarara0904 王道の大団円を貫いたということなのかもしれませんが、オリジナリティの薄い最終回でしたよね。玉木さんのお芝居は…お芝居はどなたも本当に素敵だったんですが。でもお花畑で終わったのは象徴的かもしれません。お花畑なドラマだったなあと思います…
終わりましたー! おつかれさまでしたー! 最後までモヤモヤしたー!
とってもコミットメントしたドラマだったので、時間作ってもう少し追記しようと思ってるんだけど、いかんせん春休みで、1日中、子どもと一緒だからなあ。でもそれは今しかできないことだからなあ。