『あさが来た』 第15週 「大阪の大恩人」
銀行とは何ぞやをわかりやすく見せるため。あさの成長をわかりやすく見せるため。という意図だろうけど、銀行やりたいと言い出して6,7年は経っているし既に実業家で借金取りの経験もあるのに、銀行のメリットだけ夢見てリスクを考えていない、今から勉強するあさ。 #あさが来た ワールドだなあ
#あさが来た お話は商売のほうに戻ってきたが、商いに関しては身内の雁助さえ説き伏せられないあさに、五代がなぜああも遠大な期待を抱くのかはいまだにさっぱりぽんである。あさのことを単に好きなのはまあ分かる。かなわぬ恋ゆえ旦那へのさや当てだけ継続するのは面白いw
先週「あさが啓発的な言葉を言ってもぐっとこない」ってツイートがあったけど今日の「母親が10人いたら…」もそうだな。登場人物がそういう発言をする根拠は理屈的に辛うじて示されてるだけで、心胆・血肉から出た言葉に聞こえないんだよね「フィジカルじゃない」と呟きもあったとおり #あさが来た
あさが「働こう!」て言うたびに違和感がある。なんか労働者とか職人みたい。そりゃ算盤入れて勘定を計算したり検算したりするのも仕事だけど、あさの仕事ってメインは経営だから、時間とか量とかで測れるものじゃなく、うーん何というか、つまりあさが経営者のように見えないんだよね #あさが来た
いや #あさが来た が事業経営を描きたいドラマじゃないことはわかってるんだけどね 属性に事業経営があるからさ、そういう目で見ちゃうの
五代「銀行とは志のある人を応援するもので…」あさ「銀行やりたい銀行やりたい」五代「今はやめたほうがいい」あさ「そうだすか・・・すいませんでした」五代「北海道は宝の山です」あさ「きっと協力します」こういうやりとりで進んでいく。空洞・・・ #あさが来た
素直で人柄が良いのはもちろん仕事面でも良く作用する。でもあさは若い女性というハンデがあるとはいえ、ハンデの中で炭鉱まで買って10年働いてきた人間(しかも経営者層)の言動をさせてもらえてない。新規事業に際しても、五代との会話でも。残念だなあ #あさが来た
新しいビジネスだから知識を得るのも大変だろうけど、商売には家族や社員の生活がかかってる。「加野屋の身代」の中から投資したいってのに、「やりたいやりたい、でも基本の仕組もわかってない。諭されたから一旦やめます」 あまりに責任感ないお嬢さんな言動はそういう造型ってこと? #あさが来た
「加野屋の身代は炭鉱で稼いだんだから、うちの意を通します!」っていうような、傲慢な性格じゃないしね、あさちゃんは。今銀行やりたいのは「働くのが好き・新しいものへの好奇心、銀行の志への共鳴」だからか「お家の継続的繁栄のため」か、そういう内面描写も空洞 #あさが来た
#あさが来た はストーリーも時間経過も書き割りで、その空洞が萌えと泣きを強度する…って分析を先週RTした。主要人物の内面が空洞化しやすい(悩みは類型的、セリフは啓発的)なのもその一種なのかなって思う。でも私、明治の女性実業家あさちゃんを応援したかったんだよな、そんな女性の人生を。
「加野屋の身代は炭鉱で稼いだんだから、うちの意を通します!」っていうような、傲慢な性格じゃないしね、あさちゃんは。今銀行やりたいのは「働くのが好き・新しいものへの好奇心、銀行の志への共鳴」だからか「お家の継続的繁栄のため」か、そういう内面描写も空洞 #あさが来た
#あさが来た ドラマのあさは超セレブ出身だけど、山王寺屋やサトシや炭鉱の人々を身近に見て深く関わってきた経験がある。あさは優しく賢い性質だから、彼らの生活を常に念頭におきながら、より良い社会をと願って仕事をしたり、新しい事業に情熱を燃やすような造型にしてもよかったと思うんだけど→
→また美和やふゆを描いてきたのも「当時の女性の姿」の因数分解で、いずれ実際に銀行や学校を作るときには、生活が厳しい人たちや立場の弱い女性のことにも「セリフで」言及するかもしれないけど、キャリア10年以上にしてはそういう思考回路が普段の言動に見えなさ過ぎて #あさが来た
伝統的な女性観が背景にあるからこそ、いろいろと悩みながら進んでいく姿が見たい、それがイコール男女の対立を煽る話になるとは思わない。悠太郎は建築の仕事、マッサンはウイスキーを作る人という職業上のキャラがホームドラマに生かされていた。あさちゃんにもそれがほしいのだよね
「伝統的女性観が背景に・・・」はフェミニスト的観点で戦ってほしいという意味ではなく、どんな時代や職業にもそれぞれの背景があるもので、その中で奮闘する姿が見たいという意味。
今日のあさもすごく綺麗だった。お着物も。お母さんがこんなに綺麗なのは(素材のことは置いといて)、好きな仕事に打ち込めてお父さんも応援してくれるから。内面から輝いてるから。でも、綺麗なお母さんがしょっちゅう家を空けてるのは淋しいんだよね、自分を見てほしいんだよね #あさが来た
あいかわらずうっすい根拠で炭鉱をごり押しして、もう尻拭いはしないと当然のことを言われて鳩が豆鉄砲食らったような顔してる女傑あささん。10何年も商売してそれかい。雁助さん気の毒だ… #あさが来た
雁助さんが 尻拭いしなくちゃいけなかったのは利益出してるのに 組織化 しなかったからでほんまに 商い描写はザル。。。 #あさが来た
「買い足そうと思って、前々から亀助に探してもらってた」←そういうプランは前々から他の役員陣に相談しとこうよ、って話ですよ、あさちゃん! #あさが来た
最近「大阪一の女商人」フレーズを繰り返してるけど「自分の頭では大して考えず、五代の言うこと鵜呑みにしてきたツケが回ってきたよなぁ現状」って見える残念な大阪商人たちの中で一番の女子って持ち上げられてもな。積み重ねなしでの「大阪一」の連呼は逆に薄っぺらさが際立つだけ… #あさが来た
榮三郎はあんなふうに言ってくれたが雁助の「炭鉱が爆発しても…」発言はシビア演出だった感。事故の後始末に行かされたから正吉の死に目に合えずじまいよ! 辞めようとまで思い詰めたんだし簡単に消化できる出来事じゃないよなー。んで、あさちゃんはそこら辺わかってない描写だった感 #あさが来た
#八重の桜 では維新後「これからは武力ではなく、学問で・言葉の力で・議会で、権力と戦う」ため頑張る人々が描かれてた。明治14年。威勢のいい言葉を並べて簡単に人を扇動できるまでに、ペンの力が大きくなってる。#マッサン でも会津人の明治以降に触れてた。歴史が繋がるね #あさが来た
#あさが来た はなあ…朝ドラでは珍しくない描き方だけど、大阪商人さんたちが今日も元気におバカさんで、加野屋三人衆が何ともちょろいヒーローに見えて…新次郎が「優秀な大阪商人の皆さんなら」とか言っていい気分にさせるとか、”柔らかい力”の表現としてはな…。脚本が大阪商人さん馬鹿にし過ぎ
#あさが来た それにしても、榮三郎役の桐山さんが、どんなときでも自然で、表情もセリフ回しもうまくて感心してる。今日だって大勢の中での芝居なのに変に肩の力が入ってなくて。着物の着こなしもいいし。ジャニーズの役者輩出力はホント侮れない。
両親始め愛情深い加野屋の人々に囲まれてなお、千代ちゃんの中にみたされないものが溜まっていくのを丁寧に描写してるけど、この先、母と娘の対立とか、仕事か家庭かみたいなテーマやるの? #あさが来た でそれやらなくてもな…。いや、ホームドラマだから仕方ないんだけど勿体なく感じるの
とはいえ、店の身内で協力して、集団の空気を一変させ盛り上げて、「仕事っていいわー!」と充実感一杯で帰宅したあさちゃんと、独りぼっちでおままごとする千代ちゃん(それ以前の時間は友だちや店の女たちと遊んでただろうけど)との対比、心の通わなさの描写はうまい。胸が痛んだよね #あさが来た
波瑠さんは迫力ある啖呵も切れるし、サトシを断罪したようなシビアな台詞も似合う。若いのにちゃんとお母さんにも見える。10年以上ビジネスの世界にいる人間の言動でもって、ビジネスウーマンとしてはもちろん、妻や母の顔も描いてほしいなあ。実務方面は真田丸担当とはいえ… #あさが来た
#あさが来た あさと新次郎と榮三郎の3人を引き立たせるためだというのは分かるんだけど、ご一新も乗り越えた才のある商人が集まってるはずがぼんくらばかりに見えてしまって(- -;)
#あさが来た どこまでも個人的な好みだけど、自分が観たいのは「普通の人達の集まりの中で仕事ができる方である加野屋のみなさん」ではなくて「ハイレベルな集まりの中で対等に意見を戦わせられる加野屋、そしてその中でも抜きんでた才を見せるあさ」なのかなと思った。
歌舞伎は大好きだけど、朝ドラに歌舞伎を求めてないんだよねもちろん個人の嗜好です
七夕飾り、お雛様、三味線(玉木さんもだけど、野々さんさすが!聞き惚れたー)。寝ている夫と子どもを振り返り微笑むあさ。傾いてきた日の中で昼寝する千代。画面が本当に綺麗。そして #平清盛 を思い出し、画面が綺麗なことはお茶の間の支持のためには本当に大事だなーと思う #あさが来た
朝ドラで時代劇(明治・大正・昭和モダン含めて)の流れは今後も続くだろうなって思う。#あさが来た ほどうまく視聴者を楽しませるように作るのは難しくても、現代劇に比べて夢があるというかファンタジー的に気持ちよく楽しめるんだろうね、価値観も、当時のと現代風のを程よくミックスできるし
石炭がようけ出た、と嫁抱っこグルグル新次郎さん。大勢の人が汗水垂らし危険と背中合わせで掘ったおかげで、綺麗な着物を着て美味しいビールが飲めるわけよねとか。千代ちゃん淋しいかもやけど衣食住に不自由ないだけで有難い時代やで。とか思わんでいいもんね朝ドラ時代劇だから #あさが来た
朝ドラ「あさが来た」は幕末?明治を現代劇ふうにしたところがミソですが、せりふの中にも、「かっこええ」(第2回)、「イマイチ」(第48回)など、明らかに戦後のことばが出てきます。これは意図的なものでしょうか。ちょっと雰囲気を壊す気もするので、もう少し配慮がほしいところです。
RT 言葉遣いや新聞のルビが現代調だ、という指摘に対して、「朝ドラだから」「勉強じゃないから」という意見を多く見たけど、このツイのキモは前半部分、「 #あさが来た は幕末明治を現代劇ふうにしたところがミソ」だと思う、これは時代劇じゃないんですよと専門家は認識してる
あさも新次郎も、階層が下の人(山王寺屋、炭鉱、サトシなど)を大勢見ても、自分らの暮らしや生き方に何の影響も受けなかったり(娘の言葉が初めて刺さった新次郎)、仕事に社会的意義を見出さなかったりするところは、すごく「上つ方」のメンタリティで時代物らしいとはいえるかも? #あさが来た
一番ひっかかってるのは「あさが働く」ことの意味で、以前は屋台骨だったけど今はそうじゃないのか、今も屋台骨なのか、あさが千代といっぱい遊べる環境になると加野屋は干あがるのか、そうじゃないのかまったくわからないことだな。
今も屋台骨なら10年も支えてきた人に「いつもの馬車馬病」みたいなやれやれ感はどんだけ信頼されてないのかって話だし、今は本流から外れつつあるならそれ相応の焦りやプライドの傷みたいなもんもあるんじゃないかと。
家庭では家族にすまなそうにしながら仕事に出て、職場では前に出過ぎないようにおどおどして、社会を引っ張っているのはその人なのに、自由にやらせてもらっている周囲の人たちに感謝しながら仕事をする。そうでもしないと女性は社会進出させてもらえないのね。
どなたかが「自民党女性モデル」と言ってたけど、まさにそれだな。
朝ドラ、これが社会が求める女性活躍かいと思うとげんなりする。象徴的だったのが襲名披露の時に、男の主人が横に並べて「あげて」、本人はおどおどびくびく女傑の一代記と言いながら、ヒロインは周囲に嫌われないように顔色伺っているようにみえる。
今日の回もだけど、周囲のあらゆるハラスメントにヒロインがいちいちまごついて気にしてるのがほんとストレスたまる。カーネーションの、うちは勝って勝って勝ちまくるんや、嫌うなら嫌うたらええ、って言い切った糸子の強さと傲慢さは素晴らしかったなあ。
人脈の話が夫のお遊びに関連してしか出てこないし、それにヒロインが感心してるだけとかさ…そして、本人には人脈を生かす発想がないしそもそも人脈なさそう。
>RT群 とにかくいろいろ回避して描いてるんだけど「わかる」「すてき」「面白い」「こうありたい」って思わせるところが #あさが来た のプロフェッショナルな仕事なんだろうなー
白岡家、加野屋という、ある一家の物語なんだよね徹底して。本当に小さなホームドラマ。時代も、大阪という場所も、女実業家の商売も「仮」の背景なの。あそこは明治の豪商じゃないし大阪である必要もない。あさの仕事も何でもいいし加野屋の経営状態も不明でいい #あさが来た
そうやって仮の背景で描かれるホームドラマがPの言うような「おもろい夫婦」とは思えないし(色んな意味で綺麗な夫婦だなとは思う)、働くヒロインはかわいくて好感がもてるけど何だかいい子ちゃんで思い入れがもてない。でも支持されてる。これが今の朝ドラなんだよなーと感慨深い #あさが来た
綺麗。とにかく綺麗なのだ、#あさが来た は。画面も人物もストーリーも。タグTLのネガコメに対し「暗部を安易に描かない、その綺麗さにこそ価値がある」と力説する方もいらっしゃるが、確かにそうなんだと思う。それだけ現実が世知辛いというのもあるのか。この流れは続いていくのかな?興味深い
私の思う豪傑な女商人と違うからなのだと思うけど、あさがいつまでたっても商人という感じがしないのよなあ。豪傑なんてもっての外で。ただバタバタと忙しくしてるだけ、長いこと商売をしている割に視野が狭い、謝るけど「せやけど」と掌返しして理由なく押し通す…と見えてしまう #あさが来た
波留ちゃんが演じるから嫌味なく見えるけど、中身のなさが気になるようになってきた…。年月だけサクサクサクサク進んでいるけど、年月に対して積み重ねた感じがなく、炭鉱の成功も大阪一の女商人の評判が伴ってないというか。 #あさが来た
要所要所に共感ポイントを挟みながら進むね。子供の側にいられなかったことに涙するあさ。子供のなんで?にワタワタする大人。その共感ポイントを掘り下げないことで炎上も回避できるし。
時代的におかしい描写をしてまで現代の視聴者の感覚に寄り添うこと自体はドラマの目的等に照らしていいとしても、その現代の感覚とやらが前時代的なイデオロギーなのはどうなんだ? #あさが来た
#真田丸 が、時代や場所や人物が「仮」ではない、必然の背景として、物語性で楽しませる作品なので、#あさが来た と視聴者層がどれくらいかぶるのか、かぶらないのか、両者が同枠の後続作品や、民放も含めた別枠ドラマにどれくらい影響を与えるのか、与えないのか、いろいろ楽しみ。
そうです、楽しみです。「あさが来た」を見てモヤモヤしてるんですけど、これがどこからくるどういう気持ちなのか、他の人はこういうことを感じているのかいないのか、あさが来たの人気の理由、これは今後も続いていくのか、いろいろ興味深くて仕方ありません。困るなあ。