『あさが来た』 第14週 「新春、恋のゆくえ」
早くお屠蘇気分の抜けた話にならないかなーと思うがこれが #あさが来た の本質かもしれないから・・・
BK名物、上杉祥三きた!と思ったらいきなりフルスロットルw お元気そうで何よりですww 上杉さん、戦国武将も似合うので今年か来年か(両方でも)大河にも出てほしいな #あさが来た
立ち聞き、仕事関係は説明ゼリフの嵐、新次郎age、これらは一切躊躇しない!という #あさが来た の豪腕がいかんなく発揮されてますね。
外仕事には一切関係なく生きた主人公西門め以子さんのドラマにおける、配偶者の建築のお仕事の描写のほうがまだ多かったし質的にも面白かったなーと。とと姉ちゃんのお仕事描写は面白いといいな。
ふゆの、素直な情感あふれる演技にうるうるしてしまった…。はつはともかく、うめに憧れてる様子なんて今まで一切なかったのに(笑)。ふゆの父親のキャラ設定も効いてるし、立ち聞きしてるうめの表情がまた良くて。とんでもないことってどうなっちゃうのーど #あさが来た
実家では犬猫以下と言われ、奉公先で一生懸命仕事をしてもうめのような立派な女中にはなれないふゆ。一生懸命仕事をしたくても奥では女あるじがそんなことしないでと言われ、実業界では酒の社交場にも繋がれなくて会議所設立の経緯も全然知らなかったあさ。居場所がないのは同じなのかな #あさが来た
あさが寄合所に顔出すようになって十余年となりゃ周りとそれ相応に人脈できてていいだろうし、あさの性格も別に引っ込み思案でもコミュ障でも高飛車でもないのに、未だにあささんが陰口対象で新次郎の口利きのほうが力を持ってるのってどうなんだろうなーと思います。
新さんの人望が、軽〜く五代さんを超えちゃったwびっくりぽんや?
脇役のそれぞれの人生を描くのも、ホームドラマやるのも構わない。ただそれは、主人公の人生のテーマとリンクしていないと、説得力がないってこと。 #あさが来た
このドラマで一番キャラ設定が甘いの(ぶれてる、説得力がない、変に優等生)は主人公夫婦で、官兵衛しかり、花燃ゆしかり、いまいちな大河ドラマと同じだなと感じる。違うのは、キャラ設定が甘くても、あさも新次郎も魅力的なこと。そこはうまさだよなーと思う。#あさが来た
朝ドラだから女の一生ドラマ・ホームドラマで全然いいのだけど、あさの言動と、彼女の属性が不一致なのがねぇ。(あの時代に)責任ある仕事10年やれる根性とか資質、やってきた矜持や実績が、あさの言動には感じられないんだわ。働く女性を後ろから撃つドラマ、という評がわかる #あさが来た
新次郎が陰の立役者になるのも、あさにできないことをやるという、夫婦の補い合い・支え合いではなく、一生懸命仕事をしている(したい)あさが尊重されていない姿に見えて。責任ある仕事を10年やってきた人間にそれらしい言動をさせない「一人の女性の人生を描くドラマ」だなあ #あさが来た
仕事描写が少なくても、妻や母の顔があっても、長く仕事をしてきた人間ならいろんな場面でそれに裏打ちされた思考回路や言動が表出するもの。いつまでも「頑張ってるかわいいお嬢さんキャラ」な言動をさせたり、周囲からもそう扱わせたりする作り手がどういうドラマを作りたいのか透ける #あさが来た
マッサンも仕事描写は限定的だったけど(それでも #あさが来た の後でマッサン総集編を見ると…)ボンクラでおっちょこちょいでも「このウイスキー馬鹿ならウイスキー作り上げるわな」って気概や説得力が造型された上での夫婦の冒険物語だった。あさは職業人としての造形を与えられてない…
とはいえ年明けから女傑・あさになるとかいう話をTLで小耳に挟んだので今週はその前フリなのだろう、そうだろう(と、いつも先に期待をして既に4か月め) #あさが来た
今日の15分、めっちゃ好き。コミカルな辻占煎餅から懸命なあまり逆ギレ気味の亀助、おふゆの一度きりのデート、大人な新次郎、降りだす雪。お友だちになりましょうと名前を呼び合うあさと美和。泣く少女。少女小説だわー。ふゆちゃんかわいいんで16才くらいの脳内設定で見てますがw #あさが来た
新次郎は妙なトラウマ設定とか、影の立役者とかで補強しないで、ただええとこのボン育ちで優しい人でおおどかで、芸事が好きで社交的で…って設定がよかったなあ。それだけで、玉木宏が演じれば、主人公のパートナーになり女中の子にポーッとされ、皆を和ませ愛されて十分説得力あるもん #あさが来た
今日の野々すみ花さんの演技よかったなあ…初期、新次郎に粉かけてた頃は、脚本演出の都合上ちょっとわざとらしい芝居をさせられてたけど、妾話がなくなってからは自分の道を切り拓く魅力的な姿が印象的で、今日は大人の女性の普段は見せない可愛らしさや淋しさを表現してた。うまいわー #あさが来た
あさの物見遊山のような「東京旅行」編より、ふゆや美和のストーリーのほうがサイドストーリーに見えてじつは本筋だと思う。ふゆや美和も因数分解して描かれた当時の女性像だから。あさも女傑を因数分解して濾過した設定なんだろうが。アヴァン演出が意図的に番外編っぽい #あさが来た
「もっと自分に誇りを持て」と新次郎に言わせてしまうあたりが、さすがにアゲ過ぎでキツいし、「そこまで分かりやすくしなきゃいけないのですか」という気持ちにもなるけど。まあ。 #あさが来た
>RT 「兄に比べれば自分なんて」と思っていた新次郎だからこそ、ふゆの気持ちがわかった。それはあると思うけど、「あなたは今どうなの?」とは思ったよね。誇りを持てるようになった? 自分もそうなりたいと思いながら言ってるの? わかりやすいようでアバウトなんよね内面描写 #あさが来た
あさが来た。妾さん因数分解をここまでしつこく引っ張ったのは、当時の女性の選択肢の無さ、そこから外れた者の疎外感、つまりあさや同時代の女性が感じたであろう悲哀や鬱屈を、ふゆ美和で描きたいからだという事は今週になって見えてきた。しかし男性陣ageとラブが前に出過ぎて隠れ気味のような…
あさ来たのリアリティラインはそのときのテーマによって揺らぎすぎだなあとは思っている。アッパークラスは政略結婚だけど使用人層は平成的なハイパー自由恋愛って世界なのかな?
リアリティラインも、年齢設定も経年変化も、場面場面で恣意的だったり曖昧だったり。「表現したいことのために」と制作側は説明し視聴者ファン側も良しとしてるけど、これが当たり前になってほしくないなー。邪道・禁じ手だと思うし、それを使う分、物語の強度は下がってると思う #あさが来た
明治時代の父親に「叩いても怒鳴っても人の心は動かない」と啓蒙的な言葉をあさに言わせて「あー時代劇の皮をかぶった現代的価値観な言動」て思うけど、そのあと亀助の「ふゆは身内だす」で普遍的な情緒に訴えるあたり、ほんとうまいよね。榮三郎やよのが後ろで頷いてるのもぐっとくるし #あさが来た
ふゆちゃんが「新次郎のお妾になりたい」と言ったときは16才ぐらいのお嬢さんだから生々しくなくてOKな感覚だったけど、翌日に亀助のお嫁さん決定すると、えーっ40代半ばと16才?!って思ってゾワゾワするわ。ふゆ、昨日は16才、今日は28才ぐらいってことで(^^; #あさが来た
今日の幕引きのうめの表情がなんともいえずよかった。万感って感じで。スピンオフはうめでお願いしたいぐらい友近がすばらしい #あさが来た
榮三郎のいいなずけ、静子だった? #あさが来た #カーネーション
色んなLOVEが飛んだ良い回だった??でもうめの誰かを思うだけでいいっていう思いに一番泣けた。 #あさが来た
役者も相まってうめは本当に魅力的(年齢不詳だが)。でも亀ふゆが完全無欠のハッピーエンドだったので雁うめは互いを思いつつも結婚て形にはならないかもなー。スピンオフならありえるかも。雁助さんの元妻か娘が出てきてすったもんだしたりして・・・。てか雁うめのスピンオフ見たい #あさが来た
あさが啓蒙的な科白を言ってもグッとは来ないんだよね。そこにいたるまで内面の葛藤なりが描かれているわけではないから。そんなこんなで不満をつい書いてしまうが、作りが巧いから楽しめることは楽しめる。ふゆが裾を掴む絵柄は歌舞伎だなあとか。ディテールで楽しむというか…。 #あさが来た
@takehi1009 ぼくはあそこであさの行動に期待が高まったんですけど、「なんでだす?」と出た瞬間に空気が抜けました。木岡のおっちゃんのすさまじい理不尽行動に、教育的指導はないよなあ。そしてそれが亀助へのパスだというのも明白で、ディフェンダーの足でブロックされちゃう。
@tomosakata あさは脱臭化されて優等生すぎるんですよね主人公なのに。むしろ加野屋の周囲の人物の言動のほうが好ましい。ある意味で集団劇なのかなと。昨日の回は亀助が主人公なのでああなるのだろうとは思うけれど。いかんせん主人公の描写の弱さが解消されないのが残念です。
@takehi1009 ああいうセリフが優等生すぎるのもあるし、あさにフィジカルなところがないんですよね相撲好きなのにw 物事を興していく女性には糸子が男と格闘して負けて泣いたような、ああいう理屈じゃないフィジカルなものがありそうな気がする。 #あさが来た
今週の #あさが来た 纏め観。あさがお嫁入りして初めてのお正月?まだ、お家の事も仕事の事も何も分からないんだね〜(^_^)。おぼこくてかいらしい新妻だこと…え?嫁いでからもう13年?
普通の朝ドラだと思う事にした矢先だけど、やっぱり普通の朝ドラにも見えなくなって来た。これは昭和のホーム時代劇ドラマなんじゃないかな?いや、子供の頃ホーム時代劇ドラマなんか観てなかったし、そういうジャンルがあったかどうかも知らないけど…(^_^;)#あさが来た
時間ですよ みたいな久世ドラマの時代劇版というイメージ。ふゆは浅田美代子とかが久世ドラマのお手伝いさん役でデビューしたのと同じだと思うとしっくり来る。ただ邪魔なのがドラマ内の時間経過の早さ、これがサザエさんの様な時間が経過しないドラマだったらしっくり来るのだが…#あさが来た
昨年までは主要な人物の謎解きで引っ張ってきた感じで、各々の個人史も視界に収まり、いよいよ今年からは、部分から全体へ、キャラをキャラたらしめる大きな物語へと説話の焦点は移るみたいだけど、物語はあまり前景化せずに、蜃気楼のごとく遠景のまま、キャラの引き立て役になるのかな?#あさが来た
今のご時世、大きな物語に対する胡散臭さもあるし、面倒臭く思われがちなので(今の中高年はシラケ世代が多いw)そんな忌避感をスルーしながらも、物語とキャラの水と油の関係をエマルションする機微(その分、物語性は後退する)みたいな事はBKの方が得意?AKだと物語性が前面に!?#あさが来た
欧米の盛る文化に比して、キャラもまた引き算と余白で成立するように思ってて、キャラ設定以上の物語性は、受け手の二次創作に委ねられるのが前提。そこから逆算して作られた物語の「無時間性」によって、越境的なスーパーフラットの扉は開かれ、現実との齟齬が説話の「萌え」を喚起する。#あさが来た
仮に「萌え」が、いわば失楽園に端を発するような非現実性からの眼差しが抱くノスタルジーと連帯のエロスが融合したもの(擬似恋愛感情)だとすると、現実とのギャップが大きいほど「萌え」の強度も高まる。キャラが生きる世界は、ありえたかもしれないもう一つの世界、パラレルワールド。#あさが来た
その意味では、多少の問題はあっても、史実ではありえなかった広岡浅子のキラキラしたパラレルワールドとして、気持ちよく受け入れられてる(キャラ不変の法則を裏打ちする、うめとふゆの時空の歪みでさえもw)キャラの器が飽和状態になる一歩手前で引き算する加減が、近年のBKは上手?#あさが来た
昨日の回は、いろんな要素がドラマチックに噛み合ってて見応えがあった。言葉にはしにくいけど、いい「演奏」だった。雨や雪が天から降ってくるシーンはもともと好みだっただけに、雨男が雪を降らせる奇跡(涙雨の結晶=雪)と、自己否定三人衆が冬至?に生まれ変わる趣向に琴線が鳴った。#あさが来た
うめやふゆの時空の歪みは非現実的だけど、目を疑うような「嘘」を組み込むことで生まれる効果?が主眼のようだ。仮面ライダーは最後まで仮面ライダーのままで、物語のステージが変われば退場し、新しいライダーが登場する。うめはともかく、ふゆは最後までふゆのままなのか、気になるw #あさが来た
もちろん、ふゆと亀助の「小さな物語」もまた、あさと新次郎の「大きな物語」に回収されていくんだろうけど(次は、うめと雁助?)物語性はあくまで舞台の書き割りとしてのリアリティであって、萌えと泣きのデータベース消費に重きをおく方針は変わらない気がする。と言いながら、戦争は?#あさが来た
あさの(私は新次郎もそうだと思う)“内面性の薄さ” はこれまでもTLの一部で共有されてきたけど「フィジカルでない」という表現もしっくりくる。内面を備えることによって身体性が備わる、つまり「ドラマの舞台の時代/地域/環境に確かに生きている」人物像が生まれるんだな #あさが来た
#あさが来た の場合は内面を描きこまないことによって、むしろその余白(空洞)部分を視聴者が自由に解釈できる。物語を書き割りのように後景化し、無時間性を演出することによって、自由さはさらに増し、萌えの強度が高まる。物語は萌えと泣きを喚起するための装置。なるほど、なるほどだー
このパラレルワールド的時代劇はTLでRPGとかライトノベルとか表現されてきたけど、「はいからさんが通る」など少女漫画的・または水戸黄門とか子連れ狼みたいな娯楽時代劇的でもある。歌舞伎の歴史モノも、舞台が平安時代でも時代風俗は江戸時代(上演当時の現代)だよね車引とか #あさが来た
opukeniさんのツイートを読んで、TLの一部の人々(自分含む)であさが来たとカーネーションとがよく参照されるのも納得いった。カーネーションは物語が前面に出たドラマで、人物は内面が描きこまれ確固たる身体性を獲得している。どちらが優れているという意味ではなく全く対照的なんだ
あさが来たは二次創作が無数にできそう。あさ新の関係性が結婚十余年ほとんど変わっていないのが典型。いっぽう、カーネーションは二次創作の余地がほとんどないドラマ。萌えを刺激する部分が少ない。もちろんどちらも大好きという人も沢山いるからお互いに排他的ではないけど対照的だと思う
ガス灯とかカレーライスとか両替業の衰退とかで時代性を描いてるんだけど、大店の番頭夫婦が新婚早々九州の炭坑に行って住み込んで働くとか、…まぁあの炭坑自体かなりパラレルなんだよね、それがOKと捉えられてるのはやっぱうまいんよ #あさが来た
前にも思ったけど、あさが来たは10なん年も経ってるのに登場人物の精神性が変わらないという意味でサザエさんワールドなんだよね。少年誌の連載まんがだと事件が起こるたびに登場人物が精神的に成長してるんだけど時間が止まってるサザエさんワールドなんだけど。 #あさが来た
ふゆは10代の小娘のイメージのままだからなあ、演者なかたが「すごい上の年まで演じることになる」的にガイド本で仰ってたけど、脚本はそういうふうになってないんだよね。 #あさが来た
あさが来た。もう吐き出しちゃう。たぶんはつとあさが嫁いだ頃の設定というのが各キャラの適切な年齢だったと思うんだ。それから13年。いくらなんでも歪みきっているワケで、オラはそれを笑って見過ごすコトは出来ないな。加野屋メンバーのエピソードに乗れない最大の理由はそれ。
ということで、新春の楽しいお年玉的スピンオフかと思いきや、この物語の核(らしい)「妾因数分解」にきっちりケリをつけて次への布石にする(らしい)一週間だったわけだけど、軽くて素直で楽しい物語が展開される中でも深い分析が展開されていたりしてTL見てると面白かったです。物語が書き割りであること、無時間性の担保は「あさが来た」の人気には必然なのですね。