『子どもへのまなざし』 佐々木正美

子どもへのまなざし

子どもへのまなざし

著者は1935年生まれの、臨床経験豊かな児童精神科医。保育園・幼稚園のほか、自閉症発達障害をもつ子どもたちも長いこと見てきている。小さい子の育児について、ナントカおばあちゃんとか、百ます計算の人とか、いろいろな有名人がいるけど、私はなんとなーく、この人の本なら信頼できるかなという気がして、図書館で手に取ってみた。


読んで、「うん、やっぱりそうだよね。」という感じ。ほかに、『かわいがり子育て―3歳までは思いっきり甘えさせなさい』なんて著書もあるくらいだから、その言説は推して知るべしである。


育児でよく言われる「自己肯定」とはどういうことなのか、興味のある方にはおすすめ。やさしい口調で、わかりやすく、繰り返し書いてあります。けっこう分厚い本ですが、余白も多いし、講演を著書にまとめたものなので、語りかけるような文章で、とても読みやすいです。余白には、山脇百合子(「ぐりとぐら」の絵の人ね)の心あたたまるイラストがふんだんに。さすがは福音館書店出版であります。


「乳児期には、たくさんかわいがって、叶う限り、要求をかなえてあげましょう。それが、甘やかして過保護になって依存心の強い人間を育てると思うかもしれませんが、まったく違うのです。子どもは要求をかなえてもらうことによって、自分は愛されている、大切にされている、そうされるに足る人間なんだ、自分が生きている世界は信頼できるんだ、と思えるのですよ」・・・ということですね。


今、息子は4歳で幼児期にあたる。しつけと、遊びの時期。

一般的に言いますと依存経験の少ない子どもは、どんなに教育や訓練をうけたり、きびしくしつけられても、本当の意味でしっかりした自律性は身についていかないものなのです。

こうしてはいけません、こうしなければいけませんと、伝えるところまでがしつけでありまして、いつからできるようになるかは、子どもまかせにしてあげるところに、しつけのいちばん重要なカギがあるわけです。(中略)「その時期は自分で決めていいのですよ、楽しみに待っているからね」と。そういう態度で接することです。(中略)親や保育者に対する信頼感と尊敬の気持ちは、こんなふうに育てられるところが大きいと思います。人を信じ、尊敬し、自分に誇りや自信を持つための基本的な感情は、このように育てられると思います。そして、この基本的感情が、自分の感情や衝動を抑制する機能―自律性―を発達させるのです。


遊びについては、ヴィゴツキーというソビエト(当時)の学者が記録・分析した、子どもたちの遊びの様子がかなり印象的だった。

子どもたちは仲間同士で遊ぶときに必ず何かしらのルールを作っていて、そのルールに則り、仲間に承認されて、分担し合わなければならない。その中で、子どもは、自分がやりたいことは何か、しかし、どこまでは抑制しなければならないのかを学んでいく。まさに社会性が育ち始める場所なのである。それは苦しいことではなくて、そういう力を習得していくことが遊びの喜びで、複雑な規則や難しい分担の遊びになればなるほど緊張は高まるが、その緊張の大きさが遊びの楽しみの大きさになっていくことを、子どもたちは知っている、という。


ヴィゴツキーがある街の郊外で、学齢にみたない10数人の男の子たちの遊びの様子について克明に記録したものを、筆者は紹介する。その遊びは、ユニークで、素直で、展開が早く多面的で、そして自律的・社会的である。

「これほど見事な遊びは、現在の日本の同年代の子どもたちはおそらくできないと思います」と筆者は書く。この子たちは、この遊びの知恵を自分たちだけで考えたのではなくて、おそらく、学校から帰ってきて合流した兄姉世代たちから教えられた部分も大きいのだろう、と。しかし、現代の日本では、さまざまな年齢の子どもたちが、子ども同士で自由にルールを作りながら遊べる環境はほとんどない。


実際に、そういう状況下で子どもたちは育っているわけで、その状況は急にいかんともしがたいのだけど、なんとなく心に留めておこうと思った。その他、学童期、思春期についての章も面白く、また何年か経って子どもが育ってから(図書館のお世話になって(笑))借りて目を通したいな、と思った次第。


そして面白いなと思ったのが「育ち合う」という語の入った章で、この語は息子の幼稚園でもよく聞く、複合造語なのである。「一緒に育ち合いましょう」「まず、自分が人の善意を信頼しましょう」、その言葉通りのことが幼稚園では行われている。
すなわち、下の子の産後間もなかったり、体調の悪いママがいれば、クラスの有志が交代で子どもの弁当作りを分担するとか。送迎も、近所の人や、車を出せる人が交代で分担したり。
天気の悪いときや用事がある時は、クラスのママに一緒に車に乗せてもらったり、ちょっとした預かりをお願いすることもある。別のときは、自分がよその子を預かったりすることも引き受ける。

こういう相互依存は、気を遣う、めんどくさいことだと思っていた。地方都市で健康な独身として(または夫婦で)働いていたころには、まずなかった類の付き合いである。

けれど子どもができて、思いは少し変わった。まず孤立したままで暮らしていくことが難しいというのもあるけれど、それだけではなくて、子どもに暮らし方を見せるということ。困ったときは周りに助けを求めることができるし、自分も手を差し伸べる。よその子も気にかけているし、あなたもよその大人から気にかけられている。孤独ではなく、信頼しあい、思いやりあいながら楽しく暮らしている、そういう姿を見せることなのだ。