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『歴史をつかむ技法』 山本博文

歴史をつかむ技法 (新潮新書)

歴史をつかむ技法 (新潮新書)

新刊のころから話題になっていた本。書店でもよく平積みになっていたので気になっていたのを、ようやく入手。

その昔は「イイクニ(1192)つくろう」がワンアンドオンリーだった鎌倉時代の始まり年が、今や歴史教科書には6通りもの説が載っていることを例に挙げた「時代区分」の考え方。天皇号、「日本」という国号について。歴史の教科書は正しいのか? 時代小説と歴史小説、また、歴史小説歴史学の違い・・・。等々について述べられた前半部分は、特に目新しいものはなく、正直ちと退屈だったりも。専門的にきちんと学んだことなどはないにしても「あー、私ってやっぱり歴史ヲタクなんだな」と再確認する読書となった。

けれど、ヲタクとして好奇心のおもむくままに熱心にさまざまな本や資料に触れ回ってゆけばいつしか自然と身についてしまう「歴史への向き合い方」も、ヲタクでない人には遠い話。そういう人たちに向けて平易に書かれたこのような本の需要があるのは、すばらしいことなんだろうと思う。

そのような前半を踏まえて展開される後半部分、著者流の日本の通史は、コンパクトに、良識的にまとめられていながら、史学の現在の潮流をベースにしていて、非常に面白かった。

古代編の章タイトルは『日本史を動かした「血筋」』。冒頭に河内洋輔の提唱する「古代、皇統は“直系”継承を基本理念としていた。直系とは、父子継承であり、単に天皇の血筋を引くだけでなく、母親が皇女であることを資格とする」という理論を紹介し、厩戸皇子聖徳太子)が天皇にならなかった理由もこの理論に拠って説明する。

厩戸の母は穴穂部皇女であるが、厩戸の父、用明天皇の母は蘇我稲目の娘・堅塩媛なので、用明がすでに直系でなく傍系であったというのだ。この場合、用明は中継ぎの天皇としての位置づけしか与えられず、皇位を自分の子に引き継げない。他方、用明の前代の敏達は母を皇女とする「直系」の天皇で、その息子、押坂大兄皇子は「大兄」の敬称をもつように有力な天皇候補であった。であればこそ、厩戸は押坂の即位を防ぐため、叔母で敏達の皇后だった推古を中継ぎとして即位させ、その下で政治を行いながら豪族たちに認められることを願ったのだ、という。

その後、中大兄皇子が天智として即位するまでの血なまぐさい権力闘争や、壬申の乱についても、東アジアの国際情勢を鑑みながらも、皇位を巡る闘争という面から歴史を追ってゆく。続く奈良時代の、長屋王の変藤原広嗣の反乱、橘奈良麻呂の変、恵美押勝の乱道鏡事件など相次ぐ政争や反乱についても、藤原氏の権力伸長の過程というだけではなく、むしろその多くは天皇の意思に沿った動きであったと述べる。当時の皇位が「直系」継承であることが基本理念だったからこそ、父が天武の皇子、母は天智の皇女であった「直系」の資格を有する長屋王は、母が藤原氏の娘であり「直系」の資格に欠ける聖武天皇によって滅ぼされなければならなかったのだ、と。

正史である『続日本紀』にそのような記述はなく、従来、こうした政変は臣下の間の権力争いとしてとらえられてきました。政変に天皇の意志を探る見方は、皇国史観の影響を脱した近年の歴史学の成果といえるでしょう。

平安時代に200年近い平和な社会が実現したのを、「古代国家の完成形態」とし、その「完成」にひと役かったのが「令外官」とするのは非常に面白い。「令外官」とは律令制に既定のない官職で、摂政・関白・中納言・参議・蔵人頭などがある。唐の律令制度に基づいて成立した「律令国家」には、日本の社会の実状にあわないところがあり、試行錯誤の結果として令外官等が生まれ、日本的な制度が定着して、古代国家の完成形態である「王朝国家」ができたのだ、と。

平安時代に入り、成人皇女が女帝として中継ぎの役割を果たすことがなくなり、数え年9歳の清和天皇が即位するなど、幼帝が出現するようになったのも、本書では、摂関政治藤原氏の権力拡大的な意味合いだけでなく、「天皇個人の政治的能力の有無にかかわらず、国家が運営できる安定的な体制になった」という側面からも見ている。

(一方で、平安時代の代表人物の最たる藤原道長が関白にならず長く左大臣に留まり続けたことにも触れている。

公卿の最高会議である「陣定」は、「一上(いちのかみ)」たる左大臣が主宰するものであり、天皇の後見人的な存在である摂関は出席しない慣行であった。この慣行について、先に読んだ「院政〜もうひとつの天皇制」(美川圭) http://d.hatena.ne.jp/emitemit/20150315#1426418665 では、「陣定が決定機関ではなく諮問機関なので、決定権者は出席しないということ」と説明しており、一見、本書と矛盾を感じたのだが、つまり王朝国家において最高決定権者は臣下でなく天皇であり、その後見が摂関であるということだと思われる。

であれば、臣下としては決定権者側=摂関になればよいではないかというところだが、結局は「天皇>摂関」である以上、幼帝ではなく天皇が成人で、摂関との協調がうまくいかない場合は、摂関よりも「一上」として公卿の政治を主宰できる左大臣のほうがよいということだったのだろう。実際、一条天皇(皇后は道長の娘、彰子)のあとをついだ三条天皇道長の間には確執があったとされている。)

後参上に始まる院政についても、藤原氏の権力を掣肘するためではなく、自分の血筋による皇統で皇位を独占するために、早く子どもを即位させ、上皇として君臨するのが確実であったためだとしている。

つまり、院政の成立は、摂関政治を否定するものではなく、これまで繰り返されてきた天皇家内部の皇統をめぐる動き、すなわち自己の血筋を守ろうとする天皇の都合によったものにほかならないのです

ほかならない、とまで言い切ってよいのかな?と不安になりもするが(笑)、続く文章では、現在の「詳説日本史B」(山川出版社)の文章を引き、「つまり、上皇が権力を握ったあとで、結果として摂関が政治を行う体制が崩れていったといえる」と補足している。

その後の中世は割愛するが、清盛の平氏政権を、摂関政治の延長でなく、「自らが軍事力を持つ」という面が重要であり、ゆえに鎌倉幕府の前身と位置づけ、鎌倉・室町の延長上に江戸幕府を見る。鎌倉・室町を経てはるかに巨大かつ複雑な政治機構をもち、また、将軍が天皇家の血筋と分離したのも重要である、と。ここには戦国の動乱と、すでに血筋によらない織豊政権が成立していたことが大きな意味をもつとしている。

そして、260年余りにわたって太平の世が続いた江戸時代を、平安時代の長い平和と重ね合わせ、

古代国家の完成形態が「王朝国家」だとするならば、武家政治の完成形態は江戸時代の「幕藩体制国家」だということができるでしょう

とする分析。なるほど、である。

終章では、歴史理論の変遷について、マルクス史観、対するフランクの「従属理論」、それを発展させたウォーラーステインの「世界システム論」、新しい潮流としてのアナール学派にそれぞれ触れて、その流れで「網野史学」にも筆が割かれている。網野善彦を「歴史学者の中のほとんど唯一のスター」と書いていて笑った。確かに(笑)。そして、中世史中心の網野史学のあとには、近代史中心の「司馬史観」をいよいよ俎上に上げ、それが一般市民によって曲解されがち・偏ってとらえられがちなことを指摘し、あらためて、歴史を学ぶ意味=「歴史的思考力」の養成の有用性を説いて締められている。

とにかく全編通じて良心的かつスムースな流れで、この本を手に取る人が多いのがわかるし、こういう本が売れるってことにちょっと安心したものであります。