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睦月の三

日々

●1月某日: 朝、夫がランニングに出ている間に、サクと(サクと、ってわけでもないが)昨日の海老蔵の特番を見る。毎回、どうしても見ちゃう。伝統芸能の家業の家に生まれること、引退の無い仕事、追求してもし尽くせない芸道、何かにつけ注目を浴び続けること。歌舞伎の御曹司が持つ要素がたまらない。もちろん歌舞伎自体も興味深いもの。こういう特番を毎回見ていると、海老蔵の家族アルバムを見てしまうことにもなり、いつのまにやら軽く親しみを持ってしまっている・・・。さて、夫が年末の休みに入るころから、回転ずしを切望していたサク。夫の休み最後の日の今日の昼ごはんで、希望に添うことにする。でも、回転ずしって長居をする場所ではなく、1時間もすれば満腹になるのであっという間に楽しい時間はおしまい。帰るよと言うと少しぐずぐずした。午後から、私はランニング。その後、サクと自転車。夫は整体に。『花燃ゆ』初回。思ったほど悪くなかった気もするが・・・。

元旦から3日連続(2日は休刊日)で読売新聞を買った。毎日、巻頭と別ページにまたがって、「語る 戦後70年」というコーナーが設けられ、米キッシンジャー国務長官や稲森和夫などなどが寄稿している。ほかに、社の重鎮と渡辺和子(ベストセラー「置かれた場所で咲きなさい」の著者で修道女だが、彼女の父が二・二六事件で殺害された当時の教育総監渡辺錠太郎であることは初めて知った)の対談連載など。新聞の年末年始は、様々な「総括」や「展望」の記事が載るので気持ちが引き締まる。こういった点だけでも新聞はまだまだ優位性のあるメディアだと思う。長い年月で実績のある人、ある道の権威にも取材したり、寄稿してもらったりできる。もちろん文章はすべてプロによって書かれ編集・校閲されていてある水準に達している。ネットではなかなかこうはいかない。もちろん、ネットでは、新聞が取材できない(しない)ような取材、表現できない表現もできる。それはネットの優位性。まだまだ補完性があるという話。問題は、私たちの世代ですら、新聞を過小評価して読んでいない人が本当に多いということ。

読書欄では、民俗学の新刊(?)が2冊、紹介されていた。『里の時間』(芥川仁・阿部直美 岩波新書)と、『東北朝市紀行』(池田進一 こぶし書房)。どちらも面白そう