『デート』 第6話

ゲラゲラ笑えて、かつ鋭い爪を立てられるドラマを想像して見始めたこのドラマだけど、回を追うごとに驚かされる。なんて切なくて美しい物語だ、今回! しかも日常に潜んだ良質のミステリーでもあった。最後の1シーンに至るまで完ぺきで、ため息が出るほど。

艶やかで凛とした依子の晴れ着姿。几帳面につくられたおせち料理、一年の総括と新年の抱負を「述べる」こと(笑)、何十年も変わらない「我が家のお正月」。

そこに、いつもと少しも変わらない服装で巧がやってくる。(正月には寅さんを見るのが彼のきまりらしい。あの恰好は寅さんのイメージなのか。なるほどフーテン)。新宿とか渋谷を超えて、吐きながら(笑)。母を失くしてもたゆまず続けてきた藪下家のお正月を次々と破壊していく。蛇の太郎を死の淵に追い込むくだり、何だあれww 月9の、っていうかドラマの映像じゃないだろwww ハセヒロ演技うまいなホントww面白すぎてその場でリピートしたわwww

新年の澄み切った青空、長い土手。過去の話。先週、唐突な印象だった「今年こそ完ぺきなおせちを作るわ」の経緯が今週になってやっと明かされる。レシピは母から娘へ託されたものだった。普通の女の子として生きてほしい、そんな、「まるで普通の母親のような」愛情の証。

理系の極致みたいな依子が、幽霊の母と随時やりとりしているわけも、ここへきてうっすらと浮かび上がる。量子力学によって説明される、死者との永遠の邂逅。あそこにも、ここにも母はいる、粒子となって。だから簡単に出てこさせることも、消すこともできる。そう思って依子は生きてきた。だから死者との会話も心の中でではなく、声に出してなされる。

けれど母が死者である以上、依子がやりとりするのは、あくまで「依子が作った」母親であって、万事きっちりしなければ気の済まない依子が戸惑わないよう、“正確に”分量を示したレシピノートを作った優しい母親ではない。2話だったか3話だったか、「あなたは数学者として私には及ばない」と幽霊母が言ったけど、そのことを、依子は学生の頃に既に思い知っていたのだ。幽霊母は、依子に女としての魅力がない、親への思いやりがない、と辛辣な言葉を浴びせ続ける。それはすべて彼女が経験してきた挫折と劣等感が紡ぎ出す言葉。

「まして、あの子が変わっているからうまくだませると思っているなら許さない」。あんなに怖い顔の人間はいない、と思った依子の父親の切なる思いに触れて、巧は踵を返すしかない。けれど依子が呼び止めて、お雑煮の続きを作らせる。果たして、できたお椀はまさしく亡母の味だった。父は驚き感激し、依子はくしゃくしゃに顔を歪めて子どものように号泣する。

普段が普段なだけに、ここ一番での依子の感情の発露はいつも視聴者の胸に刺さるのだけど、今回はとりわけすごかった。あんなに身も世もなく泣いているのに、なにゆえの涙なのか、言葉にしようとすれば簡単には説明できない。けれどとにかく、ぐっと、ぐーっとくる。そういうシーンを描ききるこのドラマの力量たるや! 

謎の種明かしは、初詣をすませて家に帰ったあとに出てきた幽霊母が行う。名探偵さながらの明晰な推理。私は、正確な分量を書いてはいても、実践するだんになれば依子の母は料理には雑で(不得意で)、実際はレシピ通りに作っていなかったのではないか、実は母の味はあんまり美味しくなかったのではないか、まだ料理に慣れなかったころの依子や、ほぼ初めての料理であろう巧は、その雑さを体現できたので「藪下小夜子の味」になったのではないか・・・なーんて思っていたけど、そんなんじゃ良い脚本は書けませんね(笑)。犯人は父だった。

父がレシピノートを改ざんしていたのだ。娘の泣き顔を見るのが忍びなかったから。そして娘は、改ざんを、おそらくはその理由も知りながら、父にだまされたふりをし続けた。もしかしたら、すぐには気づかなかったかもしれない(2年目の正月、「まちがえたかも」と依子は言った)。しかし、なぜ母の味が再現できないのだろう?と突き詰めれば、依子ならばやがていつし数字の変化に気づいただろう。

量子力学の考えに拠ってみても、12歳の少女が母を亡くして平然としていられるものではない。自分を防衛するために普段は頭で「お母さんはいる」と言い聞かせ、けれど母の味を舌で(体で、本能で)味わうことで、「これを作ってくれたお母さんはいない」と思い知る幼い依子の描写はあまりに悲しい。依子が改ざんに気づかないふりをしてきたのは、父の思いを感じていたからでもあろうし、母の味を味わうことで蘇る悲しみを味わうのがつらかったからでもあるかもしれない。

「その封印を、17年ぶりに解いた」のは、お父さんに巧を気に入ってほしかったから、と幽霊母は言う。だから依子は、彼の素性を正確に伝え(「健康でありながら・・(略)・・高等遊民を名乗る若年無業者」の身も蓋もなさww)、「ありのままの谷口さんを父が受け容れなければ意味がない」とあれほど言っていたにもかかわらず、禁じ手を使ったのだ、と。

それが恋でなければなんだろう、と私たちは思う。

巧は藪下家の正月を完膚なきまでに破壊していった(笑)けれど、本当は、はじめから、依子がハンマーを渡していたのだ。頑なに守り続けていた「間違ったものが正しいものとされてきたお雑煮」のしきたりを、巧が壊すことを期して。それは単に「父に巧を気に入らせるため」という小細工ではない。母のいない悲しみ、その現実を芯から味わうことへの覚悟であり・・・いや、覚悟まではなくとも、「そうしなければ」という本能が働いたのかもしれない。量子力学「母は居る」の結果が幽霊母であり、その幽霊は依子の孤独は癒したかもしれないけれど、挫折の記憶や劣等感を刺激する存在になり果てていた部分もあった。死者は呪縛になっていたのだ。

どぎつく辛辣な言葉を吐く母は母ではない。母は自分のレシピを託して死んだ。17年ぶりの味を体に入れた依子はそれをやっと思い知った。同時に、何も知らずに驚き感激している父に、これまで騙されたふりをしてきたことを申し訳なく思った。そして、父の思いやりという名の繭を自ら抜け出し、解き放たれていこうとしている自分を感じていた・・・。

あの涙は、(敢えて言葉にするならば)そういう、複雑なものだったように思う。現実に、人の心は、「悲しさ」とか「喜び」とかいう一語で表せない動きをする。ソチ五輪のFSを滑り切った瞬間に涙腺を決壊させた浅田真央のように。あのときもマスコミはさんざん「あの涙は何でしたか?」と聞いたけれど、それは悔しさでもありうれしさ、達成感でもあり、申し訳なさもあり、二度とかえらないこの時間への惜別でもあり・・・そんなものを単純に言語化させようとすることはある意味暴力なんじゃないかと私は思ったものだ(あれから一年経ったのですね〜)。

閑話休題。そんな、いろいろな思いのないまぜになった、人の心の複雑な動きを、ドラマは描いた。すごいことだと思う。

それをさせたのが巧だった。母からの解放、父からの自立、少女の自分との決別。もちろん、巧は何も知らない。依子が、それを、巧にさせることを自分で選んだのだ。無意識にでも。鷲尾じゃない。藪下家のお正月をソツなくこなし、蛇なんか全然好きじゃなくても「かわいいですね〜」と言って触れる(そして、本当は気持ち悪いからうまいこと話を逸らす。ここらへんの中島くんの演技すごくうまかった)鷲尾じゃなくて、依子は巧にその役割を託した。

父は何も知らずに、けれど、不器用な娘が選んだ不器用な男を自然に受け容れ、恒例の初詣に送り出す。きっと去年までは父娘で行っていたんじゃないかな。玄関先での松重豊の表情がすごくよかった。示し合わせたようにぴったりそろった拍手・拝礼をする2人。巧は今日のミステリーの何ひとつも知らないままだけれど、「彼女と結婚できますように」と絵馬に書く。

そして依子は・・・「世界平和」! この四文字に最後、「うわーっ!」とやられた。なんて粋なのだ! 最後の最後で予定調和を拒み謎を残す大胆不敵さ。これで終わるから余韻がすごいのだ。古沢良太おそるべし。

野暮な真似と承知しつつ推測するならば、生活のすべてで自分の規律をきっちり守っている依子にとって、絵馬の恒例は「世界平和」なのだろう。この、長く記憶に留められるだろう特別な正月にもこれまでと同じ文言を書いたのは、先ほど取り乱した自分を韜晦するものであり、平静を取り戻そうとするためでもあり、同時に、巧と一緒なら「いつもどおりの自分」でいられることの表れかもしれない。

けれど、お雑煮再現によって毒母のマスクを取り去った幽霊母は「その願い、叶うといいわね」と優しく言った。「絵馬にはなんて書いたのかしら?」と言ったのだから母も絵馬を見ていない前提である。であれば母はきっと巧とのことを指して「その願い」と言ったはず。そして依子は、拝殿でのお祈りについても絵馬についても「そういうのは詮索すべきでない」と頑な。これらを総合すると、彼女の願いは絵馬とはまた別にあると思ってもいいんじゃないかと思う。

オブラートの包み方も知らず、何もかもを表札通りに受け取り、表現してしまうようでも、依子が心の中に思いやりや悲しみをひそかなものとして持っていることは、ここまでドラマを見てきたらもう明らかだよね。「依子の内なる声」である幽霊母の「叶うといいわね」は、「絵馬には書かなかった願い」を指しての依子の思いなんじゃないだろうか。

これまでの依子がどういう思いで「世界平和」を書くようになったのかを考えるのも興味深いですね。そう書くということは、今は「平和でない」と認識しているわけで、それはきっと世界各地の紛争とか災害とかだけを指すのではなく・・・

今回の巧は、積極的にやったのは藪下家での数々のやらかし(笑)で、あとは巧父の話を聞き、言われたとおりにお雑煮をつくり、わけもわからず感動されて・・・っていう受け身の存在だったけど、彼ならば、見たこと聞いたことすべてから「機微」をかなり感じとったんじゃないかな、と、これまでの積み重ねで思えますよね。それに、レシピをかなり忠実に再現しないと小夜子の味にはならないのだから、めちゃめちゃがんばったんだよなー。細心の注意を払って。巧、いたいけ。これまでと、そして今日のすべてを踏まえて「彼女と結婚できますように」と書いたんだよな(涙)。

そして母に迫る体調不良。来週は巧主体の話かな。平田満が父親ってそれ、どこの「ごめんね青春」(笑)。

料理がヘタなのは偉大なる数学者である依子母かと思わせて、巧母だった!っていうのも衝撃だったよね。クリスマスのポトフの味付け「目分量で」は、おふくろの味の絶妙なさじ加減ではなく、本当の味オンチだったのか。それをずっと黙っていた巧も、やはり親を思いやる心の持ち主であり、その思いやりの繭もまた、依子という他者によって破られたのだね。巧母と佳織が「ミート・ザ・ペアレンツ」とか「卒業」とか見て現実の2人のドタバタ劇を補強していくのもほんとうまい展開だった、「2階にレンタルショップあるから」にウケたww