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『問題のあるレストラン』5話

私は坂元センセイ特有の長台詞とかたとえ話とかにまったく抵抗なく入っていけるタイプではなくて、もちろんあれらが坂元作品を坂本作品たらしめる重要な要素だと思うし難しい長台詞は聞かせてくれる役者さんたちの演技を堪能できるポイントでもあるのですが、どうもあの「作り込み方」に溶け込んでいけなくて、あれが始まるといつも「あ、きたきた」とちょっと一歩引いて見てる気がする。同じく「作り込まれた」セリフでも、古沢良太のはすんなり聞けるんだけど、この差はなんだろう?

と考察するのはまたいつかの機会にして。

川奈が痛い、痛すぎる回だった5話。「ニアリイコール」と「教習所」のたとえ話、なるほどって思った。

女の価値は男の職業とニアリイコール。彼が弁護士なら、 女は≒弁護士。彼が脳外科医なら、女は≒脳外科医。彼が無職なら、あたしがどんな仕事してようが、≒無職。めっちゃ鋭い。

ネット見てるとこの回では「しずかちゃん理論」が一番反響あったっぽいけど、私は「教習所」だなー。だってしずかちゃんステキ、いいな、しずかちゃんになりたいって思ってる女子は現実にほとんどいないと思うよ。

お尻触られても何にも感じない教習所。その服、男ウケ悪いよって言われたら「すいませーん」って言える教習所。痩せろ、やらせろと言われても、笑って返せる教習所。川奈はいろんな教習所を出て免許をたくさん持っててお財布がパンパンなんだと言う。

これが「そういうこと(男社会・マジョリティに迎合できるの)が平気な性質」っていうんじゃなくて、「教習所を出て免許を持ってる」って言うのがミソなんだと思った。教習所って言ったら当然、最初に思い浮かぶのは自動車の運転。子どもの頃はみんなできなかったけど、ある程度の経験と訓練を積んで試験をパスする。経験と訓練を積んだらほとんど誰でもとれるし、持ってない子は「なんで取らないの?」って言われるくらいのインフラ、運転免許。セクハラやパワハラに耐えて、しかも耐えられる力を実生活に生かそうとする生き方をすごくうまく表してるなーと思った。

そりゃドラマほどひどくはなくても働いてると男社会・マジョリティ社会だなーっていう風習はいろいろあって、無意識にそれに折り合いをつけてる人間がほとんどだと思う。思えば会社勤めしてた頃の私もそうだった、そういうのをそれなりにスルーしたり気心知れた人と愚痴りあったりしてやり過ごしながら、「そういうことに耐えられる部分」があったことで手にしてたものもあったし、逆に、「耐えられない・迎合できない部分」のために獲得できなかったものもあったと思う。仕事での評価にしろ、上司や男性たちからの可愛がられ方にしろ。

そういうのすべてにを天秤にかけつつ、「自分は何をどこまで耐えられるか」「迎合するかしないか」ってのを無意識に選んでたと思う。

自分の体も心もすべて自分のものだから決して触らせちゃだめ、と言うたま子は正しいけれど、川奈がそこでド反発したのも何かすごくわかって、そういうのって生き方としては詰むだけじゃん、そっち選んだって苦労するじゃんアンタたちだってそうでしょ?って言われたら言い返せない閉塞感がすごかった。

免許である以上、それを持っていることのメリットってのがあって、メリットがあれば免許をとろうとする人はいなくならない。

・・・で、そういう作り込まれた描写が本質に迫ろうとすればしているほど、最後の、「子連れ夫婦のバレンタインデートの受け皿になってハッピー」みたいな描写が、ファンタジーにしてもそれでいいのかな?って思うのも事実。美味しい、あったかいごはんを提供して、笑顔になってもらって、明らかにマイノリティの姿かたちをしたハイジさんでも暖かい拍手と感謝をもらって、それで良かったね、こんなステキな仕事ないじゃないですかー!って、そこは随分あっさりしてるのね、と。

でも、どこかにそういうシンプルさを求めなければ人生やっていけないかもなーとは思うけど。身近な人間だからこそ些細な言動をゆるがせにできない、自分のアイデンティティに関わってくるから。だけど他人からの深い考えのないなにげない一言に救われる。みたいなことって、現実にもよくあるもんね。