『花燃ゆ』 第7話「放たれる寅」

獄囚が「久々に句会を催しましょう」と言い出した瞬間、もうイヤな予感しかしなかったよね!! これから繰り広げられる茶番がありありと想像できて、結果、想像をいっこも超えなかったよね!! 何あの「お別れ会で既成事実でショー」。もうヤだー!!(笑)

殿方には殿方のつながりがある。世の中を動かしているのは男で、女は口を出せない。だから女は男をうまく使え。みたいなことを高須久子に言わせてた。時代感覚を壊さないよう、同時に現代のジェンダー感覚にもつながるよう、作り手は考えてるんだろうとは思う。

椋梨藤太の背後から、遣り手じゃないわけない!ってな風情で妻の若村麻由美が出てきたのも、そういうのを描こうとしてるんだろう。寿は、志に燃え(つまり寅次郎に燃える)る夫に笑顔で「私もいます」と言った。「人結ぶ妹」である文は、「分かち合いたいだけです」と言う。

見終わっていろいろ反芻すると(一応、反芻はしてるのだ。涙ぐましいこの努力・・・)、いろいろ考えてセリフを配置し展開しようとしてるんだろうナーとは思うんだけど、放送を見てる間に心にぐっとくるモノが全然ないのがつらいところ。やっぱり脚本の(脚本家の、と一概には言えないと思う、プロデューサーの意向とかも大きいんだろうし)力量がね・・・。

福堂策を読みこなし面白がれる文ちゃんは、やっぱり基本、賢い子なのか。しかし、父親が内職に励んでる傍らで読み物なんかに夢中になって、しかも父親もそれを生暖かく見守ってて、『八重の桜』とはエラい違う世界観だな。野山獄然り、このドラマには切迫感というものが一切ないな。「寅兄を獄から出したいのです」とか真顔で言いだす妹、「気持ちはわかるけどそりゃ無理だ」って普通に返す兄。のんべんだらり。

いっぽう、寅次郎が赦免されるか否かという政治的案件についても、まったくの骨抜き描写。描いてよう、長州の藩内政治!! 伊之助が江戸の桂さんに頼んで桂さんが水戸を動かして、その威をバックに周布さんが藩主の御前会議で発言するけど椋梨さんにあっさりいなされ、でも伊之助さんの目を気に入った椋梨さんが、伊之助が「寅次郎の鞘」となることを条件に赦免を許し、その背後にはやり手の妻がいるようで、別個に、藩主は藩主で杉梅太郎を内緒の小部屋に呼んで贔屓を与え・・・・って、いろんなところであちこち動きはあるけど、いったい何が決め手で解放されたのか、結局よくわかんない! しかもダラダラしてて全然面白くない!!

コント(らしきもの)は滑り、ヒューマンドラマもダメ、政治パートも皆無に等しく、キャラ萌え方向すら弱い。って、どこ見りゃいいんだよ!! OPか?! オープニングだけか?! 今年のオープニングテーマは、音楽といいタイトルバックといい、とても好きです私。主人公の姿が出てこないところもいいですね(笑)。

来週の予告がまた、破滅的だった・・・。でも、あんな予告を見ても「もうやめてー!」って思える範疇は既に超えてるので、むしろ楽しみです。いっそ、壊し尽くして最初からやり直してほしい(笑)。