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『戦国大名の外交』 丸島和洋 (感想2)

戦国大名の「外交」 (講談社選書メチエ)

戦国大名の「外交」 (講談社選書メチエ)

●外交書状の作られ方

・取次の副状は必須。その意味とは、「取次がこの案件に賛同し、大名と同じ意見である」と示すこと。よって、取次は、実質的な外交実務をとりしきる側近と、大名家の一門や宿老など重い立場の人間がペアで動くことも多かった。

・上記、武田家でいえば、「側近−駒井高白斎、宿老−板垣信方」、「側近−跡部勝資、宿老−武田信豊」など。この点、2007大河『風林火山』は側近と一門/宿老クラス、また国衆出身者(小山田信有)とをうまく描き分けていたなとあらためて感心。や、それくらい当たり前にやってほしいんですけどね、大河では…。

徳川家康から北条氏房に書状が届いた。氏房は若く、どのように返書すべきかわからない。よって、父・氏政に判断を仰ぐのだが、この際、自身の花押だけを記した白紙の判紙を送っている。氏政は返書の内容を考え、花押の位置がちゃんと日付の下に来るようにうまく行間を整えた書状を、右筆に作らせるのである。

・花押だけの白紙委任は珍しいことではない。上杉謙信には、河田長親に判紙20枚を送り、厩橋城代・北条高広と相談して、関東の国衆との外交に適宜使うよう委任した記録がある。

・郵便事情は現代とは全く違うので、出した返書が相手に届かないうちに、次の書状が送られてくることも頻繁。「先日の書状は届きましたか」という文言が多いのはそのためである。


●外交の使者

・外交書状は「詳細は取次(または使者)から口頭で伝えます」と記されることが多い。よって、使者は、機転が利き、弁舌に優れた人物が選ばれた。よって、領国内の寺院の僧侶が使僧として派遣されることが多かった。

武田氏北条氏は、敵国の国内や交通路を通過する危険な任務をこなせる人材として、山伏を使者とすることも多かった。この場合、山伏は弁舌巧みではないので、書状に詳細が記されたりもする。

・使者の往来について、安全な交通路を軍事・外交上の様々な手段を用いて確保し、たどり着いた使者に対して宿所などの手配をして送り届けることを「路次馳走」という。

・「境目(国境付近)」の城代や国衆には、この「路次馳走」の役割が求められていた。そのためには、彼ら自身が周辺の国外勢力と交渉をもつ必要が生じる。よって、彼らには一定の外交交渉権が付与されていた。
(つづく) (感想2)