『あさが来た』 第10週「お姉ちゃんの旅立ち」
今日、なんか杏ちゃん@ごちそうさんに似て見えた。あさちゃん。二人とも、びっくりポンな目の大きさだからか #あさが来た
RPG的にわかりやすく示された桐箱の件のほかに、明日以降、「奥の一大仕事」をよのさんと一緒にやるシーンあるかな。やらないなら意図的なのかな。全般、あさは素直な子だけど、教わる/学ぶ/修行する描写が少なすぎて、言葉の受け売りだけに見えたり、何でも簡単に見えるのがなー。#あさが来た
はつは、厳しい顔で厳しい言葉で、だけど愛情と真理がこもったことを言うんだろうな。こないだの菊の「そんなにきつい顔してたらお腹の子どもが聞いてる」のお返し。それにしても、ちまちま次回に引っ張るラストが増えたな。たまにやるからこそ効果的だと思うけど #あさが来た
よのの桐箱の中身は三味線だろうか。お茶もお香も謡もやった正吉が三味線だけは嫌いな理由も、今週明かされたりするんだろうか。よのの出自って語られたことないよね…。とか、なんのかんのいってRPG的チラ見せのアイテムについて考えている良い視聴者な私w #あさが来た
@ko1kubota あのシーンでは亀助の号泣がTLの話題の的で、その涙を(男女逆転的な意味でも)好意的に見てる人が多い印象でしたが、「え?泣くほどしんどいこと、あさにあった?」と思っちゃいました。あさがいない間も一人で留め置かれてたので、まず自分がしんどかったんでしょうけども。
妾の可能性は残ってると思う。どっちでもいいけどさ。ナレ「当時は珍しくありませんでした」→新次郎「あさを愛してるから妾はいらない」(大意)で、「愛ゆえの否定」を本心だと視聴者に植えつけといて、そうもいってられない状況になる…だと飲みこみやすいしドラマチック。 #あさが来た
案内状こそ新次郎の仕事では? そこは適材適所じゃないの? #あさが来た あさ
お家の一張羅に鮮やかな口紅、加野屋の四男坊ではなく凛と美しい女性としてハレの場に出る。性差で分かれていた仕事の旧弊を破って、でもバリバリとではなく「女性らしく柔らかく」働く。その姿を有能な(有能なのよねw)先駆者が「ワオ!」と称賛。現代の視聴者にしっくりくる描写。 #あさが来た
ケの日には九州の山奥で顔黒くして働いて睡眠不足。奥の仕事も、メニュー選定から招待状書き、畳拭きまでやってへとへと、という現実があり子どもができないのも気にしてるんだけど、現代的ワークライフバランスの概念の欠如は殆ど気にされないドラマ。本人のやる気があるからいいのか #あさが来た
あさと新次郎の男女逆転夫婦は適材適所的な描き方するんだろうと思ってたけど、新次郎は「汚い金の仕事」というより「労働の地味だけど大事な側面」に手をつけないでハレの日だけかっこよく出てくる痛い人に見えるときがなー。そりゃ大店のボンとはいえ、あさが何でもやってるだけになー。#あさが来た
そんなふうに受け取られないように、あさの労働のしんどさもフワっと描いてあるけど。そのフワっと感が、あさが働くのが、仕事が好きだからか、家(愛する夫)のためなのか、夢や希望か? ってわからなさにも繋がってる。その辺もフワっと想像して納得するのが #あさが来た の良い視聴者なんだよね
義父「表に並んで挨拶」 義母「表が終わったら奥のこときっちりね」 夫「好きなようにやったらいい(自分はしないけど。しなくていいのかちょっと気にしてるけど。淋しいけど)」 妻「はい!ありがとうございます!堪忍、堪忍。がんばらな」 うーん。本人にやる気があるからいいのか #あさが来た
あさが大変だろうなあ…ってところを軽く書いてるところに、あさも本当はいい奥さんになりたいんですけど新次郎は許してくれてますっていうのを挟んでくるのが嫌なんじゃ。何だろうなあ、このもやもや。すごく息苦しい。足に枷を付けられている感じ。違う、そうじゃないんだ…!っていう違和感。
働く女という新しい価値観と見せかけて、実はすごく旧態依然な話なんではないかと思うんだよね。
あさのお仕事描写が爽やかだから気づきにくいけど、新あさ夫婦は「性的役割から解放され適材適所を選ぶ夫婦」ではなく「役割から逃げて何も選ばない夫と、自分向きの役割を選んだうえで旧来の役割も抱え込もうとしている妻」なので、あさの荷物が多すぎるよな、とは感じています。
表も奥もやる気がある女性に色々荷物持たせて、持ったこと自体は自己責任。だから彼女はそれができない自分を申し訳なく思う。そういう状態を搾取と取るか女性らしい健気さと取るかは紙一重なんですよね。
多分ドラマでは、トラウマを乗り越えた新次郎があさの重い荷をもっと持つようになるんだろうけど、この今の荷が重い状態について疑問視・問題視してる向きがTLにあまりないのが特徴的だと思う #あさが来た
あさ@襲名披露は、「今まで頑張ってきてよかったね…!」と、ものすごいカタルシスになっていい場面だけど、ビジネス面のプロセスがここまでさらっときたからか、さらっと流れていった感。五代へのツッコミ、あさ新コント萌え、惣はつ萌え、惣新のさし飲み萌え、正吉心配・・・等のTL #あさが来た
糸子が看板をあげたとき。マッサンのウイスキーがとりあえず完成した時(売れなかったけど)。あと何があるかな? ドラマ途中の、職業的な、ものすごいカタルシス。カーネーションもマッサンもビジネスドラマというわけじゃなかったけどね。#あさが来た #カーネーション #マッサン
わかりやすい貴種流離譚であるはつの物語に比べて、あさの物語が弱いなと思う。ビジネスものとして、という意味だけでなく、ファーストペンギン面も、夫婦の関係性にしても。それでも、五代やら惣はつやら新次郎のかっこよさやらで、元は十分とれてるドラマなんだろう #あさが来た
男衆の羽織がかっこいいとか、加野屋の雰囲気がいいとか、襲名披露の小道具類がすばらしいとか、五代がサイリウムもってそうとか、そういうのも素敵で「神は細部に宿る」なんだけど、まずは物語を貫く主人公の物語によって牽引してほしいところ。今作の場合「主人公夫婦」の物語も。#あさが来た
ゲゲゲでマンガが認められたとか、あまちゃんのお座敷列車もそうか>カタルシス #あさが来た は、時期的に、新次郎がトラウマ克服して(正吉・五代退場して?)、夫婦二人三脚でいこう…が年末のカタルシスになるのかな?と思うけど、今日の分だと、あと一か月で大きなカタルシスを作れるのかどうか
@ko1kubota @yamada10th そういう人たちも意外と楽しく幸せにあさが来たを見て、「日本のすばらしさが表現されてる!」とか称賛したりしてるかも(笑) 良くいえば、見せ方がうまいってことなんですかねえ。
姉妹筝を聞くうめの涙ぐむ表情に釘づけ。友近うまいなあ。涙ぐむだけで、泣き崩れたり、あそこで感傷的なセリフを言わせないのもいい。「その後も父や弟の話、ざんぎり頭の話、蜜柑や大根の話など・・・尽きませんでした」のナレは、童話や絵本の幸せな1シーンみたいな文章だった #あさが来た
嫁いで以来初めて、っていうのはうめの大げさな認識やけどね。視聴者(わたくし)的には、これまでも眉山一家の納屋や畑にちょいちょい出かけては何かとよもやま話してたやん?て感じ #あさが来た
店先で筝の音を聞く惣兵衛の表情もすばらしくて、佑ほんとうまくなったなと。『風林火山』伝説の寅王丸を覚えている者も少なくなった昨今w ま、裏に回れよとは思ったけどw そこは作り手が表で聞かせてやりたかったんだろうなと。大阪最後までコソコソさせちゃかわいそうやけんねw #あさが来た
それより問題なのは、あさが五代への憧れをすごい説明ゼリフで喋っても、その気持ちや、五代のすごさが、ドラマからちっとも伝わってこないことなんよ。だからセリフで説明するしかない。でも描写がないからセリフが浮く。悪循環。そして五代はネタ要員なので気にしない視聴者が多いw #あさが来た
藍之助がぱちぱちはんを上手に弾くのは今後の伏線なんだろうけど、肝心のあさの物語は2か月以上経っても骨抜き気味なのに「このドラマは伏線回収がうまい(からすばらしい)」と評価されてる(もちろん一部の人に、だが)ことについて考えてる。当然、骨抜きというのも私の主観だけども #あさが来た
「ふゆの表情から一時期の邪気が消えてる」てツイートを見てさすがに驚く。おふゆちゃんに、邪気を見ていたのか。邪気・・・なんという目線・・・。 #あさが来た
@ko1kubota @yamada10th 私は、このドラマは善意の作り手だとは思うんですけど、うまいこと現政権の推す女性像、家族像、道徳像と一致してる気も(笑)。善意というか「視聴者が楽しく気持ちよく見られるものを」な指針かな?と思います。それは自然な方針ではありますけどねー
ちなみに、こういう姿が見られる朝ドラが私は好きなんだな、#あさが来た には感じられなくてw→前掲)「自分の意見が誰かを不快にする・傷つける」のは誰もしたくないけど、そこはお互いに覚悟の上で、傷ついたり謝ったり悩んだりしながら意見を出し合っていくことで前進するしかないんじゃないかな
えーっと、大阪中駆けずり回って筝を取り戻したのは確かにいい話だけど、まぁ仕事もしてないし時間があるんだしねー、性格よくて無償で働くこと(だけ)で評価されるのは、裕福な基盤があるからだよねー、と思う私でした。ふゆなんて毎日地道に働いて夜逃げにまで付き合いましたからね… #あさが来た
新次郎を賢くて人脈あって気遣いもうまくて、絶対仕事できるタイプよね!と評価する向きがあるけど、そんな能力を持ち、使える環境もあるのに、何だかよくわからないトラウマで使わずに涼しい顔して月日を重ねている傲慢を思ってしまうんですよ。あさは本当は一緒に働きたがっているのに。#あさが来た
能力あるけどトラウマあるから働かない、って設定はそれでいいんだけど、その傲慢が、物語の中でも視聴者からもほとんど指摘されずに「素敵な旦那さま認定」なのがいただけない。主人公だろうが相手役だろうがネガな面はきっちり指摘される朝ドラを見てきたのでそう思っちゃうんだろうが #あさが来た
主人公だろうがその配偶者だろうが、人間だから弱い面・狡い面があるのは当然で、それが摩擦を生んだり裏目に出たりしながら、じゃあどうするか、っていうのを描いてほしいんだろうな、そこから力をもらいたいんだろうなと思う。カーネーションやごちそうさんやまれでそういうのを見せてもらってきた
新次郎が狡くて弱いからダメ、と言いたいんじゃなくて、「狡くて弱いけど好き」になりたい、そのために狡さは狡さ、弱さは弱さとして描いてほしいんだよな。初夜までの過程や翌朝の演技なんか、中の人は滑稽さを意識した演技じゃないかと感じて、割れ鍋に綴じ蓋夫婦を期待したもんだが… #あさが来た
蓄えもろくにないまま農業をスタートするうえに、子供ふたりめ産まれるというのに布団も火鉢もない暮らしのところへ、あんなひと財産ありそうな箏があったら、売って米と布団を買うなあと平民の私は思ってしまうのでした。あさ来たのファッション貧乏は花アンを軽く越えてますな。
飢えに苦しむどころか風邪ひとつひかない貧乏、自己嫌悪や報われなさや悔し涙を流すことのないお仕事、ぶつかりあったり傷つけあったり諦めたりすることのない夫婦。全般的にそういう感じだなあ。ずっとこうなのかなあ。苦労と報われた喜びの間の滋味はカッツアイな感じなのかなあ。
>RT そう、#あさが来た ワールドには、ぶつかりあいや報われなさ、傷つけ合い諦めて…みたいなのがすごく少ないんよね。それが「人の幸せはそれぞれ」と謳いながら、実は多様性から遠ざかる物語のようでいつも引っかかる。多様性を認め合うまでの過程には本気のぶつかり合いや報われなさも必須…
あさが来たには、”剥き出し感” が少ないんだよな。でも、それが少ないから見やすくていい、て人がいるのもわかる。私は、朝から重いものを見たいってわけじゃなく、剥き出しでしんどいところも乗り越えて感動させてほしい、っていうんだから、突き詰めればすごく理想主義で欲張りなんだと思うw
多様性を認め合える社会に、なんて言葉でいうとほんと綺麗だけど、実現するのはいばらの道だもんね。でも、そのいばらの道を超えた先の何かを見せてくれたのが朝ドラのいろんな作品で、そういうところがすごく時代に合ってて、大河はてんでダメなのに朝ドラが盛り上がってる理由でもあると感じてた
これからの社会では多様性を認め合いたいですね、って言ったらほとんどの人が「そうですね」って思うだろうけど、そういう標語みたいなこと書いてもひとつも面白くなくて教条的で、でもそれを面白く、胸に迫る形で見せてくれるのがフィクションのすばらしさなんだよな
でも、人には多様性があるから、あさが来たが好きで、元気をもらってるって人がいるのもわかるし、否定しない。あさが来たみたいな作風があってもいいんだと思う。でも多様な意見があっていいと思うから、私は私の違和感も書く…
という、自分の中では筋が通っている言動(笑)。
さて本日の #あさが来た 。はつの問いへの新次郎の返答が想像以上によかった。何かふんわりした答えなのが。はつを傷つけないための優しさでもあり、新次郎自身もまだわかってないような風情もあり。新次郎の意識下の劣等感が、優等生じゃないあさのほうに共感したんじゃないかと思うけどね。
はつも新次郎の答えに、わかるようなわからんような顔してた。優等生のはつにはピンとこないこともある。そんなちょっとした溝も示唆されてた。そこで「あさに置いていかれそう」だなんて本音もこぼれ、そんな新次郎の風情に気づいて、認め励ます言葉をはつが連ねるのも #あさが来た の素直さ優しさ
しかしその後は拍子抜け。私、ちびあさ&はつの「大阪行きたないなあ。でも行かなあかんなあ」のくだりで涙腺決壊しまくらちよこだったので、どんだけ泣かされるかと思ったら、想像以上のサラっと・ふんわりだった。まあ、最後の夜にドロドロのぶつけあいはしないよね、ってことで(笑)。#あさが来た
出立するとき、はつがちょっと振り向いて、あさはすごく感慨深い顔で見送っている。はつが嫁入りするとき、あさが泣いて追いかけ、はつは泣かなかったのを思い出した #あさが来た
今思えば、ちびあさ&ちびはつの初めての京都行きから、「大阪、行きたないなあ。けど、行かなあかんなあ。どうしたらいいんや。どうしようもないなあ」の号泣、そして翌朝涼しい顔のはつ…のくだりは、#あさが来た の中でも出色の剥き出し感だったな。一週目であれ見せられたから勘違いしちゃって。
働かない新次郎へのdis。私の場合、突き詰めれば彼が「自分とも妻とも向き合っていない」ことが不満なんだよな。なぜ働かないかというと過去のトラウマがあるから。それから20年、結婚10年経っても、彼の中でその状態は全然変化してないわけやん。で、そういう劣等感があるから→ #あさが来た
→あさを自由に働かせてる部分もあるけど(変わり者同士の夫婦って安心感)、あさは夫の夜歩きに心乱れたり、自分は良き妻じゃないと悩んだりしてる。新次郎はそれに薄々気づいていながら、放置してる。やりたいようにさせるし優しい言葉はかけるけど自らを顧みない→ #あさが来た
そうやって自分とも妻とも向き合わず、好きなことして暮らしていけるのは裕福な基盤があるからだよね。一方で、厳しい暮らしをする眉山家や炭鉱の人々もいる(貧困描写は軽いけど)わけだから、「新次郎、いい年して拗らせ続け、モラトリアムし続けられていいよねー(棒)」ってなる #あさが来た
あさも、忙しさのせいや惚れた弱みっていう補完はできるけど、新次郎の拗らせぶりに頓着せずに、相変わらず旦那様スキスキ、やきもちだす、とか言って、結婚10年の夫婦って感じしないなーと思う。まあいつまでも恋女房でいられるのも、セレブな境遇って大きいんだけどね。#あさが来た
今日も劣等感を口にしてたし、時期的にそろそろ新次郎のトラウマ克服に本腰入れるんだろうけど、その時期に入るまで、劇中で新次郎の拗らせぶりが大概スルーされてきたのを、優しくて柔らかい物語だからと肯定できないんだな。拗らせを指摘したうえで包容してほしいんだな、私は。 #あさが来た
新次郎の「パートナーを励まし支えいつも笑顔で素敵なことを言ってくれる、パートナーの原動力になる人(ただし自分は何もしない)」って朝ドラヒロインというより前作藍子さんを裕福にした感じだなあと思っていますよ。藍子さんはメンタリティと境遇の掛け合わせが凶悪だったんだと改めてw
ほ、ほ、ほんとだー! >藍子さんを裕福にした感じ
新次郎が大喜びしながら漏らした「あきらめてたのに」の一言が切なかった。よかったねえ。喜びもひとしお、「盆と正月がいっぺんに来た」を体現する加野屋。よのさんの奥さん連中への吹聴もさすがの無邪気さ。あの中には孫がいなくて悩んでいる奥様はいないのだと脳内補完しよう(笑)#あさが来た
親兄弟のみならず店の人らの面前でも、どストレートに喜びや気合(笑)を発する新次郎が可笑しい。このシーンの撮影楽しそうだ(笑)。こんなにも素直で可愛らしく賢いのに、いい年して「お金は汚い」とかいって仕事を嫌う造型がイマイチぴんとこなくて首をかしげるんだよなあ #あさが来た
わかってる、作風だってわかってるけどもさ、あさは経営者よね? 現場の士気をあげるのも仕事だろうが、愚直に彼らと一緒になって働く他にやることあるよね? 加野屋も妊娠判明の時点でまず炭鉱事業に別の人材を寄越しゃよかろーもん? 鶴瓶に借金返済できるほど稼いでる事業部なのに #あさが来た
帰りにはあさを駕籠に乗せなきゃいけないから(もしかしたらいわゆる大名駕籠かも)、行きは徒歩で行ったのか? さすがの新次郎さんも節約か。 #あさが来た
登場人物の年齢を明示しないのは構わないけど、作中の経年通りに人物が年をとらない(見た目も中身も)のは萎えるなあ。山王寺屋以外に、10年+αの深みがないんよね。あさにも新次郎にも夫婦関係にも、ふゆにも番頭sにも、もちろん五代にも。そこを出すのがロングスパンの魅力なのに #あさが来た
@yamada10th そこをまったくかまわずに割り切って作ってるようなのが、逆にすごいなって思います。豪腕というか・・・
朝ドラ関係で興味深いツイートがいろいろあるので、ブックマーク&ご紹介がてら連投しますねぃ
新次郎も五代もあさの既成観念にとらわれない自由さやパワーに惹かれていて、それは新次郎の劣等感や五代の世間への違和感などの鏡なのだろう。なのだろうが、波瑠がそのようには見えないので説得力に欠けるのもイナメナイ。 #あさが来た
3.「実は死の世界」と連想させるのは、別に「そういう解釈が流行している」わけでもなく、「理想的展開だから実は不幸だったと考えたい」わけでもなく、「はつ編」でリアルな設定と演出ができなかったために隠れ里生活に不自然さが滲み出ているせいだと思う。そうなった理由は… #あさが来た
4. 史実では山王寺屋が倒産してはつも早世し、いわば退場して途中から消えていて、それに即しての「隠居設定」なのだが無理があり、それが「死の世界」に見える。一方で姉妹の交流は描きたいし、そのため演技派女優も起用しており、半端な死と半端な再生が交じっているように見える。 #あさが来た
5.史実のあさの人生では途中から姉が消えていて、即した形で「隠れ里暮らし」と途中退場に置き換えたものの、設定や演出の不自然さがどこかフィクションや死の世界という感じを与える。一方、姉妹の心の交流を宮?あおいが力強く演じることで逆のベクトルも働いてる。そういう状態かと #あさが来た
6.「隠れ里暮らし設定」は史実と乖離して収拾つかなくなる事態を避けたうえで、姉妹の交流をしばし描くための「アイデア」だったと思うけど、「清貧」はじめ人工的な不自然さがあり、ぼくはそれを死の世界やディズニー的人工感と感じたようだ。演出の意図か失敗なのかは分からない。#あさが来た
7. 解釈はいろいろあって力点の置き方次第なんだろう。姉妹の「王子と乞食」的物語でもあるしなあ。なぜわたしが加野屋に嫁かずに山王寺屋だったのかと繰り返される自問自答。境遇が一見正反対だけど実はお互い自分の境遇に不満を抱き、「もうひとりの自分」(別の可能性)を羨む展開。#あさが来た
8. お互いが「もう一人の自分」(ありえたかもしれない可能性)に惹かれるが、最終的に「いまの自分」を肯定する展開なのだなあ。ただし、あさが憧れるはつの温かい家庭的な暮らしに貧困の悲惨は描かれないし、はつが憧れる自由闊達に活躍するあさに仕事の苛酷さは見えないのだけど。#あさが来た
姉妹が互いを「もう一人の自分」「ありえたかもしれない可能性」として憧れ、半ば嫉妬するって王道だけど、嫁いだ後も相当近しく交わりながら、相手の境遇の負の部分への想像が描かれなかったのが厚みを削いだなと大阪最後の夜の告白シーンで思った。特にあさ…鈍感すぎて残酷さすら… #あさが来た
あさが来た。1)やっぱり玉木くんは新さんを誠意の人としては演じてない気がするんだよなぁ。(誠意を持たないと言いたい訳じゃなくて、誠意が沢山分かりやすく表面近くにある人ではない、という事)そしてその誠意はあさとはすれ違い続けてる。今日の立ち聞きであさが聞いたのははつの言葉だけ。
あさが来た。2)昨日の回はしみじみとした良い回だなぁ……と思っていただけに、ラスト一分、琴の上ではつの手に触れた新次郎の手のねっとりした演出に血の気が引いた。精神的に自立した今のはつは彼の好みど真ん中。お師匠さんの時もふゆの時も今回も、新次郎からの誘い水はしっかり描かれている
あさが来た。3)新次郎が浮気者だと騒ぎたい訳では無く、あさへの気持ちはあるのにも関わらずそういう危うさのある人物として描かれ続けているという事。あと、関連女キャラを悪者扱いしてあざといだの邪悪だの言い立てる輩が出るのはどの朝ドラでもアニメでもある事なので作品のせいでは無いと思う
あさが来た。4)傘バサアッの回がとても好きで、あれから「来ちゃった(はぁと)」の辺りまでは、夫婦の心の距離が縮まったように感じていたのだが、そこからまた寂しいだの堪忍だの双方グダグダ言い出して、それがわざとなのかわざとじゃないのか悩んでいたのだが、今日の回でわざとだと認識した。
あさが来た。5)あさは沢山の認めてくれる人応援してくれる人に恵まれているが、ちっとも幸せそうに見えない。だって、どれだけお舅さんが素敵な人でも、直属部下が献身的でまるで同性の親友みたいでも、大好きな夫に認められている確信が無かったら幸せだと思えるかしらん?
あさが来た。6)何故ここまで二人をすれ違い続けさせる事にこだわるのか、と思ってたんだけど、今日の回を見る限り、お兄ちゃんと比較されてあほぼんあほぼんと言われながら育った新さんと、お姉ちゃんと比較され口を摘ままれながら育ったあさは同じで、自信が無い者同士ですれ違ってるって事なのかな
あさが来た。7)新さん以外でも、あさが認められたり褒められるシーンって何かしらヒネリがあって、いまいちあさに伝わってない感じなんだよね。鈍感ヒロインはあるあるですが、鈍感だというのはとても孤独な事ですよ。だから炭坑のおおきに大合唱があんな、どストレートな表現だったのかなー。
そう、新次郎がはつに手を重ねたとき、すごーく気持ち悪かった! あれはサラッとは見れない仕草。ったく、あの男わー。でも、はつのほうは触れられても何ッとも感じなかったから、思いきって「どうしてあさを選んだのか」尋ねることができたのかも。#あさが来た
あさが奈良で借りた金が石炭で返済できるとしたが、しかし初期には使用人家族からの石炭への有り難みが薄く、今もなおあさがいるから給金があり家があるのだという家内の人たちの実感がやや乏しいのは残念。なにより金額我はっきりしていればよりリアルだったと残念なきぶんである。
応援ばかりしていて支援がない藍子。その点では新次郎は確かに藍子的。時に反対するしね。たまに仕事場に出向くし。ここでも持たざるものの悲しみはある。新次郎には両親があり、家があり、役職があり、使用人がおり、趣味があり、女がおり、友もいるようだ(惣兵衛?)。藍子には子供しかない
夫はすぐに出ていってしまうのだ。住むところは間借り。大家はすぐに他人だと口にする。友もいただろうか?おしゃべりする仲間はいた。しかし、本心を語れる友は?本心を尋ねる文はどうだったのか?寡黙に見守ってくれる元治は?桶作の暖かさは身にしみたことだろう。
大森美香は本来毒の部分も書ける人だと思う。 #あさが来た でも、嫁入り前のはつの描写や、惣兵衛の失踪、新次郎の妾取り等、来たか?と思わせて、安心してください、毒はありませんよ。と落とすパターンが目立って来た。毒をチラつかせて、ちょっと視聴者を不安にさせて、直ぐに安堵させる。
僕は昔から中園ミホは毒にも薬にもならないドラマを書く人で、それはテレビの本質でもあり、最も視聴者とTV局がが求めているものであり、その求めたものを確実に提供出来る職人的脚本家だと思っている。 #花子とアン は彼女の真骨頂だと思っていた。
ところが、大森美香は #あさが来た で毒を適度にチラつかせて、視聴者の不安を煽り、直ぐに安堵させる事で、 #花子とアン 以上に視聴者の心を掴む事に成功している。視聴者は内容の薄い平坦なドラマではないという満足感を感じているのだと思う。凄いなと思わないでもないけど…
でも、当初は大森美香が高い志で書き始めた脚本にプロデューサーなり局側が待ったをかけて軌道修正した様にも見えなくもない。炭鉱での描写なんか安っぽいセットと相まってコントみたいにも感じるんだけど、あれ大森さんヤケクソになって書いてる様にも見えなくもないよなあ…#あさが来た
@flyersuper #まれ との対比と言うより、 #カバチタレ!以来の大森美香ファンとして複雑な思いで観ています。 #風のハルカ のリベンジを期待していたし、2、3週目位にはそれをほぼ確信していたんですが…今は風のハルカの方が大森美香らしくて良かったかもと思い始めています…
@flyersuper カバチタレ!、ラストラブレター、ランチの女王、不機嫌なジーン のフジ山口P作品の大ファンだったんですよね。それ以後の大森美香作品は卒なく求められているものをこなしているだけに見えて物足りなかったんですが、 #あさが来た はその集大成の様な気がしています。
新次郎と藍子の共通点・相違点って視点で考えるとめっちゃ面白い。まれのときも、軽ーく見てる奥様方は「藍子は不遇の中、夢見がちな夫をけなげに支えて子どもを愛情深く育てる良き妻」と認識しててびびる、みたいなツイートが流れてきて、たくさんRTや★がついていたのを思い出す。
大森美香の作家性。そうかー、そういう見方があるのか。私、大森美香の作品って、向井さん主演の「ハングリー!」しか見たことないんだよね(笑) 不機嫌なジーンはすごく面白かったという話を聞く。ブログのコメント欄で、DVDでぜひ見てくださいと薦められたこともあったな。
昨日のあさが来たを見て、この世界では、女性は思ったことを率直に言ったら、自分口つまんで反省しないといけないのかーと暗い気持ちになった。これが全て最後にどんでん返しになって、ああいうの嫌だから学校作りましたー になるのだろうか。男性もその学校で学べたらいいのに。
公的な援助は無いまま自身と身内の助けで生き生きしていく惣兵衛。朝ドラに政府は関係していないと信じたいものの、これからの国民の有り様、目指す姿を見せられている気になってしまうのです。#あさが来た
@sayori552 そうなんです、時代背景としてはそうであったと思います。それを現代の私たちに、ほら、政府や政治で人生が変わっても、自力で惣兵衛みたいに幸せになることはできるでしょ、って言われているように思ってしまうのは、全くもって考えすぎなんですけどねw
実際、「置かれた場所で立派にやっていくはつ / 惣兵衛はエライ」的なツイートはよく見かけますもんね。
そういえば、盛況な #あさが来た タグだけど、大森美香の他作品を参照したツイートはほぼ見かけたことがなかった。「カバチタレ」や「不機嫌なジーン」を好きだったドラマファンは多くて、今、朝ドラ視聴者層にも多くいそうだけど、その人たちがどんなふうに今作を見ているか、知りたいな。
なんか最近TLを見てると、#あさが来た って清盛的な楽しみ方をされてるなーって感じもあるのよね。
紙飛行機へのモヤモヤを吐露しました。ぜんぜんまとまってないけど、ちょっとすっきり。人生は紙飛行機じゃない URL
内容の面白さはもちろん、文章がすごくお上手で憧れてしまいます。ツイートもいつもすごいなぁと思っていましたが、長文でも冴えわたる批評性と魅力的な文章!! >RT
新次郎がやってることは、まれの藍子と同じなのになぜイケメン扱いになるのかというのは、男女が非対象であるからかなぁ。父権が強力な時代に、働く妻を機嫌よく励まし応援し、しかもすねるから愛情もあるのだと感じられる。本来は権力側の人間がその権力をふりかざしてないことが評価されるのかな。
だから、力のある人間はいいよね…と冷めた見方もでるのかもね。藍子が素敵妻になるには、非対称性を考えると、ばりばり仕事して徹をひっぱっていくことになるのかな。非権力側から権力側への移動はすごく難しいけれど、権力側から非権力側への移動は気持ちひとつなところがある。
あさが来たすごく面白い。正確には、あさが来たとTLのセットが。興味深くてたまりません。TL見るのに忙しくてツイートするのにも忙しくて、とんだ時間泥棒です。でもすごく有益です。
ゲゲゲ以降、朝の本放送だけでコンスタントに20%前後の視聴率をとっている朝ドラは、時代を写す鏡のひとつだと思います。朝ドラと、その視聴者層(の一部)と、その感想(の一部)が可視化されるTLを通じて、私なりにすごくいろいろなものが見える気がしていろいろな考えが浮かんできて、そこから他のことにも派生していって、うーん本当に示唆に富んでいます。朝ドラとTLのセットは。つぶやいてくれるみなさんありがとうございます。
最後のほうに紹介した「人生は紙飛行機」についてのtamicさんのブログもぜひぜひ読んで頂きたい。
そしてそろそろ、やまねさんに、最近の「あさが来た」評をうかがいたいところ。