読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

『あさが来た』 第8週 「京都、最後の贈り物」 ツイートと追記(長文注意)

ドラマ



はい、長すぎて、完全に自分のためだけの記録と化していますが(笑)。なんか、途中からツイートの転記がうまくいかなくなってしまった…。転記数が多すぎたのか・・・。

いろんな人のいろんなツイートを読むのはもちろん興味深いし、リプライでやりとりさせてもらうとさらに面白い! 私が送ったリプも一部こちらに転記してます。興味のある人は見てみてくださいね。すごく面白いです。


ツイッターはつらつらと思いついたことをあまり深い考えなく吐き出すツールなので(私にとって)、論理性もなければ結論ありきで書いてるわけでもないんだけど(私の場合ね)、頭の中でもやもや考えるだけでなく、つらつらとアウトプットしていくことで自分の感覚の根源みたいなものにたどりつけることがあるなあと感じる。
(他方で、いったん言語化した自分の「言霊」に縛られるリスクもあるので気をつけなければならないけど)

つらつらアウトプットしていくならノートに書きだしてもいいんだろうけど、もはや手で書くよりもキーボードを打つ方が楽で自然に感じるんだから私も現代人ですね。ツイッターではリプライをもらえることもあるし、自分とはまったく異なる意見も読めるし、大学で面白いゼミ(私の大学では“演習”といっていた)を受けているみたい。そう、私は今、ツイッター大学の学生なのです(笑)。

で、最近、根をつめて(笑)ツイートしたりTL見たりしているうちに、『あさが来た』はとても面白いし良くできているんだけどどこか違和感をおぼえる、そのキーワードが「トップダウン」「科目化される道徳的」「啓蒙的」そして「多様性からの遠ざかり」なんだなとわかってきた(私にとっての話ですよ)。

それと関連しているように思えてくるのが、「よの」や「ふゆ」へのTLのすごい反発や嫌悪感。ひとつひとつのツイートは一人一人の率直な感想なんだけど、TLという形で束になると、恐れおののくほどの「あさが来た輿論」に見えます。

よのにはよのの、ふゆにはふゆの視野があり感覚や価値観があるのに、(たとえそれに凹凸があるとしても)なぜそれを疑いなく断罪できるのか。『カーネーション』や『ごちそうさん』のTLではあまり記憶にない雰囲気・・・。賢く誇り高く気持ちのいい「あさが来た」の世界を好む人々の、この不寛容。不思議です。でも不思議なんじゃなくて表裏一体ってことなのかな。ドラマからもTLからもまだ目が離せないかな…。



数量限定!毎週先着1000名様 お試しキャンペーン実施中 | サジージュース(黄酸汁)通販のフィネス