『あさが来た』 第8週 「京都、最後の贈り物」 ツイートと追記(長文注意)
「ボロを着てても心は錦」のはつだから、実家でだって周りの目など気にならんだろうけど、それじゃ親族・使用人に至るまでがいたたまれない気持ちになるから借りて、かつ「貸して下さい」と自ら頼んだていにするんだよね、流石はつ。にしても日焼けで微妙に似合わなくなってるのが細かい #あさが来た
でも、炭がついたままあさが帰ってきたのは「相変わらずのお転婆描写」とはいえ、洗えば落ちる程度の炭(ホントの炭坑夫たちは中々落ちないだろうけどあささん実際すぐ落ちてた)に言及するって、日焼けして手荒れもして栄養状態もどうか知れないはつさんを考えると残酷な描写だな #あさが来た
ふゆさんは幼女ではなく少女なので、新次郎と並んだ絵面を男女として見てみると、チビあさちゃんのときよりかえって気持ち悪いこと甚だしいから、ポリティカルコレクトネスがしっかりしてる #あさが来た の場合、そっちに流れることはないだろね。手紙見て泣いてたからふゆも実家に何かあったのかな
今日のラストの新次郎&ふゆシーンを見て、「これ大ごとになるなら、よのさんが発端だな、新次郎とふゆは巻き込まれる側だよね」って、視聴者が、視聴者にとってストレスのない展開を予想できる安心感が #あさが来た なんだよなーと思う
『下町ロケット』は“現代の時代劇”だ 福澤克雄チームの必勝パターンと今後への期待 URL @realsound_mさんから 書きました。
>RT 下町ロケットは現代の時代劇である、と。同じく池井戸原作の半沢直樹との違いは、下町は勧善懲悪やプロジェクトXふうに徹していて、半沢(演者の堺)の「快楽と不快感が同時に存在する感覚」、「人間の暗部を刺激する見世物的な面白さ」がないこと。半沢のメガヒットの背景にはそれらがあった
>RT 同じことはあさが来たや偽装の夫婦にも言える。露悪的な表現をフックにする炎上商法的な演出を作り手は抑制するようになっている。それがある種の健全性をドラマに持ち込んでいて、そのスタンスに好感を持つ一方で、「人間の心は、そんなに簡単じゃない」という思いも、見ていて感じる。
ふーむ、簡潔にしてわかりやすい分析。なりまさんさすが
作り手は、この健全性が、今のドラマ視聴者層に好まれる(露悪的表現のトレンドは終わった)と判断して、こういうものを作っているわけだよね。その背景にあるのは人々の「よくありたい、よく生きたい」という願望だと思えば歓迎すべきことなんだろね 実際あさが来たのTLではそういう雰囲気を感じる
ただ、「人間の心はそんなに簡単じゃない」というのも普遍的な命題で、より積極的選択になる映画や小説(受け手がお金を出して買うもの)じゃないドラマでも、「人間の心はそんなに簡単じゃない」作品は繰り返し作られてきたわけで、またいつか何かしらの形でそういうターンがくるんだろうな
ただしあさが来たTLを私が見ている限りでは、人々はあのドラマに「人間の心はそんなに簡単じゃない」も感じながら見ているんだよね。なりまさんは、そうではないという見方をしている。偽装の夫婦はどうなんだろ。私みてないからさ・・・
私も、なりまさんの見方に近い。でも朝ドラであんまりがっつりくるものはキツい、ってのもわかる。まれや純愛はちょっとおいとくとしても(笑)、カーネーションはすごい名作だったと思ってるけど「人間の心はそんなに簡単じゃない」がすごすぎて、朝からむちゃくちゃ削られる日がたくさんあった
その「ひどい削られかげん」をTLは共有してて、それ含めてカーネーションはすごく愛されてるというか畏敬の念を払われているドラマだと思う。あまちゃんは毎日お祭りのような記憶が大きいけどよく思い出してみると(再放送未見組です)削られる部分はたくさんあったな、春子もユイもこじらせてたし。
ごちそうさんは、初期で脱落した人や、批判的に見続けてた人も少なくなかった印象だけど、私には、森下女史ってすんごいエグいとこまでいくんだなってびっくりした作品。「食」のテーマが、グルメとかほっこりとかじゃなくて、「命」「奪って/殺して生きてる」って根源的・原罪的な話になってた
花アンは私には深いものが感じられない作品で、引っかかるとこがなくて2か月で見るのやめた。マッサンは底流は骨太な感じだったけど、意外と…特に後半は割と綺麗めな話だった印象。まれはおいといて(笑)、今、あさが来た。流れをみるとだんだん”見やすく”なってるかも、ストレス少なめな感じに。
カーネーションの前にさかのぼると朝ドラ8時スタートが始まったゲゲゲは、布美枝さん(だったっけ名前…)はサラッとしてたけど、前半の貧しい時代がすごい長かったのと、やっぱりしげさんの苛酷な従軍体験っていうのが根底にあるドラマだった印象
実際、「ストレス少ない(ところが良い)」って意見はTLで何度も見たし、逆に「見ててストレスたまる」って意見は極小派。前作との反動もあるにせよ(笑)、8時開始のゲゲゲ以降で私が見た朝ドラ群の中では断トツな感覚。もちろん「ストレス少ないうえに魅力的」って意味で皆さん言ってるんだけど。
カーネーション・あまちゃん(マッサンもかな?)には、熱狂的なファンも多いけど「合わない」「激しい」「ながら見できない」等々で、最初から来なかった人や、早めに降りた人も多かった印象。花アンは私は2か月リタイアだけど、視聴率も悪くなかったし紅白までいったので割と見やすかったのかな。
今、あさが来たは、すごく広い層に開いてるなと思う。朝ドラ初めて or 久しぶりって人も多い感じ。山本さん土方の投入を知って3週目から参戦して「面白いやん!」てなってる人もたびたび見た。時代劇がハンデになるんじゃなく、むしろ「現代の時代劇」感が好評ってのはすごい納得だな、健全性。
今その「好ましい健全性」な世界に目つきをすんごい悪くした長塚さんが投入されたわけだけど、この健全性に穴があく気はしないんだよな
そうです、私もごちそうさんのエグさが大好きでした。和枝ちゃんとの対峙と一旦の別れまでがもう、まったく痺れる展開で、「ええ豚です。ほんまにええ豚です(泣)」は私の中で神最終回…
つまりまあ、大多数がなんとなく「人間の心はそんなに簡単じゃない」って部分もも含まれたものとして見て夫婦萌えしたり感動したり元気をもらったりしてる「あさが来た」に対して、私は見ながら「人間の心はそんなに簡単じゃないんじゃない?」って思っちゃってるから、違和感があるんだろうな
人情の機微みたいなものはすごくあるようなんだけどねー でもなんとなく長塚さんの役に関しては多少後味の悪い終わり方をしそうな気はする。で、その十字架を胸に夫婦は手を繋いで前を見つめるのかなーって感じの。
おじいちゃんの「あさ、泣きな。泣きな」で涙腺決壊する非常に良い視聴者の私。あんな状態で泣くなって言われたら泣きたくなる人間心理 #あさが来た
@drops2012 いただいたリプ読んで考えてるんですが、私自身もキャラの機微は感じているように思います。昨日の梨江とはつの会話とか、富田靖子の抑制の末の「奥さん、負けたらつまらん!」からの「強かー!」とか。すごく機微を感じることもいろいろあります、うー何に引っかかっているのか
そう、機微を感じる部分はいろいろあるんよね。「愛憎半ばする」とか「理解しあえない(部分がある)」とかいうところがあっさりしすぎているような気がするのかなー。だからよのがあさを未だにちっとも良い嫁と思えず自分の信条に沿って愚痴ったり妾探したりするとかはすごくいいな、そうだよなと思う
理想像が機微を凌駕してる(と思っちゃう)部分に違和感を覚えるのかも。
TLで「よのはあさの働きのおかげで贅沢生活が保てていると気づくべき」みたいな意見を散見するんだけど、なんかそれって、よのという人のこれまでの長い人生が尊重されてない気がするんだよな。
めい子と和枝とはお互いを尊重したぶつかりあいと訣別だったよね
いや正確には、それぞれの立場や価値観を剥き出しにぶつからざるを得なくて、ぶつかった末に、互いを尊重して(自分のエゴを自覚しつつも自分も卑下せず)決別したよね
#あさが来た 母の愛ははつの弱音を引き出せたけど、具体的な援助までは与えられなかった。お守りで十分だなんて「流石おはつ様」だなって軽く鼻白んだけど、銀行設立の話と同時だったのは「毒ではなく薬になる金、人を応援する金」を、いずれ銀行家になったあさがはつに渡すのかもしれないと思った
#あさが来た 今のはつにとってお金は恐ろしいもので、お金に触れず誇り高くあることで自分を保とうとしている。その頑なな心をあさが「フェアトレードとしてのお金の貸し借り」を説いて溶かすんだろうなと。それが分かったとき初めてはつはお金を受け取る。でもそのためには事業を興す必要があるか…
#あさが来た なんか自然農ライフでも生きていけそうだなと思わせるこれまでの描写だったが、「この生活で藍之助をどうやって育てていくか」に言及したのは今後の鍵の1つかな。藍之助のために、はつ夫婦はいつか一念発起するのかも。でも今井父の立ち聞きも気になる。藍之助を引き取るのは今井か?
#あさが来た あの迂闊な暮らしぶりじゃ借金取りに居場所がバレないはずはなく、回収不能ってことで取り立てをあきらめられてたのかと思ってたら、まだ借金生きてた。だったら美しい妻か、労働力になる子どもが借金のカタにとられてもおかしくないよね。やっぱお金を稼ぐか藍之助を手放すかの選択では
#あさが来た 五代は何であさに入れ込むのか、もう恋愛感情としか解釈できんけど、いい年して「お金怖い」なんて理由で働かず放蕩はいっちょ前の新次郎と、妻帯者か否かも明かされない五代とが、ヒロインを巡って火花を散らすシーンがいちいち鬱陶しい。視聴者の目を惹くための設定だろうけど要らない
#あさが来た 五代とあさはあくまでビジネス上の間柄にしたほうがかえって色っぽいのに。長い付き合いで一度くらいはお互い男女を意識し合うエピが…、ぐらいの関係が。むしろ、「女にビジネスなんて」と思ってる五代に、あさが体当たりでビジネスの教えを乞うぐらいがよかったな(ええ、好みの話です
#あさが来た 大成する人は卓越した才能を持っているとしても、仕事って何でも「門前の小僧時代・修業時代」を経て成長していくものなのに、師であるべき正吉と五代の存在が小さすぎるんだよな。五代が本格的に仕事で絡むのは今からってことなのかしら。説明ゼリフだけで教えていくわけじゃないよね?
フォロワーさんとのやりとり等で、朝ドラにはヒロインの内面描写を求めるけれど #あさが来た には極端に少ないということ、あさの「ビジネス冒険物語」に厳しさがないから魅力がないこと、朝ドラよりは「TBS日9枠のよう」というご意見(それが物足りなさに繋がっている)を見てナルホドと。
#あさが来た「道徳の教科書のよう」「こうあれというトップダウンの物語のように感じる」というご意見にも、ああ!と思った。そしたら今日、狙いすましたかのように(笑)はつの内面描写が。はつは山王寺屋を守れなかった悔恨と、生き生きと働く妹に羨ましさを抱えている。あさは子のいる姉が眩しい→
#あさが来た →そして梨江には娘を助けられなかった苦悩がある…。仲良しで慕い合う家族でも心には何十もの襞がある、それが人間だと思う。役者の演技もあって感動的なシーンが多い割に、引っかかりなくさらっと流れていく物語なので、こういう内面描写が(特にあさとはつに)あるとほんと安心する
貧乏は、わが子の飯や薬のために嫌なひとにも頭を下げてお金を借りるような状態だから、はつのお家は「貧乏」でもなんでもない。「清貧」的スローライフなんだなあ。あさの資本家・実業家人生の中和剤としての。 #あさが来た
私は、お金を受け取らなかったのは、はつに最初にお金を渡すのは銀行家あさなんじゃないかと、「お金のポジティブな力」を効果的・感動的に見せるための筋書きなんじゃないかと今回思ったが、そんな筋書きのために物語が流れてくのが #あさが来た だなと思う。これをよくできているとととるかどうか
#あさが来た 何だか目配りが足りないと感じる。はつがすごく危うい生活してること(貧しさや借金取りの脅威)。その苦悩や悔恨、妹への劣等感。新次郎の心の闇。そういうのを普段の描写ではあまり匂わせず、ここぞってときに凝縮して描くのはテンポを良くし視聴ストレスを緩和するかもしれないが…→
#あさが来た→新次郎の話を聞いて以来、両替屋の価値がわからなくなったというあさは、炭鉱の生活では「九州の女はすごい」としか学んでないんだろうか。一生懸命働いても彼らの賃金でできる暮らしの限界や、命のかかったリスクは思わない? 「人の幸不幸はわからない」とはまた別の話だと思うが
なんとなく、「今日のようなはつの内面描写も、のちの展開を盛り上げるための布石なのかな」って思っちゃう。スムースなドラマ展開のために効率よく情報が提示されて、枝葉はとっぱらう。機微は役者の演技で出す。みたいな。いやそれがうまさというのかもしれないけど、何だか人間味が少ないというか
#あさが来た 承前・そういう意味で、細かい描写を重ねてる「よの」をどう取り扱うのかは興味がある。昨日の再掲)TLで「よのはあさの働きのおかげで贅沢生活が保てていると気づくべき」的なのを散見するけど、なんかそれって、よのという人のこれまでの長い人生が尊重されてない気がするんだよな。
#あさが来た 炭坑行きに反対したのも妾探しも意地悪じゃない。よのは彼女の価値観で生きているから、あさが理解できないし、家が心配ってこと。性格のめんどくささは種類や多少の差はあれ誰にでもある。なのによのがTLで割と「悪者扱い」されてるのはトップダウンの物語として伝わってるんだなと
#あさが来た 承前・その見方を作り手が容認してるように感じる。自慢の長男を亡くしていることや跡取りである新次郎弟の嫁探しについて言及すれば印象はガラッと違うのに、それをしない。「妾は珍しいことじゃなかった」ナレは、「それでも妾を拒んだ新次郎の愛の深さ」を際立たせるアシストと化した
@ko1kubota このへんが大森さんらしさ、っていう身も蓋もないお答え(笑)。まぁ、複数のイケメンの中にいる主人公って、少女マンガの王道でもありますけどねー(笑)
@TheRedKangaroos @ko1kubota そりゃドラマではいい男を見たいけど、2人が火花バチバチでヒロインは気づかず…って、ど直球かつ古すぎで勘弁してって感じです。五代友厚という史実名の男がTLでドM妖精扱いされてる悲しみ。別の形で女性視聴者を惹きつけてほしかった…
2015-11-18 19:44:45 via Twitter Web Client to @TheRedKangaroos
@ko1kubota @TheRedKangaroos 五代友厚の名誉(?笑)はおいても、ここ5,6年朝ドラを見ていて、男性のキャラ付けやヒロインとの関係性に工夫が見られ、魅力を感じた作品も幾つもあったので、今回のいかにも少女漫画っぽさにはちょっと辟易としています(個人的感覚です
#あさが来た 子持ちか否か。お金があるかないか。男らしさ女らしさ。そういうのを「時代劇なのに、現代に通じるように描けてすごい」じゃなくて、「時代劇だからファンタジーが成立するから、現代に寄せても描けるし、現代で生々しくなるところは避けられる、要するに都合よく描ける」ではないかと
#あさが来た 現代ものなら、金持ち生まれとはいえ変化する時代の中で大変な家業を手伝わず習い事三昧で家を空けがちな夫や、借金取りに追われてるのに両親と妻をおいて逃げ出し賭博にふけったあげく借金問題にカタついてない状態で2人目作ってデカい夢語る夫が出て来る話で元気もらえないもんね。
二人が健気すぎて、置かれた場所で咲きなさいと言われてるようで構えてしまう。女性という本人の努力ではどうしようもない要因で、人生が著しく制限されるのは、置かれた場所の問題じゃねえから。もちろん現代では、という話だけど。
#あさが来た そう、時代物だから「置かれた場所がそこなんだから、そこで頑張るしかないよね。その場所でも心がけ次第では気高く幸せになれるよね」と疑問なく気持ちよく思えるんだよな。本人の責任でない負の環境要因は取り除かれるべきでは?と考えずに済む。眉山家ごはん食べられてるのかな?とか
朝ドラヒーローが社会人としてちゃんとしてないけどヒロインの味方でいてくれる人のが人気で、自分は自分なりに社会と色々あんねんという人は時にヒロインの利益と対立するから怒られやすいのは知ってるけど、私は後者派です。
#あさが来た 時代物だから「社会人としてちゃんとしてないけどヒロインの見方でいてくれる朝ドラヒーロー」の社会人としてちゃんとしてない部分もスルーされがちなんだよね。「働かない」だけじゃなく、悩んでる妻を放置して夜歩き・ここぞというときだけ睦言・20年間心の傷と向き合わない…>RT
#あさが来た 同じ家に生まれた姉妹はまったく別の環境・生き方になった。あさにはあさの、はつにははつの幸せがある。一見、それで「多様性」を謳っているように見えながら、実は真逆のようなベクトルを感じる物語(主観です)。フォロワーさんが評していた「トップダウン」という言葉を思い出す。
→「多様性の逆ベクトル」「トップダウンの物語」は、よのやふゆ、かつての菊といった人物たちが「叩かれがち」なTLにも表れているように思う。美和にすら、妾話を自分から断るまでは「あざとい」という評価があった。それは主人公姉妹(と夫たち)が愛され応援されている証左でもあるけれど→
→同時にその他の人々(特にヒロイン姉妹や夫と利害が対立したとき)の価値観や人生、至らなさに向ける眼差しの軽さにも思える。「ごちそうさん」の和枝や「カーネーション」の玉枝は、ヒロインと対立している最中でもTLに非難されないどころか、むしろ彼女たちの境遇や価値観に→
→視聴者の思いは集まっていた。今そうなってない(と私は感じてる)のは「あさが来た」では美和やよのやふゆの描き込みが少ないってのもあるし、対立描写も控えめ・軽めだってのもある。同じことはヒロインの相手役にもいえて、圭太はもとより悠太郎や政春、あの伝説の(笑)周防さんにしても→
→TLでは未熟さや利己的など負の部分はきっちり糾弾されたうえで、それでも魅力的だと愛されていたように思うが、新次郎の負の部分(この人のダメっぷりも相当だと思う)はかなりスルーされ、あさにアドバイスしたり甘い言葉を囁いたり、五代に対抗心を燃やすところ等に視聴者はフォーカスしてる→
→それは「軸が定まった物語」(日本的ポリティカルコレクトネスを外さない主人公姉妹)から「元気がもらえる物語」としての高評価にも繋がっているんだろうが、私はどうしてもソーシャル・インクルージョンから遠ざかる物語のように感じて、この違和感をずっと考え続けている
→(タグ復活)考えるに、1つは「シンプルでありたい」「健全でありたい」「環境に関わらず良く生きたい」という、今の人々の願い(他人にどうあってほしいかではなく、自分がそうありたいという気持ち)を反映できる物語なのかなと思う。あさやはつの姿にその思いを託せるというか。#あさが来た
→現実には先行きが暗くて不安な時代だから、元気で明るい物語が見たい、シンプルに泣いたり笑ったりできる物語が見たい気持ちもあると思う。朝ドラはこれまでもいろんな作風のドラマがあったし、まして今多くの人に支持されてるんだから #あさが来た はこれでいいんだと思いつつ→
→私はそのシンプルさに疑問を感じてる、陰影や襞が足りない、シンプルは裏を返せば多様性の除去のリスクを負うんじゃないかと思ってる。「それは今回のテーマじゃないから」と言われても割り切れないのは、私が勝手に「最近の朝ドラは社会の多様性を意識している」傾向にあると思っていたからだろう
あさが来たを好きな人がダメだと言うんじゃない。一人一人に各々好きな・嫌いな理由があるのもわかる。でもこの5-6年、朝ドラと共に朝ドラTLも見てるので、TLに「時代の空気(無意識なもの含む)」的なのを感じるのも事実で、そこからの主観を書いている。自分が正しいと言うわけじゃないです
@emitemit: 先日、リアル友から「最近の君のツイートを見ていると、日本の朝8時からいったい何が起きているんだと思ってしまう」と言われて笑いました。そりゃそーだ(笑)。そーゆーとき、「私は今、Twitter大学の生徒なのだ」と答えていますw
@emitemit: ふゆが新次郎にポーッとなってて何かヤな雰囲気になってるけど、ふゆの年齢を考えれば、あさが女中さんのいい嫁ぎ先を見つけてあげられてない、つまり「大店のお内儀さんの役目を果たせてない」ってことでもあるのだな。ま、よのさんもその辺、口では言っても適当だったみたいだけど #あさが来た
@yamada10th: 視聴者があさかはつに入れ込みやすく、新次郎と惣兵衛が王子様過ぎる。だからふゆは視聴者から嫌がられる。ファンタジー感満載のあさ新次郎カップルを壊すかもしれないものだから。元お姫様の姉妹。遊び人の王子様におちぶれた王子様。大道や。
@yamada10th: 貧乏で藍子付きのまれには入れ込めないよね。仕方がない。ため息。
@emitemit: ばりうける。なんか笑ってしまった。貧乏で藍子付きのまれって(笑)。身も蓋もw >RT
@emitemit: この時代は避妊技術が今と違うから2人目授かったのはしょうがない。うん、素直にそう思えるのが時代劇のメリットですよね。現代なら「身の程考えて自重しようよ」になるもんね。実際は、コンドームない代わり冷たい川に入って堕胎したり生まれたあとに間引きしたりしてたんだろうけど #あさが来た
@minoruno: 貧乏なのに2人目とか、壬生義士伝だったら川に浸かって流産騒ぎだで。どーすんだよ #あさが来た
@minoruno: イヤだから借金返してないのに百姓とかオワコンやで! #あさが来た
@minoruno: ふゆ妾モードか?より姉の家のライフプランの現実感の無さが気になってしょうがない。 #あさが来た
@emitemit: 歴史好きらしい感想の数々w >RT
@emitemit: @tenko_TV ありがとうございます^^ TLを見てどーのこーのなんてSNS時代の弊害を自らかぶっちゃってるなと思ってたんですが、最近は「ドラマ視聴+TL閲覧のセット」を窓にして、そこから自分なりに社会を見てるんだなと感じてます。朝ドラのような伝統枠ならなおさら…。
@emitemit: @sarara0904 またまた興味深いリプをありがとうございます! 「おしん」は一度も見たことがなくて大まかなイメージとあらすじしか知らなかったので、瞠目して読んじゃいました。考えてみたら、それから30年…朝ドラ視聴者層もずいぶん変わっているのでしょうね。
@emitemit: @sarara0904 貧しさや劣等感、偏見や差別も描かれた「おしん」。他方、今は、明るくて爽やかで安心して見られるドラマが快進撃。私も人間味が薄いドラマだなと思っていますが、これくらいの「痛いところの衝かなさ」のさじ加減だからこそ、今は受け容れられているのかなと思います
@emitemit: @sarara0904 で、私としては、「そういう物語が受容されやすい現代ってどんな社会なんだろう?」とか愚にもつかないことを考えているわけです(笑)。大学時代から、「音楽や映像作品のような文化面が社会とどうつながっているか?」みたいなことをやる授業が好きでした(笑)
@emitemit: 寺島しのぶにまた泣かされるの回。過剰に走らず抑制された演技から、しっとりした情が、汲めども尽きぬ泉のように湧いてあふれだしてる。歌舞伎っていうか、演技の型をしっかり押えたうえで感情を乗せてるなあ、とただただ感心(しながら泣く)。#あさが来た
@emitemit: はつにお金を渡せるのは「お金のポジティブな力」を知った銀行家あさになるだろう、と予想はしたものの、予想してたった2放送日後に実現するとは、さすがスムースな #あさが来た である(笑)。五代の話をすぐに受け売る賢いあさ、夢もった途端に土地を得るはつ、悔いを残さず上京できるお母さん。
@tamic53: 昨日のバンクの話が早々に回収される。亀助の(相撲…やってるやん…)のシーンにも丁寧に回想を挿入。幅広い層にわかりやすい親切設計だわ。 #あさが来た
@emitemit: そう、わかりやすいってほんと大切なんだね。わかりやすくスッキリさせること。>RT反対に、ふゆの横恋慕が描かれた昨日のTLの荒れっぷり、ふゆの叩かれっぷり。脇キャラはヒロイン姉妹の軸(夫含む)に対立しない限りすごく愛されるけど、対立した瞬間にTLが鬼と化す… #あさが来た
@tamic53: どうも新次郎は「お転婆あさを自由にさせつつ、実は長い手綱をにぎり、ここぞというときには助けてくれる素敵な旦那様」として書かれているようだ。素敵に見えるように、遊びも頼りなさも程よくしてあるから、人気があるんだね。弱さを徹底的に書くことはないのかもしれない。#あさが来た
@emitemit: >RT まさにそれがTLの解釈、新次郎人気の源だなあ。美和の件以来、三味線や謡に行ったり夜に出歩くシーンもないから、マイナスのイメージが持ちにくい。でも「遊んでない」と断定もしない。夜遊びはしても浮気はしてないと確信させる描写。うまいけど狡い脚本だなと思う #あさが来た
@emitemit: #あさが来た 「少しずつ変わってきてる」と正吉は言ってたけど、結婚10年近く経ってるわけでしょ。10年でやっと少しずつ変わってきただけって! 朝から晩まで毎日何してるんだろう?と思うよね。そこらへん描かないから何となくふんわり素敵な新次郎だけど。淋しいなんて、どの口が言うかと。
@tamic53: ダウントンアビーに似ていると言われるあさが来ただけど、ダウントンが同性愛者のトーマスや娼婦となったエセルを普通の登場人物の一人として組み込んでいくことで多様性を保ち、現代的な問いかけを行っているのに対して、あさはわりとイージーに当時の価値観を美しいと称揚しているように見えるなぁ。
@tamic53: まぁ朝からダウントンみたいな重厚さは難しいとは思うけど。ただ物事の取捨選択からドラマの志向するものは見えてくるわけで、多くの人が見やすいことを第一に作られているっぽいあさが来たが今のようになっているのは、これが今の日本の標準的な民度ということなんだろうと思う。
@drops2012: あさが来たがどうかは最後まで見て判断したいのだけど。この国の男女平等が次のブレイクスルーに辿り着かない大きな要因の一つに、「女には女だけの特別な力がある」というファンタジーが強すぎる事があるとずっと思っているので、「やわらかい力」にザワッとなる気持ちは分かる。
@drops2012: 女だけの特別な力なんて持ってない女でも、男だけの特別な力なんて持ってない男でも、障碍者だけの特別な力なんて持ってない障碍者でも生きていけるのが本当の平等と言うものだろうに。
@emitemit: >RT 民度とは、また思い切った言葉を使われたものです(笑)。お2人のツイに共感。ここんとこいろいろ考えてて、自分が #あさが来た に違和感があるのは、「多様性が当たり前になる社会をめざす現代」から遠いところにある作品のような気がするから、ってのが結論なのかなと思ってる
@emitemit: その理由は昨日もだいぶ書いたので割愛するけど、「多様性の受容」というと綺麗な言葉だが実現が難しいのには様々な理由があって、その困難にぶつかり対峙する人々を胸に迫る物語として見せてくれたのがカーネーションやごちそうさんであり、まれも作劇は不出来でもその延長線上にあったと思う
@emitemit: いろいろな作り手、いろんな作風はあっても、朝ドラはそういうふう(多様性の社会の実現をめざす)な流れになってるような気がしてて、それが時代に合致してるから、朝ドラって枠にすごく思い入れができたんだろうなと思う、私の場合。あさが来たはその流れと外れているように感じて、なおかつ
@emitemit: それが支持されているのが、私の中で引っかかってる。新次郎にしても、働かないのが悪いわけじゃないけど、なんか脚本演出が狡い感じがするんだよな。都合の悪いところから逃げて「かっこいい王子さま」像を作ってる。
@emitemit: ま、勝手に期待して勝手にがっかりしてるだけの話とも総括できるのだが(笑)、本人としてはいろいろ考えることができて意義あるなーと思ってるんである。そういう意味ではあさが来たに感謝だわ(笑)
@emitemit: この久太郎が渡米し、おじいちゃんも亡くなっていて、夫は業務多忙だろうし、慣れ親しんだ京を離れ東京に行ってからの梨江さんは淋しいやろね。ま、梨江さんもお内儀の仕事で忙しかろうし、あさにとってのうめにあたるような気心の知れた女中さんもいるだろうけど。#あさが来た
@emitemit: 仕事する気もないのに職場(しかも他社の人々も集まる寄合所)に来るんじゃありませんよ、新次郎。これ男女逆で、奥さんが興味本位で商工会議所とかに来て、仕事の話があってる最中にぺちゃぺちゃ喋ってたら迷惑かつ顰蹙でしょ。五代への当てつけ解釈なんぞが成り立つ設定が嫌なんじゃい #あさが来た
@emitemit: #あさが来た 友近が演技うまいだろうことは彼女の本業の芸を見てれば容易に想像できたけど、実際に放送を見てすばらしいなと思ったのは容姿だよね。今作では美人度控えめで賢さと人情味にフォーカスしたメイク。何よりどーんと重量感がある体がいい。女優さんにはなかなか見られない重量感じゃない?
はい、長すぎて、完全に自分のためだけの記録と化していますが(笑)。なんか、途中からツイートの転記がうまくいかなくなってしまった…。転記数が多すぎたのか・・・。
いろんな人のいろんなツイートを読むのはもちろん興味深いし、リプライでやりとりさせてもらうとさらに面白い! 私が送ったリプも一部こちらに転記してます。興味のある人は見てみてくださいね。すごく面白いです。
ツイッターはつらつらと思いついたことをあまり深い考えなく吐き出すツールなので(私にとって)、論理性もなければ結論ありきで書いてるわけでもないんだけど(私の場合ね)、頭の中でもやもや考えるだけでなく、つらつらとアウトプットしていくことで自分の感覚の根源みたいなものにたどりつけることがあるなあと感じる。
(他方で、いったん言語化した自分の「言霊」に縛られるリスクもあるので気をつけなければならないけど)
つらつらアウトプットしていくならノートに書きだしてもいいんだろうけど、もはや手で書くよりもキーボードを打つ方が楽で自然に感じるんだから私も現代人ですね。ツイッターではリプライをもらえることもあるし、自分とはまったく異なる意見も読めるし、大学で面白いゼミ(私の大学では“演習”といっていた)を受けているみたい。そう、私は今、ツイッター大学の学生なのです(笑)。
で、最近、根をつめて(笑)ツイートしたりTL見たりしているうちに、『あさが来た』はとても面白いし良くできているんだけどどこか違和感をおぼえる、そのキーワードが「トップダウン」「科目化される道徳的」「啓蒙的」そして「多様性からの遠ざかり」なんだなとわかってきた(私にとっての話ですよ)。
それと関連しているように思えてくるのが、「よの」や「ふゆ」へのTLのすごい反発や嫌悪感。ひとつひとつのツイートは一人一人の率直な感想なんだけど、TLという形で束になると、恐れおののくほどの「あさが来た輿論」に見えます。
よのにはよのの、ふゆにはふゆの視野があり感覚や価値観があるのに、(たとえそれに凹凸があるとしても)なぜそれを疑いなく断罪できるのか。『カーネーション』や『ごちそうさん』のTLではあまり記憶にない雰囲気・・・。賢く誇り高く気持ちのいい「あさが来た」の世界を好む人々の、この不寛容。不思議です。でも不思議なんじゃなくて表裏一体ってことなのかな。ドラマからもTLからもまだ目が離せないかな…。