『あさが来た』 第6週 「妻の決心、夫の決意」
「ボロ家住まいが自分やなくて良かったと思ってるんやろ」菊の言葉に、あさは「ハァ?」て顔。考えてみたこともなかった、って顔。姉の境遇を心配はしても、姉が自分で決めて今の暮らしをしてるとわかってるし自分が姉の立場でもそうする、それを不幸とは思わない、って演出なんだろう #あさが来た
はつの「あんたの顔を時々見られるだけで十分や」もまた彼女の本心で、あさとはつがそういう子だからこそ、このドラマは人気があるんだろうなーと思う。見てて気持ちがいいもんね。これが成功事例として今後に引き継がれていくわけで、時代劇ではあるけど朝ドラの原点回帰って感じかも #あさが来た
「仲良くしような」「ようお嫁に来てくれましたな」「今日は一段とべっぴん」歯の浮くような調子よい言葉はすらすら言えても、拗ねてるときは逃げの一手で相手と向かい合うことすらできない新次郎のこじらせっぷり。これ、恋の嫉妬的なちんまい話に終始せず、どかんとやってほしいなあ #あさが来た
いくら何でも他家に嫁いだ娘の尻を叩くってあんまりだが、「あさちゃん、おいどは大丈夫だすか」と言わせるための脚本だね。昔と同じシチュエーションだが月日は流れ時代は変わり、新次郎とあさの関係性も(許嫁→結婚というだけでなく)変化してる。新次郎、薄々気づいてる言い方だった #あさが来た
今井父のほうは、「相変わらずな娘だ」と叩いたものの、正吉との会話を通じてあさが加野屋の人間(嫁らしくはないがw)としてしっかりやってること、はつも落魄しつつも気丈に家を支えていることに気づき、もはや「帰ってこい」と言っても帰って来やしない娘たちの成長に気づいた、と。#あさが来た
はつは栄達を「お父ちゃん」と呼び、あさは正吉にその商才を高く見込まれ、娘たちを自分より深く理解しているのはもはや婚家の父であると思い知らされた、と。それ盛り上げるための「尻たたきの刑」でもあったのよね。新次郎を見て一目散に逃げた栄達も、今井父の前では逃げずに対峙した。#あさが来た
筋書きの意図はよく理解できるけど、はつの誇りや栄達の体面を尊重したと解釈させたいんだろうけど、いくら物語だからってそれでいいのかなって思いも拭えないなあ。それで納得し大いに感動してる視聴者がいっぱいいることも含めて怖いなと思う。「まれ」に厳しく「あさが来た」には肯定的な世間様…
あと、「お父ちゃんと呼べ」がふゆにも言われたのがめちゃポイントだろうな。結婚時、うめとの交換で尺取ったときも思ったが、結局ふゆはいつか加野屋に来て史実通りに妾になると想像。山王寺屋の娘が加野屋の跡取りを産む。姉に縁深い(姉と共に苦労した)娘が産んだ子を加野屋で育てる。#あさが来た
栄達に対して自分から頭を下げる今井父は人間でき過ぎてるやろと思うけど、こういうできたお父はんだからこそ、あさとはつのようなすばらしい子が生まれ育ったたんでしょうね。「持ってる」娘さんたちなんですよね #あさが来た
かつてクビ宣告されたと言われてた気がするがなんでかずっと落ちぶれたあとでも山王寺屋に同行していたふゆさんの処遇について、『新さんの妾』話が具体的に出たよりによって同じ日、あささんが「ふゆちゃんうちで引き取れるか相談してみるよ!」とか言っちゃう本日の #あさが来た でした。
政略結婚で嫁がせた娘の婚家が零落しても遠くから見守るだけで手も金も出さなかったお父はんは、その娘に帯同させた元は自分ちの女中の身の振り方もまったく考えていなかったんですね…という「あさが来たワールドにおける責任とは何なのか」問題。
ここまで徹底して隠喩にしないとお妾さんという存在が扱えないんですかね……。すごく上手にやってると思いますが、上手な分モヤッとするんだよなー。結局漂白されてるのは男キャラだし。(そこに一番モヤモヤ)そこまでしなきゃいけないくらいだったらいっそやらなくていいのにと思ってしまう。
はつはお嫁入りのときに自分のひとことでふゆとうめの行き先が入れ替わったことをずっと気にしていたんだろうなあ。どこまでも心が綺麗なお姉ちゃん。#あさが来た
新次郎さんが眠るあさのほっぺを触る場面は、やっぱりあさを愛してるんだなという気持ちがよく伝わってきたし彼自身も改めて自覚したんだと思う。それだけにその直後に妾をとる話を持ちかけられるというのは、新次郎にとっても複雑だっただろうな。自分でも踏みとどまったんだし #あさが来た
はつ、子供が生まれてからの方が人の助けが必要だろうに、ふゆの将来を考えて加野屋に託そうとする。本当に立派な人だなあ #あさが来た
何不自由なく育てた娘の嫁ぎ先が没落して、田舎の納屋で貧乏暮らし、お腹に赤ちゃんもいて、さらに夫は失踪中って状態を、財閥の父がそっと見守って帰るのはさすがにどうかと思うなぁ。お母さんが激怒しそう。
大金持ちに奉公してそれなりの待遇だった女中を、「お姉ちゃんが心配だから」で食べるものもロクにない貧農暮らしをさせ続ける気マンマンだったんだ、あささん…これが金持ちの無神経ってやつか… #あさが来た
ほんに、同じドラマを見ても斯様に様々な感想があるものですw #あさが来た
昨日のツイ再掲 >「お父ちゃんと呼べ」がふゆにも言われたのがポイントだろうな。結婚時、うめとの交換で尺取ったときも思ったが、結局ふゆは加野屋に来て史実通り妾になると想像。山王寺屋の娘が加野屋の跡取りを産む。姉に縁深い(姉と共に苦労した)娘が産んだ子を加野屋で育てる。#あさが来た
よのさんの口から「お妾のお給金」が出たのにはきっと脚本的な意味があると思うんだが、これ、ふゆを妾にして別宅に囲ってそこにお姉ちゃん&子どもも住んで、お妾さんへのお給金で山王寺屋が暮らしていく展開だったらすごいなw #あさが来た
#あさが来た のポリティカルコレクトネスが徹底された、且つファンタジーな世界観は、毎朝気軽にワクワク楽しめる朝ドラとして最適なんだろうなと思う。ここ数年、「ヒロインの暴力性」「人間の業や無意識の暴力性」に果敢に挑んだ作品群が好きだったせいか、私はあんまり酔えないけど。
ポリティカルコレクトネスに安心する、って人間心理はあるんだろうな。ギザギザや凹凸を感じたくない心理というか。「物語」というものについての接し方の差かも。ふゆの扱いひとつとっても、「優しくて立派なはつ」と思いたい人と、「なんと暴力的な」と感じてしまう人間。#あさが来た
「あさが来た」という朝ドラ、じゃなくて、「物語全般」についての接し方、という意味ね。闇の部分がある小説や映画に対して、好き嫌いはもちろんだけど、耐性とか敏感さとか経験値って人それぞれだからなあ。
.@tamic53 旧来の日本的道徳観、ほんとそうですね。そしてそれは21世紀日本の自己責任論の拡大浸透につながってる感じがします。ドラマは面白いんですが、意識的/無意識的にせよ、それを良しとする価値観が #あさが来た を後押ししている感じがして、モヤモヤしてるのかもしれません。
すいません #あさが来た のこと とりとめもなく連投しますね
赤子は男子か…。そして妾問題こういうふうに切り出したか。作風的にこれ以上生々しくやるとは思えないので、ふゆを形式的なお妾にして別宅に囲い、はつの子を跡取りのていにして養育するんじゃ? で、新次郎サイドは「はつも一緒に(別宅で庇護する)」というがはつが誇り高く断る、と #あさが来た
あさが当時の女性では超レアな「仕事まい進」道をゆくのが、加野屋を守るためなのか(変化球な内助の功)、新次郎のためなのか(男女の情愛)、商いが好きでやらずにいられないからなのか(あさという人間の業)…。意図的なのか否か謎だが、今んとこイマイチはっきり描いてないと思う #あさが来た
お家を守るそのために、加野屋を守るそのために、新次郎にお妾さんを使命感に溢れていて、大事なあさの新次郎に対する想いを閉じ込めた何でも突き通すようなあさが、はつにも話さず自分の気持ちを押し殺すあさは新次郎への想いによって大人になってきてるね #あさが来た
仕事はやりがいを感じてるだろうが、その原動力は新次郎。お家のため、とあそこまで熱を入れられるのは、新次郎の代で店を潰したくないから。お家を守るのも、新次郎のいる家だから。あさの原動力は全て新次郎への愛情が根源にある。なのにあの言葉を吐かねばならないのは辛いな #あさが来た
『あさが来た』で主人公が「旦那様にお妾さんが…」ってショック受けてたけど、彼女がいまやってることは周囲から見ると、変わり者の嫁の道楽でしかないのよね。本人は仕事のつもりでも、周りはそう思ってないところに問題があるのに、そのことを知りつつスルーしてきたんだから、(続
彼女は愛されてきた末っ子キャラなせいか、自分が周りを振り回すことの危うさ、むきつけにいえばある種の傲慢さを備えてることに気づいてなくて、自分の希望は常に通るはずってどこかで思ってるようにも見える。その発露は、苦境にある姉を第三者目線でうらやましがるところにもちらっと。
苦境にあるはつを羨ましがって隠そうとしないあさも、三味線師匠を妾にして後継ぎを産まそうと考えるよのも、本人たちは悪意なくふるまっていて、無意識の残酷さを結果的に際立たせているのは演出意図だと思う。このドラマは「愛され顔」の下に制作側の本音が潜む二重底ではないかなあ。#あさが来た
あささんは「お家のためにお妾を」と言いますけど、昨日新次郎が言ったとおり跡取りは榮三郎で家計は火の車なことを考えれば、お家のために心配すべきは名探偵コナン状態の榮三郎とその嫁取りだと思うんですがそれはいいのかよのさん #あさが来た
だから「九州行くからお妾さんを」も、TLでは様々な解釈がなされてる。>RT群業でとらえてる人、夫への愛情ゆえという人、愛情ゆえに家を守りたいのだという人、当時の社会システムのプレッシャー…。みんな自分の好き好きに解釈して納得してるから作り手的には万々歳か #あさが来た
当時の無事な生育率の低さは跡継ぎ問題を急ぐ説明になりうるけど、新次郎に「分家やで」と言わせてるし、よのは基本的に感性の人だから「孫を抱きたい」が強い。結局、妾が跡継ぎ問題のために必要なのか、夫の世話(夜の世話含む)のために必要なのか、焦点を絞らず描いてるように思える #あさが来た
仕事についても、大番頭さんと阿吽仁王像ばりにコンビで金策に悩むのは仕事熱心かつ「今や(大番頭と並ぶほど)加野屋に必要な人材」って演出だろうけど、それなら正吉があさに「あんた次第や」と委ねるのは無責任な話。むしろ「嫁業は諦めて商売に専念してくれ」と頭下げるべきじゃ? #あさが来た
あさが商売がしたくてやってるのか、家のためにせよ旦那様のためにせよ、「やらざるを得ない状況」だからやってるのか、まあ両方なんだろうけど、そこらへんフワッとしたままきてるので、視聴者が自分流に解釈できるんだけど、狡いなって感じも。明日明後日で多少は詳しくやるんだろうが #あさが来た
で、あさが悩んでることに気づきながらも全く向かい合おうとしないまま一年以上(だよね?)を過ごし、火の車な家業も相変わらずほったらかしで夜歩き三昧、ついには思いつめた妻に妾まで切り出させといて、今さら「は?」ってびっくり顔したひどい夫が全然責められてないTLすごい #あさが来た
「商売が嫌い」「弟が跡取りだから」で許されてるなら、女だてらに出ばってるあさの道楽仕事ってことになるし、「働かない新次郎の分まであさが頑張ってる」なら嫁&仕事放置の新次郎がひどいってことになる。どっちとも断定せずすべて「あさに委ねられた問題」にしてる脚本だなと #あさが来た
「妙な状況の中、すべて主人公に委ねられる脚本、それを看過する視聴者」てのは、はつ(ふゆ)周辺も全く同じで、財閥の父は姉妹に手出し口出しせず去り、姉妹は女中を夜逃げ&貧困に付き合わせて良しとしてた。そして姉妹が自己責任で選ぶ、厳しくも正しい道に視聴者は感動してる #あさが来た
で、今日の「お妾提言」に対して明日以降新次郎が何らかのレスポンスをするんだろうが、最初のツイ予想のように(ってどれだよw)、これでほんとに妾をとる新次郎さん(っていうかこの朝ドラ)じゃないと思うんよね、そこは夫婦愛をとる脚本だと思うんだろうけど、はてさてどうなるか #あさが来た
いや、脚本はやっぱり「妻はどうしてそこまで商売にこだわるのか」「夫はどうしてそこまで商売を避けるのか」「そんな夫婦はどうやって歩み寄り通じ合っていくのか」をわざとまだボカシてる、いわゆる「タメ」てるんだよねきっと。視聴者側がとりあえず各々自己流で解釈してるだけなんだ。#あさが来た
思った! よのさん最強かわいい!と思った!! URL
多分その「人の業への処理の仕方」で脇役の視点から主人公を責めるような展開を人は「毒々しい」と思ったりして、あんまり厳しくやるとまれやごちや純愛みたいに「朝からドンヨリ」と怒られたりするんじゃないかな。ちなみにマッサンはヒロインの業について終盤日和ったよね。
あさが来たはだから、踏まれてる側=脇役のはつさんからはあささんを責めることはしない。毒々しい展開排除路線だから。でもさっき言ったみたいに「業」は残っている訳で、その業が女子大作る事に繋がるわけだから、いつか自分でその業に気付かなきゃならないんだよね。
今日の展開だって自分のやりたいこと(仕事)のために妾囲ってくださいと頼んだけど、その妾はどこから調達するのか、その妾の人生は?自分の言ってることの身勝手さや残酷さということに、あささんはいつか自分で思い至らないといけないわけですよね。業はあっても毒はないからさらっとしそうだけど。
確かに「私と離縁しろ」じゃなくて「妾を持て」っていうのは、それ自体が時代背景も含めた上から目線なんですよね。あと商売に引き摺り込んだのも新商売の糸口にしてるのも義父なのに「嫁が家をあけるとはどんなことかわかってるのか」と詰問されるのきつい。
「お妾さん囲って発言」は、まだまだ気負いと勢いだけが突出していて、いわゆる根回しとか周囲の調整まで気が廻らない……商人の域まで練れていないお嬢さんという表現だと思って見ていました。「お家のため」が空回りしている状態。 #あさが来た
ははは、なんじゃこりゃ。イケメンは正義、でいいのか。#あさが来た
結婚当初の夜歩きも、あさは気にしてた(美和んちへ乗り込んでまで!)のに、新選組の一件まで放置。今回も思い悩む妻に気づきつつ軽く一年以上放置して夜歩き。妾も断らず、両親は相手の承諾を得て引越し直前。あさが惚れた弱みで許容するのはわかるけど、この男を責めないTLすごい #あさが来た
こんな、妻に無礼で残酷極まりない振舞を、「あさの自分への愛情に自信が持てなかったからなのよね…今日初めて確認できたから嬉しい雨なのよね…」って許されてるのは玉木宏の演技力もあるにせよ、この新次郎人気、作り手としても少々想定外のヒートアップなんじゃない?と思うのだが #あさが来た
肉体的な浮気はないが毎晩夜歩き遊興、なぜかは謎だが商売は嫌いだから仕事しない、だけど妻が望む九州行きは断固反対だからストライキして家を空け、妻が仕事と家庭とのバランスで葛藤して思いつめても放置、びしょぬれの妻に「やっぱり大好き」と言わせて初めて優しく「俺もだよ」 #あさが来た
こんなひどい男を「だってそんなこの人が好きなんだもん!」とあさが言うのは自由だしそれが恋ってもんで、本人たち的にそれ確かめ合って一件落着するのはいいけど、そーゆー2人を『ごちそうさん』や『マッサン』では「割れ鍋に綴じ蓋夫婦」と描いてたし視聴者側もそう受け止めてたよね。#あさが来た
私は作り手は今作も、「割れ鍋に綴じ蓋(だけど魅力的な)夫婦」として描いてると思って見てるんだが、新次郎の至らなさ(今後いつか描かれる)があまりにも目をつぶられすぎてて、作り手と受け手のキャッチボールがうまくいってないように思えてしまう。人気だからそれでもいいのか #あさが来た
炭鉱やりたいあさと、妾になりたい美和。同じく自分の欲望に忠実でも、「前者はビジネスだからOK、後者は人様の家庭に割り込む行為だからNG(だから妾を反故にされた美和は同情に値しない)」てツイも見たが、当時の妾はそういうもんじゃないって説明に昨日は喝采してたやん?と #あさが来た
「魅力的な割れ鍋に綴じ蓋夫婦」って、「各人はマイナスとマイナスだけどかけ合わせたらプラスになるよね」ってことで、変わり者同士の夫婦だから成し遂げられたのが #あさが来た のサクセスストーリーだと思うが、なんか可愛らしい子とかっこいくて優しい男のナイスカップルみたく捉えられてるなと
でもやっぱり求められるのは可愛らしい子とかっこいくて優しい男のナイスカップルな話なんだよね、とめ以子や西門さんの割れ鍋に綴じ蓋夫婦が(それぞれでも、カップルとしても)けっこう叩かれてたのも思い出して納得… #ごちそうさん #あさが来た
そんな中、はつが「炭鉱のマッチョ男子」みたく下世話な話に通じて自分でも口にするようになったのには「おおっ」と思った。ちゃんと「キャラ(しかもヒロインの片割れ)の変化」を描いてく部分もあるんだな、と。お母ちゃんになって野菜売って暮らすはつの、納得の変化だった #あさが来た
そうなんだよね、なんかあさが一人で悩んで一人で思いつめてなあ。新次郎さん、そのこと気づいてたくせに・・・。正吉さんも、なあ >RT
エイスケさんくらいのクズ(じゃないけど)だったらいっそ清々しくて好きになれるんだけど、新次郎はどうも綺麗に脱色されてるんだよなー。お話からも正面から向き合わせてもらえないみたいな感じする。
そう、それなんだよね私が彼を見て「八重の桜」の尚之助を思い出すのは >RT 綺麗に脱色、話に正面から向き合わせてもらってない、だけど「かっこいい」「優しい」「色気ある」と視聴者女性には有無を言わさぬ大人気
妻ほっぽって遊び歩いて恋愛アウトソーシング気味だけど妻に妾を囲えと言われると拗ねる夫と、夫婦の寝室に仕事道具放り出してムード破壊するけど夫が恋する相手は自分でいてほしい妻。これまた見事なお互い様で、中途半端に巻き込まれかけた美和さんだけが不憫な展開でした。 #あさが来た
色っぽいお師匠と恋愛気分は堪能しつつ本命妻(女傑)の俺の前でだけのデレも味わうのが男のロマンなら、外ではできる男たち相手に切った張ったしてるけど夫の前でだけ私は乙女に戻れるっていうのは女のロマンで、ロマンの需要と供給の一致を見た気分でなかなか感心した。 #あさが来た
こはろさんの切れ味よ
しばらく離れ離れだから視聴者に「イチャイチャ貯金」させてくれる、本日も甘くて甘い #あさが来た であった。自分は淋しがって悩んでる妻を年単位で放って夜遊びしといて、妻の不在を淋しがる権利あるかなこの人、って思うけど「わて泣かしたらあかんで」が肯定されてて視聴者が新次郎に恋してる
お師匠さんが「仕事やめる気はない」と妾話を断るのも、よのさんが妾とらせるのをあきらめてないのも、うまい幕引き。ふゆさんがお妾さん候補になる話はまだ引っ張られてると思うんだけどどうかな。中の人13才だから無理かな。でも #あさが来た 仕様で反感買わない着地になるだろうから…
というわけで、今週はRT多めでお伝えしました。
なんだかんだ、すごく上手なスイーツ朝ドラなんだな、ってことがわかりました、はい。
てか、大河界隈では「スイーツ大河」って揶揄ニュアンスを含んだ語彙としてスタンダードになってるけど(その最高峰はもちろん『篤姫』)、朝ドラに関しては「スイーツ」って標準装備でおかしくないんだよね、きっと。きゅんきゅんしたいがために見る人のための枠で何らおかしくないんだよね。私はカーネーションとかごちそうさんとかまれみたいに、作風や完成度はともかくヒリヒリする感じが好きなんだけど、それは趣味の問題なんだよね、うん。