葉月の十四 / 人吉・球泉洞

●8月某日: 家族で爆睡。起きて、部屋の露天風呂。こちらもとても綺麗。かたつむりがいる。浸かっていると、夫に起こされた裸ん坊の子どもが「おはよー」と言ってニコニコと入ってきた。かわゆ。朝食、小鉢の数w 焼酎かすを資料にしているという卵の殻がすっごく薄くて軽く事故りましたが、いやーほんとに美味しかったです。旅館の朝ごはんって食べすぎますよね。夫とサクは展望のいい大浴場へ、私は手軽に部屋の露天にもう一度入る。

チェックアウトしてまずは人吉城へ。しょっぱなから圧倒、これが本物の武者返しか!! 


その石垣の裏手には几帳面に並んだ礎石。木段や石段をがんばって上がっていくと、三の丸跡から人吉の城下町が一望できた。うーん、お殿様・・・いや三の丸だから、お部屋様くらいになった気分といったところか。球磨川が外堀になっていたのがよくわかる。建物はひとつもないのだけれど、石垣がかなり残っているのと、だんだんに上がって行っているので曲輪の感じがよくわかる、面白い城跡。そして建物もないのにとてもよく整備されている。本丸跡まで上がっていきたかったけど、三の丸まででもかなり子どもは(夫もか笑)がんばった様子だったので、ここまで。


雨の予報はどこへやら、晴れ渡っていてものすごい蒸し暑さだし。汗が噴き出してくるが、青空の下、緑と石垣の中でかく汗、気持ちいい。レンタカーで嵐のアルバムを聞きながら球泉洞へ。打って変わって、鍾乳洞の中は寒い! 一般コース30分、というのを選んで入ったのだけど、どうしてどうして、これが本格的。歴史というか、地球の記憶ですよね。これができるまでに費やした時間を考えると気が遠くなる・・・と思いつつも遠くなるほどの余裕はなく、順路をひたすら歩く。薄暗いし、通路は狭く、ほかの人もあまりいないので、サク、怖がるが、怖がりつつもがんばって歩ききったところに5歳の頼もしさを感じた。一年前の旅行では、ひとけの少ない道などほんのちょっとでも頑として行こうとしなかったものである。出口が近づいてくるのを体感すると、明らかにホッとしたようにはしゃぎ始める姿もかわいい。大冒険の打ち上げにソフトクリームを買ってやる。人吉中心部に戻って、青井阿蘇神社。桃山時代に建てられた楼門が有名。


やはり司馬の『街道をゆく』によると

この楼門を仰いで感動させられるのは、豊臣期という統一時代にはあるいは僻地というものが存在しなかったのではないかということである。
「青井大明神」という額を高くかかげたこの楼門は、京都あたりに残っている桃山風の建造物(西本願寺の唐門など)よりもさらに桃山ぶりのエッセンスを感じさせる花柳と豪宕さをもっているのである。人吉盆地という、下界との交通を遮断しているかのごとき地形が相良氏を永く守ってきたように画一的な文化もこの地には入りにくいように一見思われるのだが、ところが桃山の芸術的気分や様式はこの天嶮をも苦もなく排し、むしろじかにこの地に入っていたことがこの青井神社の楼門をみてもわかる。


とある。確かに絢爛で見ごたえある。駅に誇らかに掲げてあったように、人吉は豊かな隠れ里だったのだろう。しかし古いものばかりを見せられる子どもが、さすがにむずがり始めてしまった・・・

ということで、駅のそばに開業したばかりのMOZOKA鉄道ミュージアムで展示やミニ鉄道を楽しんで、帰途へ。

帰りは熊本までSL人吉で行く。これがあるから人吉に人が来る!!って部分も大きい。1日1往復しかしないし、写真を撮るにも順番に並ぶんである。もくもくと黒い煙があがり本物の汽笛が鳴って出発。雰囲気ある! コンパートメントの席をとっていたのでゆったりと駅弁。こないだ「マツコの知らない世界」にも出ていたくり弁当と、鮎ずしを3人で分けっこ。サクが鮎ずしまで食べたことにびびった。きょ、競合分野が広がっていく・・・。

SLは行きの九州横断特急よりものんびりで、今度は熊本まで2時間半の旅。サクがもつかどうか、ここが一番心配だったが、ほとんど杞憂だった。もう一人前に鉄道の旅を楽しめる。330mlのクラフトビールを、夫と2人で2本。列車で飲むおビールって美味しいですね。熊本で新幹線「さくら」に乗り換え雨の博多へ帰る。