『新・戦争論』

 

 

その思想については毀誉褒貶さまざまだろうが、とりあえず当代日本のインテリジェンスであることは間違いない2人、池上彰佐藤優が対談する「世界の中の日本」。帯には、

イスラム国の正体」「分裂する中国」から「岐路に立つ日本」までを
宗教、民族、歴史から読み解く

とある。

読みながら何度も何度も「私って、なんにも知らないんだなあ…」と思わされた。アラブ情勢、ウクライナウイグルの問題はもちろん、“日本人にとって外国と言えば”なアメリカのことも、地理的に近い半島情勢や中国のことも、本当に知らないことだらけ。

世界史に疎いところから端を発している無知だなーというのも再確認 (日本史は無駄に詳しかったりするんだけど世界史・特に非アジア史はサッパリなのよあたくし。。。)。

帯のフレーズに偽りはなく、現代のバックグラウンドには必ず「宗教、民族、歴史」があり、そこを知らなければ現代を理解するのは難しい。

新書だから一般読者に読みやすく、かつ理論的に書いてあって、もともと知らないからこそ何でも興味深く読めるんだけど、これを1回読んで、内容をするっと飲み込めるかといったら、かなり怪しい。やはり、「宗教」「民族」「歴史」の基本知識が自分には欠如してるから。

やっぱり知識と教養だよなあ、と思う反面、「その道のりは遠いな~」とも思う。ちょっと手に余る。

だけど、自分ではドメスティックに暮らしているつもりでも、あんな政策も、こんな政策だって、否応なく国際情勢の中で進められていくもので、私たちは「有権者」という形で政治にかかわっていかなければならない。棄権すること、無関心であることだって、「無関心であるという政治的スタンス」でしかないわけで。そもそも、石油だって輸入してるし、PCやスマホやらにも、なんらか、外国の鉱石とかレアメタルとか入ってるわけで。

やっぱり、「知らないこと」「わからないこと」を排除して「シンプルに生きてます♪」って言う人間にはなりたくないしね。「戦争反対」というお題目だけ唱えてたって無力だとも思うしね。出来る範囲でコツコツやっていくしかないんだな。

第8章、

「今の日本は、民主主義の危機ではなく、自由主義の危機なのです。」

「日本は、軍事大国にならないというのであれば、その分、インテリジェンス機関を作って、きちんと機能させなければなりません」

それに続く最終章、

ロシアがクリミア半島の権益を守りたいのも、中国が南シナ海からインド洋まで進出しようとするのも、ISが東はインド西はスペインまで取り戻すと言うのも、それぞれ旧ソ連・明の大航海時代ムガール帝国の栄光を取り戻したい、という無意識の意識がある。

現代は、それぞれの国にとっての「過去の栄光を再び求める動き」が剥き出しに出てきているのではないか。別の言い方をすると「未来としての過去」。共時的なモデル、つまり今の時代に良いモデルがない。(かつては共産主義自由民主主義が共時的モデルだった。)


人は未来を想像するのは難しいから、過去にモデルを求める。過去そのままではなく、それを現代に引きつけて解釈して、別のものに変質させていく。私たちはそういう時代を生きている。

だから、通時性においては、歴史をあらためてよく勉強すること、共時性においては、国際情勢を知ることが必要。
(エミ抄訳)


あたりを読むにつけ、つくづく、そう思う。ちなみに、佐藤優

「今後、第三次世界大戦は起こるのか? 起こるならどんな形の戦争が考えられるか?」という問いかけに対しては、「そういうことはあってはならない」という立場で、私は全力を尽くしたい。

と、はっきり書いています。


あと、これだけ古今東西に通じている佐藤が、安倍総理集団的自衛権にこだわるのを、中国やアメリカとの関係性で語るよりも「祖父(岸信介)への思いだ」と言及しているのが「へぇー」ってなもんだったが、その後に、


集団的自衛権、個別的自衛権の前提となる脅威の対象は、主権国家もしくは交戦団体です。しかし、イスラム国(IS)やアルカイダはこういうカテゴリーにうまく当てはまらない。それから、サイバー空間の問題もある。

誰でもわかるように、21世紀の戦争においては、「個別的自衛権」と「集団的自衛権」を区別して対応するのは、そもそも無理なのです。集団的自衛権と個別的自衛権の神学論争はやめて、単に「自衛権」という形で国家安全保障基本法を組み立てればよい。そのとき、「侵略戦争は絶対やらない」として、憲法九条を、パリ不戦条約のようなものにしていく」(エミ抄訳)

のくだりを読んで、なるほどなーと思った。

確かに、個別だの集団だのの定義にこだわっているのは国内だけの話で、インド洋での石油供給やイラクへの自衛隊派遣も、国外ではすでに「同盟国と共に戦っている」行為と解釈されて何ら不思議じゃない。憲法九条と同様、国内でうじゃうじゃ発展性のない議論をすることが不毛なことっていろいろあるんだろうな。