『花燃ゆ』 29話 「女たちの園」

わたし本日、映画『海街diary』を見てきて胸がいっぱいなんですけどね。「あー、花燃ゆの感想書いてなかったなー」と帰り道に思いだして(思い出してしまって 苦笑)、「吉田松陰の妹の人生も、ちゃんとした脚本で見たかったなー」ってふと思った。

歴史的に見たら何事もなしてない人だけど、その人は確実に存在したわけですよね。幕末の長州に。松陰の妹で久坂の妻で、兄や夫を見送ったあと、奥御殿の奉公に入ったのは史実なんですよね。

そういうのを、ちゃんとした脚本で見てみたかったなあ。どういう気持ちで奥に上がったのか。激動の幕末長州の奥御殿とはどんなところで、女たちはどんな暮らしをしていたのか。

ちゃんとした脚本で、というのは、 「時代」と「地域」との精密な知識をもとに、想像力をはたらかせて人物や場面を創造してくれる脚本、って意味です。そうやって、文という一人の女の一生を描くことは、できたはずなのです。本当の創作家ならば。

藩主と世子がそろって座って、藩主の正室と世子の正室が皮肉の応酬をする「総触れ」とか、ペーペーの新人がリストラ請負人をつとめるとか、藩主が正室を「都美姫」と呼ぶとか、ないよなーって思う。あの非常時に「お世継ぎ、お世継ぎ」って、ほんとにそうだったのかな? 江戸時代のお殿様は養子だって全然珍しくないし、敬親も元徳も養子だよね。だからこそ今度は実子を、ってのはわからんでもないけど(現状の長州藩って養子の口にも不自由しそうだし)、あんな典型的な嫁姑・・・。

だいたい、史実の年齢度外視のキャスティングしてるから、そうせい候&都美姫が何歳なのか、世子の元徳が何歳なのか、そして銀姫が何歳で、2人は結婚何年なのかもよくわからん。ていうかそもそも、今、文ちゃんが何歳なのかもわからんけど。お世継ぎがないことを気に病んでるようだけど、夫婦仲がどうなのか、側室が今いるのかどうかとかもまったく描かれないから、元徳くんが種馬の役割しか背負っていない。だいたい元徳くんと高杉の関係という萌え案件をすっ飛ばす、センスのない製作陣・・・。

そりゃ、白石加代子を呼んでくれば、彼女自身の存在感によって、それなりのレベルの説得力は生まれるけどさあ。脚本自体がチャチだから、どうしようもないんだよね。

「女のいくさは美しくなくてはー。打掛じゃー」とか「誰か賭けをせぬか、この女がいつ泣き出すか」とか、底意地の悪いバカ女かと思われた銀姫が、文のいう【至誠】の一言で豹変して、落ち着き払った声で理路整然と自分の侍女に暇を出すことを言いだしたりしてさ。人物造形がめちゃめちゃなんだよね。

文ちゃんは文ちゃんで、孟子やら何やら、難しい本をいろいろ読んで、何でも知りたがりな割に、「山口を破却して萩に戻る理由」にはまったく頭が働かない。深窓の姫君生まれで頭パッパラパーかと思われた銀姫はちゃんとわかってる。何なのよね、まったく。てか、萩に戻るのは幕府に恭順するため、みたいなことをサラッと言ってたけど、そんなあっさり説明じゃわかんないでしょ、ふつうのお茶の間には。分からせる必要ないと思ってるんだよね。

周布政之助切腹は安っぽい演出。井上聞多の遭難は回想(しかも鎖鎌みたいな謎の凶器でやられてたw)。高杉晋作の出奔はセンチメンタル風味。背景の説明はゼロに近い。必要ないと思ってるんだよね。「そーゆーとこは視聴者は求めてないから」「歴史を描くだけが大河ドラマじゃないから」。はいはい。そうやって視聴者をナメくさってる結果はちゃんと出てるけどね。

総取締・園山さまの言葉をオウム返しにしたり、「それは・・・・」的に口ごもり、頭をふらふら、目を左右に泳がせたり、「誇りとは何なのか教えてください!」とか、視聴者についていけない食いつき方をしたり、文ちゃん謎すぎる、そして演技が現代劇っぽすぎる。

周布様の死を知らせに来て、「くじけてはいけません」と励まして帰る優香のほうがよっぽど好感のもてるキャラ&演技になってる。小田村は相変わらず、具体策&功績は1個もなし。ただし「倒幕できるかも」みたいな未来人的発言はポロリ。やはり奴は平成からタイムスリップしてきてる。全身に瀕死の怪我を負った井上聞多のオペをしたのは大方こいつだろう。