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『天皇の料理番』 第10話

ドラマ

はぁー、とんでもない力技を使ってくるドラマですね(涙を拭きながら)。関東大震災で親子/夫婦の絆・・・これを堂々とやってのけるのは何気にハードル高いですよ。ほんと、横綱相撲をとりにきますね。

即位の礼の晩餐という一世一代のようなハレ仕事を終えたあと、「ケ」の日々になっても、励んでいる篤蔵の様子が活写される。「お上」にあたたかいものを供するための四苦八苦。

そんな流れで、大正天皇の皇后、節子が登場! 和久井映見、このキャスティング、いいね!です。病身の大正天皇を支えた賢婦人ぶりはもちろん、幼少期は「九条の黒姫」とも呼ばれたほどお転婆だったという、健康で快活、親しみ深い人物像をちゃんと出してきてます。女官長っぽいいとうかずえもグッド。篤蔵がにじり寄ってくると、血相を変えて手で追い払おうとしたりね。

で、宮中の勤め人たちにもめったなことじゃ姿を見せない雲の上の「お上」を、皇后の献身(それもとびきりミニマムな描写)を通して、「病気の兄やん」と重ね、想像させる。巧みですよね。

辰吉と仕事帰りに一杯やる仲になってるのに微笑。この2人、たぶん、基本的にウマが合うんだよね。辰吉の心の中には今も悔いがあり、それを「すごいタイミングの悪さで言い出して失敗する」パターンがかぶさってきたことにドキッとする。これ将来、手に汗握る展開くるで・・・。

 

励んでいる篤蔵はしかし、子どもたちには勤め先を隠しています。そこには篤蔵なりの(かつての篤蔵からすると考えられないくらい志高く思慮深い 笑)信念があるのですが、そりゃ子どもはいい気持ちしませんな。隠し事されるってイヤなもんですよ。

と、完全に子どもに感情を寄せて見てました。面白いのが、篤蔵も俊子も、東京暮らしが長くなってきて、だいぶ標準語になってきてる。しかも完全に標準語にはなりきれてない、その塩梅が面白い。ここまで9話見てきた視聴者としては、彼らの標準語に違和感があって、なんだか違う人になったような感じがする。でもそこに流れた月日を感じる、つまり年を取ったり関係性が変化したりしたことが何となく沁みるんですよね。

話が逸れた。そうやって父となった篤蔵を見てると、これがもう、見事なまでにダメ父なんですよね。「一太郎くん、君は料理人という仕事を恥ずかしいと思ってるのかな?」とかなんとか、“料理人は決してロクデナシじゃないんだぞ”と示したいがために、とってつけたような上品げな言葉で息子に話しかけるところとか、ほんとダメで。さすが篤蔵、と思わされます(笑)。息子とも娘とも、常日頃のコミュニケーションがなくて全く心が通っていない様子が、ありあり。

(それでも、俊子が「一太郎のことなんですけど」と持ち掛けると、すぐに「メシは食ったか」と問う姿が「親」なんだよね~。何はなくとも食うものを食ったかどうか、まずそこだもんね。親って)

父に不信を感じずにいられない長男は、ついに「たかが料理人」発言をしてしまうんだけど、ここでの佐藤健の憤怒の表情が見事。息子を庇って謝る妻に対して「しっかりしてくれよ!」なんて捨て台詞を書いた脚本といい、家長という強権でもって怒鳴っているようで、その実、家庭から逃げるように出ていく演出&演技といい、見事です。主人公を憎たらしくてダメな父親として、これでもかってぐらいに描くのは、さすが森下脚本。佐藤健もよく応えている。

そして来るべくして関東大震災の日が来てしまうわけで、ここから、「公」と「私」との葛藤の描き方、短い時間で本当によくがんばったと思う。「心」と「行動」とが引き裂かれているんだよね。無残な被災の様子を見て最初に思い浮かぶのは、もちろん家族。けれど次に、篤蔵の仕事を「お国のために励む」ものとして称賛した病身の兄と、「篤蔵さんより長生きします」と、覚悟の滲んだ妻の言葉を思い出す。それで篤蔵は炊き出しを決める。

ここで、おそらく前代未聞の事態に、前回、敵役ポジションだった「Mr.しきたり」な宮前が力強く後押し。こういうところに脚本の「愛情深さ」を感じて視聴者は愛着を覚えちゃうのですよねw 迅速に指示しながら、「中毒怖いんで火はしっかり通して!」という一言まで入れる、そういうディテールがまた、物語を深めます。

華族会館で、パリのオテル・リッツで、そして宮中大膳で鍛えたプロフェッショナルな腕が、傷ついた多くの人々を助けるために動いている。それは至高の仕事、しかしもちろん、至高の仕事中にも何度も家族の顔がよぎる。信じているけれど大丈夫だろうか、ケンカ別れをしたあのときが最後になってしまわないだろうか、それでも今は信じるしかない。平静を心がけて傷ついた人々に雑炊をよそいながら、すす汚れ怪我をしている人々の姿、おびただしい数に、その、あまりに非日常な、異常な光景に、どんどん心拍数が上がっていく。もう、家族が心配で心配でしょうがない・・・そんな演技からも緊迫した心境が伝わってくるのだが、そこで一太郎を見つけた表情! この瞬間、夫と同時に焼酎のグラスを手に取りました。喉にこみあげてきたものを飲み込むために焼酎が必要だったのです。夫もそれに近いもんがあったんじゃなかろーか? 

一太郎を見つけて目を疑い、確信して、抱きしめるたまらない表情! 妻や他の子たちの無事をたずねて、内心不安でたまらなくて、無事を確認したときの安堵の表情・・・佐藤健のすべてにやられた。この人、子どもいないよね。まだ20代だよね。親だったよ、あの演技・・・。

で、「お母さん、あっちで産婆してます」っていうセリフね(笑)。これを書ける脚本の自信ね。この普通のセリフで視聴者がどんな気持ちになるか、普通のセリフだからこそ余計胸にくるってこと、ちゃんとわかってるんだよね。子どもを連れて逃げのびるだけじゃなく、俊子にもプロの仕事をさせるところが、心憎いよねー。わかってらっしゃるよ、女史は。

そして翌日、子どもたちそれぞれに炊き出しの雑炊をよそい手を握り、3人目が俊子で、夫婦が再会する。「俊子、ありがとうな」万感を込めて、夫は感謝を素直に言葉にする 。たった一言で。そしてそのとき妻の顔は正面から見られない。けれど妻は至福の表情で頷く。・・・・このドラマは、時代モノの夫婦の姿をちゃんと描いてるなあ!!!!!(大河方面を見ながら

地震が起きてからの15分ぐらい、この夫婦再会までの怒涛の展開、すごかった。脚本もすごかったけど、やはり主演のテンションに最大の敬意を表したい。非常時にのテンションで芝居をするシーン、合計してけっこう長かったからね、力量が要ったと思う。

俊子の美しさも特筆すべき回だった。日本人形のようなこぢんまりした顔が、輝いていた。肌から澄んだオーラが、黒目からきらきらした光が出てた。愛する夫と子どもたちがいて、家を切りまわしてる女の輝かしい優しさと強さが全編に流れていた。そんで今度は俊子が倒れるのかー。そっかー。そうだよなあ・・・