『天皇の料理番』 7話・8話

 

長年、大河ヲタクをやってますが、TBS日曜劇場がこうまで真正面から大河及び朝ドラに挑んで(や、先方はそんなつもりないかもしれませんが)圧勝しているさまを見ると、悔しいとか淋しいとかより、むしろ気持ちいいですね。腰抜け大河ばかりを見せられてる身としては。

7話、8話のパリ編。もっともっと時間をかけて、せめてあと2話くらい見たかったけど、それでも濃密でブラボォでした。



みなさん見ましたでしょ。あの粟野慎一郎。GOです。郷ひろみです。

通常、芝居を生業としない異業界から「飛び道具」なキャスティングを入れてくるのも大河の常套手段です。『秀吉』における頼近美津子、『風林火山』におけるGackt、『平清盛』における松田聖子ですね。『太平記』にて、北畠顕家を男装したゴクミが演じたのもその一種かもしれません。

この人たちには必ずしも「演技のうまさ」ではなく、「スパイス的」な楽しみを求められるものなんですが、だからといって話題性が先行するだけで、浮きあがって作品世界を壊してしまっては本末転倒。そこらへん、作り手の技量が問われるところです。



今作の粟野さん。どうみても郷ひろみなのに、立派に、明治の駐在フランス大使でしたよね。広くて天井の高い、豪奢な執務室のセットもすばらしく(ほんとにフランスの建物で撮影したのかな?)、それがちゃんと似合うジェントルマンだった。宇佐美とはまた違った品の良さでね。

西欧の上流社会、外交畑に精通している雰囲気。一介の料理人である篤蔵に特別な思い入れはないけれども、基本的に親切で誠実な人柄で、なおかつ、国際的にはまだまだ後進国と思われていた日本を押し上げていく手腕も持っていたことがうかがえる。相手のふとした隙に飛び込んで口八丁で篤蔵に「日本人初」組合員の資格を与えたところなんて、気持ち良かったですよね。

(ちなみに、史実の粟野さん=栗野慎一郎は、福岡市中央区出身、藩校・修猷館の出でーす。)

それに、フランソワーズです。演技ができて歌も歌えて日本人のハートをつかむ外国人女優はシャーロット(エリー@「マッサン」)だけじゃないわよ、とばかりに、うまい人を探してきた! ちょっとペシャげたような、フランスでは本流じゃないよねって感じのかわいさ。篤蔵と彼女の「ウィー!」「ハイー!」の応酬でノックアウトされたのは私だけじゃないだろう。次の週になったら、篤蔵はフランス語が、彼女は日本語がペラペラになってやがる(笑)。こういうの、楽しいですよね。

ザリガニの早食い大会に出場し、お金がないからと母親の形見を預けストッキングまで脱ごうとした鮮烈な登場シーンがあるから、いざ篤蔵の帰国となったときにお母さんの思い出話をしても視聴者もスッと受け容れられる。彼女の孤独や貧しさを夢が支えてきたこと、それが異国で奮闘する篤蔵と響き合ったこと、その恋と共鳴が「あなたがいてくれるから、失敗しても大丈夫だと思いきりチャレンジできた」とチャンスをもたらしたこと、けれど、それによって、実現不可能かと思われていた夢への情熱が再燃して篤蔵と別れなければならなかったこと・・・このスムースで切ない流れ。

「ごめんね。ちょっと嘘かも。」「本当は、あきらめかけていたの」「でも、昨日歌って、欲が出たの」。自分の心と、そして相手とまじめに向かい合う、うんといい脚本! 

てか、この場面の篤蔵の甘やかな美貌は何ですか!! 日本編で芋っぽく見えていたのはやっぱりメイク効果だったのねと判明した、パリに来てからの篤蔵の容貌の洗練っぷり、「佐藤健」っぷりだったんですが、フランソワーズと別れ話をするこの場面・・・! 

「どういう風の吹き回し?」っていう一言目からして、あの篤蔵には似つかわしくない都会的なセリフなんだけど、それでドキッとするんですよね、尋常じゃないシーンが始まるよ、って。で、フランソワーズの話を聞いて、「わかったとしか言えん。」ですよ。あの、俊子に別れ話を切り出されたときは悪鬼のような表情で罵詈雑言をぶちまけ傘をぶっ壊した篤蔵が、表情も変えず、静かに、「わかったとしか言えん」ですよ。この、“月日の流れた”感・・・!



そして新太郎ね。画家としては鳴かず飛ばずで、今もひょうひょうとしてるんだけど、日本にいるときとは違った諦念を漂わせてて。新太郎のキャラって、日本編ではちょっと作りすぎっていうか、リアリティないなって感じてたけど、新太郎のキャラだから、パリで篤蔵・フランソワーズという恋人と同居してても波風立たないのが自然に思えたんだろうな。

すっかり篤蔵をパトロンにしてて、「日本一より世界一」なんて屁理屈で帰国を思いとどまらせようとするけど、いざ彼が帰るとなると、潔く先に出て行って。恋人たちの絵を描いて、「そのうち1枚300円になるから、後生大事に持っててくんな」。このセリフもすごく良くてじーんとしたんだけど、またそのあとがね!!

ちなみに、パリっ子たちは、「日本人が描いたセーヌ川の風景」になんて見向きもしないわけで、彼は、最終的に花魁姿の茅野の絵を描いて、多少なりとも売れるんじゃないかな? それぐらいベタな着地でも、けっこう感動できる自信ある。すでに感情移入しまくってるからして。

閑話休題、新太郎の台詞ですよ。

「おいら日本人だから、最高の料理人は天皇陛下にお渡ししなきゃなんないからさ!」

ちょっと鳥肌立つようなカタルシス! 冒頭で、下々の人間までが明治天皇崩御に悲嘆する様子を描き、フランソワーズには「ナポレオン(皇帝)のような、教皇のような・・・」と絶妙に表現させての、このクライマックスですよ。

現人神なんて現代人には理解しがたい感覚ですよ、でも当時は、天皇を神聖視し、「家制度」の究極の頂点として慈父のように慕う気持ちもあったということ。だから、充実したパリ生活との別れとか、パトロンを手放すとか、恋を失うとかいうのはつらいけれども、そういう「私」を凌駕して余りあるほど、本人にも周りにも誇らしく栄誉な気持ちを与えるのが「天皇の料理番」なのだと、それを見事に描きだしましたよね。

8話の冒頭、明治天皇の死から、ラスト近くの新太郎のセリフまで、もう、愚直なほどにド直球な流れなんですけれども、その正々堂々さが、すがすがしいです。小細工も外連も必要ない、実力があるからこそできる横綱相撲です。いいかげん、大河は見習ったらどーなんだ(くどくど

新太郎が走り去った後、セーヌ川に目をやる篤蔵の横顔、なんともいえない表情でした。職業人として一人前になったというだけではない、哀愁を知る大人になったんだと思わせました。佐藤健、マジで成長しとるわ!! 今後が楽しみだわ!!

それでいて、帰郷するや、いの一番に兄やんの離れに走り込むとことかホントかわいくてね。



パリでの篤蔵の数年間は、しんどいこともあったけど、開拓者として異国に乗り込み、プロとして大人の男として自信を得られた充実したものだった。それと同じだけの時間を、兄やんは狭い離れで、床について過ごしていたんだよね。

もはや治癒の見込みも薄れる日々の中、篤蔵から送られてくるエアメールだけが、彼に前向きな想像の翼を広げさせていたんだろう。でも同時に、「なぜ “のく蔵” がはばたいていて、俺が床なんだ」という悔しさからも逃れ得なかっただろう、そんなことを如実に想像させる鈴木亮平のたたずまい。

兄やんが成功者・篤蔵の「影」であるからして、新太郎や俊子には、別の役割が与えられる・・・悲劇ではなく光あるラストがあると思うんだけどなあ。俊子どーした!?

あ、オテル・リッツのグランシェフさんの、歌いながらのメニュー披露もすごかったです。あれはホントに、ああいう人だったと伝わっているのかな? わからないけど、あれだけの出番で、「修行また修行」みたいな宇佐美さんとは全く違ったタイプの、日本ではお目にかかれない天才肌・芸術家肌の偉大な料理人だということがビンビン伝わってきました。