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『天皇の料理番』 第6話

ドラマ

ああー、すばらしいです。涙です。涙してしまった。篤蔵がパリに出発するまでの6話ですが。

まずね、高岡早紀の使い道を分かってくれてありがとうですよ。これで『軍師官兵衛』で不完全燃焼すぎたお紺の方が成仏できた。ったく、なんで大河じゃなくてTBSで喝采せにゃならんのかい。ひとえに大河が悪い。ぶつぶつ。

ごらんのとおり、篤蔵とお梅は不貞をはたらいたわけですが、それが物語を沈滞・停滞させてない。むしろ推進力になってます。これですよ、これー! わかるかなー?!(大河方面に向かって)

お梅は篤蔵のひとりよがりを指摘する。カレーのことも、あっちのことも(笑)。前のカレーに戻すよう進言するくだりの高岡早紀、すごくよかった。間近で見て、篤蔵のがんばりはよくわかってる、でも言うべきことを言わなきゃいけない。「客が喜ばないがんばりじゃ意味ないってんだよ!」という強い言葉、強い口調は、その篤蔵の「本気・がんばり」に対峙するためのものだと思った。それを一気呵成に言えるのがお梅の強さで、「かわいそうじゃないか」と言うのが亭主の優しさであり、その亭主の頭を思いきりはたくとこまで含めて、「いい夫婦」に見せてる。

篤蔵はお梅から「大人の女の強さ」(・・・と欲望(笑))を、亭主から「大人の男の優しさ」を学んで、生かす。客の様子を観察し、それぞれに合わせたひと工夫をする篤蔵を、お梅と篤蔵が口々に「それでこそ華族会館だよっ!」と称賛するところがすばらしかった。自分たちと同じ「街場の食堂の働き手」として扱うのではなく、篤蔵は「華族会館でやってきた人間だから」これができるんだ、と見る。彼の誇りを理解し、守ってやることができる大人の姿。

今週もバンザイ軒には珍客が。街場に現れた宇佐美の強烈な存在感! ピりりとした緊張感を漂わせ、けれどどこまでも紳士然としている。当時、料理人の社会的地位はまだ低かったことが劇中何度も描写されているけど、宇佐美には「侵し難い誇り高さ」がある。ひとつの道を究めた人間が、人品も一級になることを体現している。

その宇佐美が入れる喝。「客に言い訳する料理人があるか。客をバカにする料理人は最低だ。なおかつ、客をバカにした料理を出すに至っては、もう言葉もない・・・」。宇佐美が篤蔵をとびきりかっていて、今でも「かい続けている」証左といえる、懇切丁寧な叱り。現に、華族会館に帰った彼は、辰吉に対して「あいつは自分の舌で客と勝負してた」。客層の違いによるウケの違い、それで葛藤し、今クサっている状態にあることばかりか、そして「篤蔵はこれで終わる料理人じゃない」ことまで宇佐美は理解している。

そして珍客その2(その3か。武田鉄矢も来たから)、篤蔵母からもたらされる通帳と、兄の手紙。泣いたー泣いたよ。

「幾千、幾万の人間がいる中で、とりたてて悪いこともせず、普通に生きてきた自分が病に倒れた不条理」を飲み込めないという兄。「自分は生臭い男」と自嘲するが、「この世に生まれて、職をなさず、家もなさず、何ひとつなさず死んでいく」まさに血を吐くような無念が視聴者の胸に突き刺さる。「このまま運命を呪って死にたくない、だからおまえに俺の金を託す、これは俺の生々しい欲望だ」。

パリに行きたくても行けない人間、チャンスに縁の無い人間がゴマンといる中で、ポンと300圓を手にした篤蔵の幸運。そこに、重たくて、けれど綺麗ごとではなく生々しい意味を持たせる。そして、母の言う「あんたは幸せな子やね」。幸運に恵まれチャンスをモノにする人間には、他の人間を踏み台にし、置き去りにしていく残酷さがある。同時に、「選ばれなかった人々、自分が犠牲にした人々」の思いを否応なく背負わされる負担もある。それらをすべてひっくるめて、「あんたは幸せな子やね。幸せな分、励まないかんね」と笑顔で励ます、母の愛。

不条理にみちた世の中で、誰もが前に進むしかない。本当は自分こそがパリに行きたい新太郎は、いつものスカした風情をかなぐり捨てて、大声で万歳を繰り返す。宇佐美は、命ともいえる牛刀を篤蔵に託す。「こいつにもパリを見せてやってくれ」ということは、パリ修行は宇佐美にすらかなわなかったってことだよね。辰吉は「あいつはうらやましすぎる」と唇をかみしめる。そして兄は篤蔵から届いたフランス語の手紙を眩しい太陽にかざし、笑う。うれしそうで、それでいてやっぱりとびきり切ない微笑み。

それぞれの思いを抱え、それぞれが前に進むしかない。待ち受けるものが遠からぬ死であってすら。

パリをのし歩く篤蔵の「どやっちゃー」に、視聴者もぐぐっと意気込むのである。