『有吉弘行のツイッターのフォロワーはなぜ300万人もいるのか』 てれびのスキマ

一時期のM-1なんかを見てると、それぞれの若手芸人が登場する前に、彼らの経歴や大会に臨む気概をまとめた「煽りVTR」を見せられることがあった。これが結構長いうえ、「スポ根」あるいは「人情話」の雰囲気で、辟易してたものだ。こちとら笑いたいから見てるのに、なんでその前にいちいち、おまいらの来し方で泣いたり感動したりせないかんのか? M-1の凋落って、あの煽りVTRの「めんどくささ」も理由のひとつなんじゃなかろーか。知らんけど。

今、芸人といえばテレビでの活動がメインだから、テレビに親しんでいる層には馴染み深い存在ではある。売れっ子ともなると、週に何度もその顔やしゃべりを見ることになるから、へたな友人よりよっぽど近しく感じたりして。でも、彼らの本質はやはり「芸人」であって、一般人とは決定的に異なる。だから、まだ知名度が低いからといって、根性論やお涙頂戴のように万人ウケを狙う方向でアピールすべきじゃないのだ。

ふつうの人間は芸人にはならない。芸に魅せられて、芸の才能があるってことは、どこかしら普通じゃない。そして、浮き草稼業の中でも、人を笑わせる=人に笑われる職業である以上、どこかに歪つなものを抱えてるのは当然だと思う。

その歪つさを、変に崇めるのでも、見下すのでもなく、愛と敬意を秘めつつ、淡々と炙り出していくのが著者「てれびのスキマ」さんの文章の特徴で、ネットからこういう人が表れたのは読み手にとって僥倖だと思う。あくまで冷静な筆致の中から滲む愛と敬意からは、スキマさんもまた、「芸にどうしようもなく惹かれる」という「どこかふつうでない」たちである自意識と、「けれど自分は芸人ではない」という慎みが感じられて、とても自然で、心地よい。

戸部田誠 名義で出した『タモリ学』と同じく、秘蔵資料や周囲へのインタビューなど、「この本のための」取材を行うのではなく、テレビ番組や雑誌、書籍など、すべて「すでに世間に出ているもの」からこれだけの評論を書いているところもすばらしい。テレビっ子のはしくれとして憧れるし、誇らしく思う。

序章では有吉弘行の経歴が紹介されてゆく。子ども時代からオール巨人の付き人へ、そして猿岩石でのヒッチハイク、その後の凋落など、お笑いファンには、どれもよく知られていて、特に目新しい事実はない。けれどその半生をたどった「てれびのスキマ」さんは、

よく猿岩石で大ブレイクして人気が凋落した有吉を「天国と地獄」と評されることが多い。だが、違う。(中略)
有吉と猿岩石に「天国」なんてなかった。ずっと違う種類の「地獄」ばかりを見ていたのだ。

と結論づける。その独自の論の切れ味と説得力たるや! ぜひ本文を読んで味わってほしい。

ところで、タイトルから、有吉についてだけの本だと思っていたので、章ごとに違う芸人が取り上げられているのにはちょっと面食らった。書籍タイトルの問いについて何か答えが提示されるわけではないとこも含めて、ちょっと意地悪された感じもあるんだけど、それも狙ってのことなのだろーか? 個人的に、ダウンタウンマツコ・デラックスの章は特に面白いと思ったけども。