『ボクらの時代』 蜷川幸雄×小栗旬×綾野剛
蜷川 「ルパン三世面白いの? 小栗「おもしろいですよ」 蜷川「マンガの実写化って全然クリエイティブじゃないと思うけどね」 小栗 「マンガ読んでるみたいな映画化だったら面白くないけど、それを超えられる瞬間があれば、そこにクリエイティブが生まれると思う」 すこぶるスマートなお答え。
エキストラ時代、1日の最初に領収証を書かされ、その日の交通費・ギャラと交換するのがなんとも嫌だったという綾野。しかしあるとき、「こうやって時間を買われたんだから何かを残さないといけない」と、その儀式をとても意義深く思うようになった。
・・・と、その綾野の話を聞いた蜷川 「2人は全然違うタイプの役者。小栗旬は綾野みたいに苦労してない、でも『恵まれた不幸』ってのがあるんだよ。それを自分でわかってるのが、いい。恵まれた自分じゃ満足できないとうじうじしたり屈折したり。いろんなものが見える俳優でありたいと思っている」
蜷川「だから、そういう感じが消えかけてきたら俺は怒る。普通になるな、って。前も言った、『サラリーマンみたいな顔になってきたな』って」 小栗「むっちゃくちゃ悔しかった」 蜷川「悔しがらせるのも演出家の仕事だから(笑) 基本的に、いい俳優には不幸でいてほしい」
蜷川 「小栗は、結婚して、幸せになるのはいいけど、役者としては別のところでハードルを作っていかなきゃいけないよ。何か欠落したところがあるから、それを仕事や、他者との熱いコミュニケーションで埋めていこうとするもの」
小栗 「昔(蜷川演出で主演した舞台)『カリギュラ』で、「本当の自由を獲得するためには永遠の孤独を完成させなきゃいけない」というセリフがあった。そのことをよく考える」
綾野「自分の部屋に物を置けない。たくさんの仕事をして幸せである意味みたされている。だから(自分の中に欠落を作ろうとして)部屋を空っぽにして、「ああ、早く明日の現場に行きたい」と活力にしているのかも」 小栗「本当に何もない。ほんとに仕事と睡眠だけなんだな、とうるうるしちゃった」
結婚生活の悩ましさについてしみじみと語る小栗と蜷川。小栗「なかなか大変ですよね」 蜷川「相手に向かって『○○に行っていい?一緒行く?』と、必ずそういう会話が出てくる」 小栗「うちの妻も演劇が好きなので、声をかけると、必ず「行く」と言う。だから最近だいたいいつも一緒に観劇・・・」
小栗「正直、この芝居はひとりで見たいなってのが時々ある。」 蜷川「でも、そこで一人で行くってのは、なかなか言えないんだよな」 小栗「いや、言えませんよ。俺なんか今までの人生があるから、一人で行くなんて言ったら、何かヨコシマなものを感じさせそうだし笑」 三人で爆笑
小栗「俺が彼女の人生に与えてきた責任があるので」 綾野「影響がね(笑)」 小栗「だから蜷川さんの舞台もホントは一人で行きたいけど夫婦で見に行く、ふたりで見に行くと蜷川さんに「なんだ、あいつ幸せにやってんだな」と思われそうで、それがまた癪に障る(笑)」
結婚生活はなかなか大変、と話す二人に綾野「俺なんか結婚できんのかなー」 小栗「絶対無理でしょ」 蜷川「無理だと思うよ。共同生活するタイプじゃない。感情の振れ幅が大きいでしょ」
蜷川「夫婦でいるってことは自分の感情をある程度我慢しなきゃいけないんだよ」 小栗「絶対できないよ、最近のおまえを見てると。最近の綾野剛には、いま、現実にいるのか、まだフィクションの世界にいるのかわからないときがある」
小栗「あれ?今日俺の知ってる剛じゃない、っていう日がある。そういう姿にはね、みんな、正直戸惑うことがあると思いますよ」 それは友だちだからこそ言える言葉って感じで、小栗旬ってほんと魅力的だなーと思った
蜷川「(綾野の喜怒哀楽に)女の人なんか付き合ってられない、っていうと思うよ。鬱陶しいと思う(笑)」
蜷川に向かって小栗、「ずっと演出の仕事してきて、いい俳優だなと思っても、その俳優にも自分の人生があって、人生、いろんなときがあるわけじゃないですか。それを、どういうふうに見てますか」 小栗、質問も深い
蜷川「まあ、結婚して幸せになってもいいけど、俺と仕事するときは最高の俳優でいてほしいってこと(笑)」 最後の蜷川からのメッセージはとても観念的で難しかったのだけれど「現実と、役者としての人生、ふたつの人生を生きるということ」
蜷川「寝て食べて働いて家族を養って、そういう生活から仕事に対する情熱をどうやってかきたてていくか、必死になってその核を探さなきゃいけない。小栗にもいつも言ってる、『継続することで突破していかなきゃいけない』と。これからの俳優にはそれを見事にやってみせてほしい」
いやあ、私ったら随分書き起こしまがいの連ツイしてたのね。
小栗旬に惚れ直した鼎談だった! 小栗といえば、まぁ女性関係が暴れん坊なイメージ(瀬戸内寂聴が彼の手相を見てなんというか知りたいところ。寂聴氏、EXILE ATSUSHIには一言目に「淫乱」と言い放ったのだ!)だけれども、これ見たら、隠しようもないクレバーさ。巨匠を相手に「電話するときはいまだに緊張する」と言葉では言いながらも、臆せず話すし質問するし(また、その質問の内容が良い!)、多忙で大変そうな綾野に対しても包み込むような友情を見せる。おしなべて、率直で、自然体。
これは彼の性質でもあるし、アイドル俳優としての絶頂期からの過渡期をもう何年も前に泳ぎ切ってきた経験値もあるんだろうな。もちろん、泳ぎ切れたこと自体が彼の才能ともいえる。40になっても50になっても良い俳優でいてくれるんだろうな、と思える役者、いい男!
蜷川幸雄はそんな小栗のことをすごくよく理解していて、すごく好きで期待しまくってるんだろうな、というのが丸わかりのトークだった。藤原竜也といい、自分のミューズについて語る蜷川の言葉が大好き。演出家というのは若手俳優ととどんどん年が離れていくもので、若い人の輝きを見つめ続け、愛せないとできない職業だなと思う。まだ短い付き合いだから綾野については小栗ほど突っ込んだ評価はしなかったけど、とりあえず「結婚向きじゃない」ってのは明言(笑)。誰も否やの無い評価である(笑)。
今の綾野剛は、とにかく「自分の役」と深く深く対峙して、「役」を、その仕事が終わっても「落とさず」、「背負い続けて」生きてる。そういうことを、ピース又吉との『スイッチインタビュー』で言ってた。なるほどと思った。一度やった役の人格、役の人生を自分の中に取り込んで、残したまま、生きてゆく。だから、「自分」がどんどん重く、大きくなっていくんだなあ、と。
又吉との対談でも今回の鼎談でも、とにかく、「自分、自分」って感じなんだけど、まあ、これだけ3年も4年も仕事漬けだったらそうなるだろうな、と思うし、もともと、「職人」的じゃなく、「芸術家」タイプの役者なんだろうとも思う。でも、そうやって「役」を自分に上乗せしていくスタイルって、ずーっと続けていったらどうなるんだろう? この先も、どんな仕事でもきっと一途に繊細にやっていくんだろうなと思うけど、こういう場所でのたたずまいって、何年か先、どうなってるんだろうなー。