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『軍師官兵衛』 第33話「傷だらけの魂」

詮無きこととは承知しつつも一言言わせてください。軍師を描く大河ドラマで、四国攻めを始め、数々の戦いがナレーションレベルまたは完全スルーで済まされて、時間をかけてやることがこれですか、と・・・!


いや、まあね。荒木村重劇場ほんとうの最終回と、官兵衛の出家、そして「茶々と豊臣家」を絡めた今回。なるほど、と思わんでもないのよね。

秀吉は猛スピードで関白になり三成を押し上げ茶々を囲い・・・って、かなり大胆に話を進めているのは、個人的にはアリだと思ってる。これまでいくつかの大河を見てきた人なら「あー、はいはい」って部分だし、たとえば小学生とかだったら、いろいろわかんない前提で自分にとって面白いとこをピックアップして見てればいいんだし。

おねに「三成をかわいがりすぎると清正や正則が妬む」と言わせたのは、説明セリフだけどなかなかうまいと思った。秀吉がどうしてそうも三成を厚遇するかというと、「賢くて使えるけど、賢すぎない」からだ、というこのドラマでの理由づけも明快である。官兵衛は賢すぎて怖いから、少しずつ遠ざけている。(ただし、『こと、戦となると官兵衛は天才的』という秀吉のセリフが裏付けられるほど戦での官兵衛の活躍が描かれていないわけだがw)

おねのセリフでは、嫉妬は最小限にさせて、「跡取りを作るのが一番大事だから、ひとりの側室に入れあげすぎるべきではない」というのも良い、当時の大名の妻としてのリアリティ。腹の中はどうであろうと、建前はこうであるべき。そのあとで、「私が産めていれば…」と夫の前でこぼすのは、秀吉とおねの夫婦なら当然アリだし、そこで「子がなくても天下一の女房だ」と持ち上げるのは、(視聴者の女性たちへの配慮が入っているとしても)秀吉なら、しゃらっとそういうことを言っておかしくないのだ。

ではなぜ、秀吉が茶々にそう入れあげるかというと、「自分にまったくなびこうとしないから」だと。つまり、口では「天下惣無事」とか言いながら、とにかく「今の自分に手に入らないものはないはず、欲しいものは何でも手に入れたい、逆らうものには容赦しない」、そういう「欲しがり屋の暴君」になってきているのだと。よくある、お市への恋心…とかははしょり、老いらくの恋心って面も抑えめで、秀吉個人の問題にしてきたのは、官兵衛主役の大河であることを考えるとスッキリしていて大変よい構図だと思う。

で、茶々と村重とを、「妻/父母を殺された相手(の部下)に囲われて生き恥をさらし続ける、乱世が生んだ化け物」という接点で結びつけた、と。とんでもないこじつけですが(笑)、従来、大河ドラマの創作ってこういうとこあるもんで、割と違和感なく見られた大河オタの自分がいます(笑)。ほんと、そういう意味で良くも悪くも昔っぽいっていうか、まあ、焼き直しレベルっていうか。

しかし、「戦のない世を」「乱世を終わらせる」が屋台骨のこのドラマなので(けっ)、「戦は化け物を生む」というアンチテーゼを示したかったんでしょうね。反面教師、荒木村重。その役割がこれから茶々に引き継がれていき、「戦が生んだ化け物」茶々に翻弄された豊臣家は、やがて滅びてゆく、そして官兵衛がのぞんだ平和な世=江戸時代が訪れる、と。うん、まあ、ちゃんと考えられた構図で、構図だけを見ると興味が湧くわけです。惚れた腫れたとか、信長の恨みとか、そういう情念方向で進まないのは歓迎すべきことでもある。

しかしその構図がドラマになってみると、「うーん?」って感じなのは、見てのとおりで(笑)、まずもって村重の何が「化け物」的なのか、と。妻子や家臣をおいて逃げたこと? そのうえ仇敵である権力者の庇護でおめおめと生きながらえていること? しかし、何より「自分の生命」を第一に考えること、死のうと思っても腹が減って食べてしまう、死にきれないというのは、むしろ人間の本能、剥き出しの本性じゃないかと思うんだけど。むしろ、妻子や一族のために勢いよく玉砕したり腹を切ったりするほうが異常なわけで、そういうのが異常だから「戦乱を終わらせよう」になるんじゃないの? 

なんかさ、「平和な世を作る」っていう至極現代的な価値観と、「一族より我が命を優先するだなんて、仇敵に囲われて生きるだなんてありえない、化け物的」っていう戦国的価値観とを、一緒くたに鍋にぶちこんでるから、変な味がするのだよね(笑)

で、「人の心はありません」とか言ったその舌の根も乾かないうちに、我が子が慕ってくれたら涙を流して「がんばります」だもんね、ちょろい化け物だよ(笑) ま、鶴太郎の子ども、イツキにしても、今日のマタベエにしても、父親があれでも子どもは良い子にしてるのは、作り手の良心なんですかね、私も、甘いといわれても、親がどうでも子どもには明るい未来がひらけてほしいと思います。ま、小寺の殿様も村重も、奥さんはよかったわけだけどね。

道薫先生の昔語りに、秀吉・利休はともあれ官兵衛や右近まで列席してる図はなんなんだよwって感じで、「巷間こう伝わってるから右近のこともdisっとくね」って感じのセリフもやっつけだったけど、秀吉がすわ斬り捨てんというときに笑いだす岡田くん官兵衛は超かっこよかったです。官兵衛ってクソ堅物に描かれてきてるから、笑いだす演技にはひどく違和感があったけど、岡田くんは文句なくかっこよかったです。

道薫が息子の絵を見て抱きしめるシーンも、なんのかんの言うて凝視してしまったしね。この大河、田中哲司に足を向けては寝られませんな。官兵衛のドラマでここまでのものが必要なのかといえば「?」という、そう、まさに、去年でいう尚之助=長谷川博己のポジションだったわけです!!(笑)

それで、「あなたは村重の魂を救いたかったんですね」って全俺が「ハァー?!」ってなった。い つ の ま に。子どもか。子どもがかわいかったからか? 官兵衛の心情の変化はさっぱり描けてない。なんで洗礼になるのかさっぱり。あるいは、優しくしてくれただしっ子ちゃんへの思慕もあったんじゃないか、とすら邪推したくなる展開。だとすると、「何も変わることなんかありません」と不安のかけらも持たない光奥さんに視聴者としては一抹の哀しみを感じますが、そういうことではなく、「信教は自由だしその人自体は変わらないし、夫に全幅の信頼を寄せている光は理想の妻」っていう、そういう面白くもないただの絵に描いた餅なんですよね。

だいたい、サブタイの「傷だらけの魂」ってのは誰のことなんだよ。官兵衛か、村重か、どっちもか? そこはふわっとさせてちゃダメだと思うわけよ。

村重を使ってなんとなーくドラマは盛り上げているけれど、やっぱり、官兵衛が有岡城の戦いと、その顛末(女・子どもまでが殺されたこと=「新しい世という題目のもとに行われた人道上の罪」)、「戦を終わらせるために戦をし続けている矛盾」を突き詰めてい示していないので、どうにももやもやする。・・・・と、昭和の昔、なぜあんなひどい戦争になったのか、その突き詰めを軽視し続けている日本の夏に思ったのでした。