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『銀二貫』終わりました

ドラマ

全話見ました。各所で絶賛されてるとおり、ほんま、ええドラマやったで…。私がこのドラマで流した涙の総量たるや、相当なもんやで。最終回なんて、もう、最初の5分くらいから泣いてたもん。それぐらい、「積み上げられた」ドラマだった。で、最終回はもう、駆け足でも、絵に描いたような大団円でも、全然ツッコむ気にならない。とにかく、ドラマの登場人物たちが幸せになってくれればそれが一番。そう思えるぐらい、ぐぐぐぐっと感情移入できるドラマだった。比べたかないけど、同局で日曜20時にやってるやつと比べてしまいますわな。こっちは全9話で、ここまで達しとるっちゅーに!!

タイトルにもなっている「銀二貫」はもちろん、「始末、才覚、神信心」とか、「不条理な運命によって別人にならされること」とか、「火事、火事、火事」とか、いろんなキーワード、キーポイントがあったんだけど、本当によくできている話だったよなあ、と。原作とは違うドラマオリジナルの部分もあろうけど(いしのようこ演じるお里さんは原作には存在しないらしいしね)。

大坂商人の意気ともいえる、「始末、才覚、神信心」。これが本当にいいんだわ。誰のどんな人生の教訓にもなりそうでね。「始末」は自分の持っているものを大事にすること、つまり生かされていることへの感謝に繋がるし(けれど一歩間違うとただの「ケチ」になる)、「才覚」はもちろん生きていくための知恵。「神信心」は現代では、一見、わかりづらい気がするけど、これこそがこのドラマの出発点なんだよね。

大坂の町を鎮護する天神様が火事で焼けてしまって、商人たちはこぞって再建のための資金を寄進する。それは天神様に自分の店を守ってもらうためでもあるし、社会的な行為でもある。いつ、どの店がいくら寄進したか、商人仲間では筒抜けだからだ。

寒天問屋井川屋の主人・和助は、爪に火を点す思いで貯めた大枚・銀二貫をやっとこさ寄進しにいくところで、仇討の現場に遭遇して、幼い息子の前で父にとどめをさそうとする武士に銀二貫を差し出し、思いとどまらせる。大事な大事な銀二貫は目的を果たすことなく、武士の子ひとりに姿を変えてしまった。和助はその子を店の丁稚にするも、出来は悪いわ、暗いわ、武士の命である刀は隠し持ってるわで全然使えそうにない。並行して、井川屋の商売は傾くばかり。手代と古い丁稚が夜逃げする。商人仲間の目も冷たい。

数年後、もうニッチもサッチもいかなくなって、丁稚二人を解雇しようとしたときに、番頭が「バーン!」と秘蔵の銀二貫を出す(あれ?一貫だったかな?)。今度こそ寄進できる日を夢見て、彼がこっそりため込んでいたのだ。「半分は、火事に遭った寒天場の見舞金に。あと半分を取り崩しながら、何とか食いつないでいきましょう」。主人、番頭、丁稚2人と女衆。もはや家族のようになっていた彼らは離れ離れにならずにすむ。みなそれぞれに内職に精を出す。

数年後、三度たまった銀二貫。しかしやはり寄進寸前、差し出すことになる。寒天の仕入先が危機に瀕していたのだ。寒天作りの職人・半兵衛はそれで救われ、新たに、そしてもっと美味しいテングサを仕入れられるようになる。

さらに、かつての仇討武士が再び現れる。その藩は既に御家騒動で取り潰しになっていた。武士は仲間たちと身分を捨てて農民になり、仇討の現場で和助にもらった銀二貫を元手に、痩せた土地に水を引いて、大豆を特産することに成功していた。

何度も何度も、井川屋の手からすり抜けていく銀二貫。商人のなすべき「神信心」を果たせないまま時が過ぎていくわけである。けれど、それらのお金はすべて、「誰かを生かすために」使われた。そして、誰かを生かしたことで、結局、井川屋は潰れることなく、心の通い合う奉公人を解雇することもなく、ヒット商品にも恵まれる。最終回、武士の子から丁稚に、そしてヒット商品の開発まで果たし、井川屋の頼もしい後継者となった松吉について、死の床の和助が「(松吉を銀二貫で買ったのは)わしの目利き」と言い、傍らの番頭(彼はかつて松吉を「貧乏神」呼ばわりしたこともあった)が「安い買い物でした」と受ける最後の場面は、涙なしでは見られない。

このドラマにおいて、商人の「神信心」とはイコール、銀二貫を天神様に寄進することであり、それは本来、「喜捨」とでも言おうか、自分自身をかえりみず、他者のために身銭を切ることである。けれど実際の世俗においては、「寄進することで自分の店(のご利益や体面)を守るため」のものに成り下がっている面がある。そこを押して、「本当に必要な誰かのために」大金を差し出せること、それが「神信心」の本質なのかな、と思った。井川屋は長年にわたって、それを果たしていたのだ。

津川雅彦塩見三省の主人と番頭は、この一作で終わるのがもったいないぐらいに息の合った名コンビ。主人公の松吉を演じた林遣都の体当たりの演技には胸打たれた。葛藤や悔恨、卑屈、涙・・・負の感情をあらわす演技が多かったのに、少しも松吉の魅力を損なわなかった。最終回の若旦那姿の頼もしさ! 童顔で中性的な魅力で出てきた俳優だと思っていたけど、こんなに線の太い役者になるとは。しかも時代劇が似合うとは。今後が楽しみだ。

そして、松吉−真帆カップルのみずみずしさ!! 芦田愛菜が演じた少女時代から、この二人の間にすでに仄かな交情が漂っていたのがすごい。芦田愛菜ってやっぱりすごいんじゃなかろーか。いくら松吉も十代半ばの設定(たぶん)とはいえ、林遣都芦田愛菜。ちょっと踏み違えれば、ものすごく気持ち悪いか、てんでピンとこないシーンばかりになったはずだよ。

そんなこんなで最終回、養母を亡くした真帆にやっと会いに行った松吉が、ひどい火傷の痕を隠す真帆の首巻を、そっと、そっと取る場面の官能よ!! セクシーってのは、いたずらに露出したり組み合ったりすればいいってもんじゃない、ってのを知らしめる名シーンだった。ふたりは、それ以前に、抱擁をかわすシーンも2回(3回だっけ?)ほどあったのよね。それらのいずれも本当に良かったんだけど、やっぱり一番感じたのは首巻を剥がすシーン!! 

男は、女の傷を、あまりにも深い悲しみを、愛で包み込む覚悟をもった。女は、もっとも触れられたくない部分を晒し、そうすることで、あきらめていた自分の人生に、新たな一歩を踏み出した。ここまでくるのに、本当に長い年月が必要だった。ふたりはまだ弱く、未熟で、けれどだからこそ、男と女は求め合い、愛おしみ合う。あ〜、官能的。セクシーって切ないものなのよね。今、書きながら思い出しててもキューッとくる。祝言の格好で井川屋の暖簾を出てくるふたりも、超セクシーだった。今夜、やっとのことで結ばれるのね…!と万感。ふぅ。最終回の録画は当分消さないぞ、っと。

最終回で発された「生きるのは、しんどいけど、楽しいな」とか、「お侍でも、あきんどでも、松吉は松吉や」とかいう直截なセリフに鼻白まず、むしろ「そや、そや!その通りや!」と泣きながら頷けたのは、このドラマが本物だった証だと思う。サキタハジメという人の劇伴も、このユーモラスな人情劇にぴったりの雰囲気だった。助演陣もすべて好演。大河に比べたら微々たる予算でここまでできるってことが、希望であり、大河に対する絶望を深めもする(笑)。