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『精霊の守り人』 上橋菜穂子

精霊の守り人 (新潮文庫)

精霊の守り人 (新潮文庫)

シリーズ第1作(といってもよくある話で、当初は10作もの大作になる予定ではなかったようだ)。私はこういう経緯で、第4作のあとに、これを読みました。

バルサとチャグムが共に逃亡の旅に出るまでのいきさつを描く導入部がとにかくすばらしい。冒頭からの息もつかせぬ展開。燃え盛る宮殿の炎を遠く見ながらバルサが言う、

「ごらんなさい。いまあの火の中で、皇子であるあなたは死につつある。この夜が明けたら、あなたは皇子ではない。ただのチャグムだ。それを心に刻みこむのです」

というセリフが、まるで1本の映画のクライマックスであるかのような衝撃をもって響く。

30歳になる流しの女戦士バルサ。強く、賢く、飾らず、老練で、意気があり、どこか影もある。魅力あふれる彼女の人物像が、ここまでで既に余すところなく描かれているのにも驚く。冒頭を読んだだけで、「絶対に面白い!」と確信できる物語に出会った時の幸せよ。

それにしてもバルサが30歳という設定には唸らされる。物語の読者としてまず一番に想定されている少年少女(11歳のチャグムと同年代)にとっては立派な大人の年齢であり、完全に思慕の対象だろう。もう少し年上の、たとえばはたちそこそこの若者が読めば、手に届く範囲の先輩格として憧れるに十分の存在だ。そして私のようなバルサより年上の大人たちが読めば、彼女の切なさがしみる。若い女ではないかもしれないけれど、伴侶や子どもをもつには十分遅くない年齢であり、優しさも暖かさも人並み以上に持ち合わせた彼女が、ひとりで生きる道をゆくことが本当に切ない。

新ヨゴ皇国の建国の正史に隠された真実。民族の習俗や伝承を失っていく先住民ヤクー。そして、私たちの住む地上の世界<サグ>と、見えないけれど実は同じ地平に存在している水の民の世界<ナユグ>。

もちろん同じシリーズだから当然なのだが、本作で描かれるテーマは、友だちに勧められて先に読んだシリーズ第4作『虚空の旅人』と共通するところが多々ある。それが作者のテーマなのだと思う。

つまり、この世にはさまざまな欺瞞があり、その裏で犠牲になっている人がいる/ものがあるということ。けれどそれを単に青臭く否定するのではなく、「人が生きる上では利害の対立が生じるのは必然なので、どうしてもそういうことは起こりうる」という「ままならなさ」を知ったうえで、では自分はどういう大人になるか? どういう世を欲するか?と問いかけるような語り口であること。

また、世界には、自分が見ている世界だけがすべてじゃないんだよ、ということ。水の民の世界<ナユグ>がもたらす卵の守り手<ニュンガ・ロ・イム>やら、<ナユグール・ライタ>やらは、児童文学にあって、とっつきにくく、難解で、美しいけれどおそろしさにもみちた存在だ。それをわざわざ、物語の中心に据えて、執拗なまでに描くのは、つまり世界とはそういうものだという信念があるんじゃないかと思う。

世界は広く、深く、難しく、怖い。自分が世界の中心にいるわけじゃない。そのことを知るのが、少年少女が大人になるための一歩であり、そんな世界で生きていく勇気が描かれている物語だ。