『軍師官兵衛』 第8話「秀吉という男」

ちょろい。官兵衛の自己PRを受け容れる信長も、光にそそのかされるお紺も、お紺に説得されたらしい鶴太郎も。どいつもこいつもほんとにちょろい。こんな戦国なら、私だって立身できそうな気がする。相変わらず工夫もない。「へしきり」の抜き身をじっくり確かめてから授けるとかさ。どこまでベタなんだよ。柴田も丹羽もバカ。官兵衛の自己PRタイム、岡田くんはやっぱりうまいんだけど、全然大したこと言ってないよね? 

とはいえ、先週よりずっと楽しめたのは、やっぱり竹中秀吉のおかげだろうか。放送前に竹中直人のキャスティングを聞いたとき、正直かなり引いたんだけど、今になってみると、このドラマにあって貴重だわ、この人の存在。ちゃんと「生きてる」ように見える。十数年前の「秀吉」では演じなかった晩年を、このドラマでは演じることになるのがちょっと楽しみになってきた。でもなー、このドラマのことだから、何のひねりもなく「判断力も人望もすっかりなくなった老人」やるんだろうな。それは鬱。秀吉の老醜描写にはもう飽きた。っていうか不快。「晩年の秀吉ならいくら叩いてもok」って、大河の悪しき風潮だと思う。

秀吉と官兵衛も、やたらあっさり心を通わせるんだけど、けっこうすんなり見られたのは竹中直人の芝居のおかげだと思うわ。あと、秀吉と絡む官兵衛を見てると、3話で初登場の荒木村重と絡んでる官兵衛と似た感じで、岡田くんってやっぱり受ける芝居、「巻き込まれ方」もうまいんだなって感心する。

貧しい百姓だった時代のことまで披歴しながら、まずいムカデだかなんだかで酒を飲んで、すっかり官兵衛をたらしこみつつ、実は半兵衛を播磨にやって、ちゃんと播磨情勢の「裏をとってた」のは、珍しく、本格っぽい脚本だった。蜂須賀小六と太兵衛の相撲も面白かったけど、そのあとはいただけない。人の家来をすぐ欲しがるのはどこの作品の秀吉でもお約束でそれはいいんだけど、その断り方に能がなさすぎるー。しかもコイツら、岐阜城で官兵衛のPRタイムが終わるまで別室で待ってるとき、「殿が信長の勘気にふれたら、我らもただではすむまい・・・・」って、自分たちのこと心配してなかったか?w

相変わらず「遊女の接待を受けない官兵衛」を描きたがるのもなあ。それは別に官兵衛の魅力につながらんと思うよ。官兵衛の前でぷりぷり怒るおねのシーンも不必要に長い。おね様が「俗っぽい賢妻」描き方になるのは「聖っぽい賢妻・光」との対比なんだろうけど、対比相手の俗夫婦の方が、官兵衛と光の聖人夫婦より魅力的になりそうなのは皮肉だ。そして、いつまでも説明会話に終始する信長夫婦…。