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ソチ五輪・女子フィギュア 浅田真央 その2

スポーツ

深夜2時前の興奮は当然、明くる夜までずーっと続いたのだけれど、今、この件で心の底から「すっげー!!!」と思い、「どーなってるの?!」と疑問渦巻き想像したところを、以下に記す。凡人の想像力では及びもつかないのだけれど、想像する

●まずひとつは、ショート終了から、どうやって気持ちを立て直したかということ。いくつかは報道でも知ることができる。

コーチの佐藤信夫。朝の練習で「まだ試合は1/3しか終わってない! 気合を入れなさい!」と喝。その後、1980年五輪に出場した教え子の例を出し「何かあったら先生が必ず助けに行くから」と話した。→ショートは試合の1/3、ていう言い回しが、ものすごく玄人っぽくて痺れました。

姉の浅田舞。公式練習でも元気のない顔を見て電話をかける。「大丈夫だよ、と言いたいけど、それは周りの人も言ってくれるはず。家族だから敢えて叱った」。→舞「このまま行ったら絶対ダメだよ。この4年間やめたい事も辛い事あったけど全部乗り越えてきたんだよ。ソチに入る前も自分のやれる事を全てやってきたでしょ?」 真央「全て悔いなくやってきた」 舞「だったらもうやるしかないじゃん!」というやりとりだったらしい。すごい。

荒川静香。「得点を出そうとするのではなく、思いきり楽しんできて」とメールを送る。織田信成も同じようなメールを。

松岡修造。ショート終了後、控え室へ戻る浅田真央に声をかける。→「真央さん。願いはひとつ。出し切って」と言い、浅田は頷いたらしい。なんか、ちょっと笑えるんだけど、修造の言葉や、アスリートに対する敬意に嘘はないので、何となく、力づけられそうな気はするw

ほかにも、周囲とのやりとりはイロイロあっただろうし、日本でも報道された、海外のスケーターを含む多くの人からの励ましなども目にしたかもしれない。ただ、それらのどれかが決定打になったということはなく(そこはやはりコーチと家族の声は大きかったのではないかと想像するが)、複合なんだと思う。

演技直後のインタビューで「どうやって気持ちを立て直したのか」と聞かれると、少し間をおいて、笑って、「いろいろ・・・いろいろあったんですけど、これまでも、ひとつひとつクリアにしていったので、今回もひとつひとつクリアにしていこうと思いました」と答えていた。その後、報道番組の生出演では、「いろいろいろいろ考えて、できると思って、あまり寝ていなかったので、寝て、ごはんを食べて…」という感じ。その「いろいろ」の中身が知りたいんだよー!!と思うんだけど、簡単に言語化して人に説明できるような経緯じゃないんだろうな、とも、もちろん思う。

とにかくすごいのは、もっともつらい、打ちのめされるような状況で、その状況と真正面から向かい合うことのできる力。しかも、フリーの始まるまでに、きちんと気持ちを立て直す力。朝の練習ではまだ全然ダメだった、ということは、そこからフリーまで、半日もなかったはず。「時間薬」なんて作用するわけもないどころか、まだまだもっともつらい時間、ふつうなら、周りのどんな言葉も耳に入らず、自分の殻に閉じこもったり、悪態ついたりするような時間のはずだ。でも、彼女はきっと、人々の言葉を噛みしめ、何年もの努力を思い出し、もう決してメダルに届かないだろう現実を受け容れたうえで、「やろう」と思い直すところまでいった。数時間で。これはもう、本当に、すんごいことだ。

「やる気があればなんでもできる」「気持ちの 強さ/弱さ で 勝った/負けた」みたいな日本式精神論は嫌だけど、やっぱり、長年、競技の第一線で、しかも世間の視線に晒されながら戦ってきたアスリートの強さはハンパじゃないな、と思う。

土壇場で奇跡のような強さを演じるのは、気合さえ入れれば誰にでもできる、というようなことでは決してなくて、ともかく「ここまできたのに、やらないでどうする」と思えるほどのひたむきさで長い年月を過ごしてきたゆえだろうし、今回ほど危機的な状況じゃなくても、「ショートはダメでも翌日のフリーで」ということもこれまでにあったのだろう。もっと言うなら、たとえば練習とか、酷い報道をされたとか、「最悪な今日のあとの明日」を幾度も過ごしてきた人なのだろうな、とも。舞さんが言うように、「これまでも全部乗り越えてきた」経験が彼女にはあるのだ。フリー演技直後、ショートでの失敗について、自分で「取り返しのつかないことをしてしまったなという思い」と語るのを聞いたときは、最高の演技を見た後で、なお、胸が痛かったけれど、その失敗によるダメージを乗り越えられたのは、結局、長い競技生活でかけられてきた負荷の総量に堪えてきた心身があったからだと思う。


●ふたつめは、フリーのフィニッシュでの感極まった泣き顔と、それが一瞬だったこと。


大事な試合での2分50秒、あるいは4分間、ものすごい集中をした直後のフィギュアスケート選手の顔を、これまでたくさん見てきた。会心の演技ができたとき、選手は渾身のガッツポーズを出したり、泣き崩れたりする。あるいは、演技の世界に浸りきったり、自分の成し遂げたことに呆然として、すぐには現実に戻ってこられないような様子を見せることもある。もちろん試合の進行がある(次の選手が控えている)ので、いつまでもリンクに留まる選手はいないけれど、たいてい、キスクラで待っているときも顔を上気させ、高得点を目の当たりにした瞬間に再び喜びを爆発させるものだ。

浅田真央はどちらともちょっと違って、フィニッシュのポーズのまま涙で顔を歪める姿に(そんな浅田真央も絶えて見ないものだった)見ている私もまた新たな涙を噴出させたんだけど、ただの観客でしかない私がおいおい泣いてる間に、彼女はいくつかの呼吸ですっと嗚咽を引っ込め、涙は流れていても、優しい笑顔で観衆に手を振ってリンクを降りていた。

待っていた佐藤信夫コーチが自分からハグしにいったように見えたのがまた胸熱だったけど、それも一瞬。会心の出来の演技の場合、たとえば鈴木選手−長久保コーチ間なら、同じく日本人で異性の師弟同士でも、もう少し長い抱擁をかわすような気がする。その時間の短さは、佐藤コーチの美しい羞恥心や試合中のクールさゆえかもしれないし、ふたりの師弟関係が「家族のようなハグを交わすほど」には長くないからかもしれない(4年の師弟関係はフィギュアスケートにおいて特に短いわけではないが)。

ともかく、あれだけの演技をして、昨夜からの劇的な浮上を遂げたにもかかわらず、浅田真央の熱い感情が剥き出しになったのは、ごく短い時間だった。バンクーバー五輪の演技直後の彼女が、堪え切れない涙とともに演技直後のインタビューを受けるVTRは今も繰り返し流される。同様に、今回、うれしさや、あるいは悔しさを含む万感の思いでもっと泣いても、私は何ら違和感をもたなかっただろう。けれど思えば、この4年間、喜びにせよ悲しみにせよ、彼女が試合で強い感情を爆発させ、浸ることはあまりなかったかも。昨年12月のGPF、ショートで3Aを成功させたとき(感覚が本人にあったとき。ジャッジの判定は回転不足だった)ぐらいか…。

今回のリアクションも、その延長線上だったのだろうか。「国民的ヒロイン」の表情は、どんなものでも、大きく取り上げられ、あれこれと推測されたり、感想を述べられたりする。そんなこととは関係なく、「試合中は凛としていたい」という気持ちがあるのかもしれない。なんにしても、あの泣き顔はとても印象的で感動的だったけど、彼女の成し遂げたことを思えば、それがわずかな時間だった気がして、妙に深い感慨をもった。


●みっつめは、上記とも少し繋がるのだけれど、点数が出たときの反応。

FSの142.71は自己最高得点だけれど、ワーオ!という反応ではなかった。神妙な顔でじっとスコアを見つめ、呼吸しながら頭に触れて、それから「ありがとう」というようにカメラに向かって笑顔で両手を振った。

確かに、NHK杯の136.33と6点あまりの差しかない。あのときは、3Aが回転不足になり、コンビネーションにつけたのは3Loではなく2Loで、後半の3Sが2Sになった。演技構成点の69.68も、NHK杯よりも低い。比較して、今回の出来を思えば、それほど高い点が与えられたわけではない印象は、私にもある。選手は当然、要素ごとの技術点など、採点基準を熟知しているはず。演技をした自分自身の感覚と、ジャッジによって示されたスコアとの間に、あの瞬間、乖離を感じただろうか。

あるいは、198.22という合計点を見た瞬間の思い。SPを終えた段階で、メダルに絡める見込のなくなっているのは明らかでも、自己今季最高の207.59にもかなり足りない点数が目に入れば、やはり手放しで喜ぶ気にはなれなかったかもしれない。

浅田真央は、事前から今季を「集大成」と位置づけてきた。それは「これまでやってきたすべてを出し切る、自分がめざす最高の演技をする」という意味で、「金メダルがほしい」とはほとんど言っていない。佐藤コーチも「彼女の口から金メダルとは一度も聞いたことがない」と言い切る。

実際、今回の試合のあと、どんなインタビューでも、「日本代表としてメダルをとれなかったことは申し訳ない」「ショート、フリーをそろえられなかったことは悔しい」としながらも、終始笑顔で、「FSでは4年間のすべてが出せた」「とても良い演技ができた」と語っている。銀メダルを獲得してなお、泣いていた前回五輪とは対照的だ。「自分のすべてを出し切りたい、それが目標」という言葉は、本当に言葉通りで、少しも煙幕ではなかった、メダルや高得点への執着はなかったのだと、あらためて感嘆した。彼女が心から笑っている、満足していると感じるからこそ、私たちも、「この笑顔が見られて本当に良かった」と心から思えている。

けれど、あの一瞬の間は、なんだか含蓄深いものだった。浅田真央の言葉が信頼度の高いものであることは、フィギュアファンの多くが知っているけれども、だからこそ、マスコミや観衆によって綺麗にまとめられた以外の、不揃いの枝葉の部分…言語化されない部分を、その表情や素振りから垣間見ると、深遠な心地にすらなる。それは見る側=私の主観だし、選手の心は選手のものだから、言動のひとつひとつについて、こと細かな心情の開陳を求める権利は、もちろん、まったく、ない。

それでも、私は想像する。常人が一生、経験することもないだろう重圧や緊張、不安。喜びや悲しみ、充実、悔しさ。それはどれほどのものだろうと想像する。思いつく限りの想像をしても、「いや、きっと、そんな簡単に説明のつくもんじゃない」と思う。そして、限りない尊敬や畏怖を感じて、また泣きそうになる。それでも笑顔でいてくれることの尊さを思う。きっと、すべての選手にひとりひとり異なる困難な道のりがあっただろう。そのことを、これまで最も多く報道されてきた「浅田真央の物語」を通じて想像する。どんな報道や、本人の言葉でも、きっと、なお説明しきれない部分のあることを。